『チェヴェングール』書評 誰でも『共産党宣言』は読んだことがあるが『資本論』は借りたこともない

 ドストエフスキー以外に好きなロシアの作家を挙げるように言われたら、私はあなたにダニイル・ハルムスとアンドレイ・プラトーノフの名前を告げる。既に私はプラトーノフの初期詩集『不死』、短編集『プラトーノフ作品集』、『土台穴』を読んでおり、極めて大きな期待とともに、この大長編の邦訳を待ち、本屋に並ぶと同時に購入した。そして、私の期待は裏切られず、今、こうして、Amazonのレビュー欄を見ても星以外には感想文がない、この傑作のために、誰も読まない書評を書かざるをえなくなっている。

 プラトーノフという作家が「マイナー」であるのか、あるいはその伝記的事実、経歴について書き始めても良いのだが、J.D.サリンジャーも作家の経歴は生年月日だけで良いと言ったし、ニクラス・ルーマンも理解のために伝記が必要なら、私の論文は上手く書かれたとは言い難いとどこかで言っていた記憶があるので、私にとって必要のある範囲で簡素に書くことにしよう。

 アンドレイ・プラトーノフはロシア革命の初期に生きた人で、第二次世界大戦後、ソ連軍がベルリンに乗り込んだ「成果」によって、スターリニズムが「乗り越え不可能な哲学」と化した世界で死んだ作家である。土地改良事業にも従事したし、従軍作家にもなったが、ソ連においては徐々に原稿を発表する場を失い、かくして『チェヴェングール』も2023年にようやく邦訳されるに至る。初期詩集『不死』を読めば、いわゆるロシア宇宙主義の強い影響を感じることができるし、『土台穴』は農業集団化について批判しているように読むこともできる。とりあえず、作家の経歴はここまでよいだろう。あなたは最後に、『チェヴェングール』が、この作家の経歴の全てを肯定していることを、理解するだろう。

 さて、あらすじについても、私にとって必要のある範囲で簡潔に書くとしよう。この本のプロモーションと、解説と、訳者あとがきをあえて無視すれば、この小説はドヴァーノフという男が『チェヴェングール』に行く話である。あまりにも多種多様な人物の群像劇でもあるのだが、あえて言えば、そう、行きて帰りし物語ではある。社会主義というプロジェクトがまだ始まったばかりのユーラシア大陸で、ドヴァーノフという男が大陸各地の共産主義を視察するために放浪する。その終点が「チェヴェングール」という場所であり、そこでは(作品世界の人物たちにとっては全く真面目に)奇妙な「共産主義」を実現しようと、中央から孤立したボリシェヴィキが何やらしていた。

 私が今回、考えてみたいのは、何故これほどまでに社会主義と共産主義(この二つの言葉の使い方については薬師院仁志の『社会主義の誤解を解く』を参照すること。社会主義と共産主義という言葉が時代、党派、国によってどのように用いられてきたかが概ねわかる)の描写が奇妙なものとなった(と我々が感じるの)か、ということである。プロモーションでは「20世紀には、重要な作家が3人いた――ベケット、カフカ、そしてプラトーノフだ」というスラヴォイ・ジジェクの言葉が引用されているが、このように三者を並べられても、何も違和感のない作家の作品が『チェヴェングール』なのである。さて、何故、違和感がないのか。


チェプールヌイは編み垣のそばで地べたに座り、育っていたゴボウの実を二本の指でそっと触った。このゴボウもまた生きており、今度は共産主義のもとで生きることになる。なぜかずいぶん長いこと夜が明けないままだったが、そろそろ新しい一日が訪れる時間のはずだった。チェプールヌイは口をつぐみ、心配しはじめた――この朝、太陽は昇るだろうか。もはや古い世界は存在しないのだから!

(中略)

家の居間から出ると、チェプールヌイはすぐに空気を受けて凍え、別のチェヴェングールを目にした――まだ遠い太陽のぼんやりとした灰色の光に照らされた。ひらかれた冷たい町。チェヴェングールの家で暮らすことは恐ろしいことではなかったし、通りを歩くこともできる。草が今までどおりに生え、小径こみちもそっくりそのまま残っていたからだ。朝の光は空間で輝きだし、しおれた古い黒雲を蝕んだ。

「つまり、太陽はおれらのもんだ!」 そう言ってチェプールヌイは貪欲に東方を示した。(p.374-376)


チェプールヌイは県都から戻ると、プロコーフィの命令をプロレタリアートの裁量に委ねた。プロレタリアートがその労働の結果として、抑圧の痕跡であるところの家屋を不要な破片になるまで分解し、世界の中で何にも覆われず、ただ生きた身体のみによって互いを暖めながら生きていくことを期待したのだ。それに、共産主義になってもまた冬が来るのか、あるいはずっと夏の陽気が続くのか、それも判然としなかった。太陽が共産主義の第一に昇り、そのために自然のすべてがチェヴェングールの側についたのだから。(p.438)


 こうした共産主義の奇妙な記述の奇妙さが何に由来するのかを、私は考えてみたいのである。もし、この点を看過すれば、あなたもスターリニストのごとく、次の、未来のプラトーノフから文章を発表する場を奪うことになるだろう。

 ところで、私は既に幾度も「奇妙さ」と言ってきたが、その「奇妙さ」は何に由来するのだろうか? 実際のところ、その奇妙さは、共産主義という未来社会を今ここ、現在の時点で記述することに由来しているのである。ぶっちゃけてしまえば、私は共産主義は記述できないと、そう言いたいのだ。しかし、また、プラトーノフは記述しなければならなかった。これは政治理論書ではなく文学なので、この種の矛盾への取り組みはしばしば傑作を生み出す。その一つの例が、この『チェヴェングール』だ。

 さて、例えばかの偉大な思想家カール・マルクスの仕事を想起してみよう。マルクスは通念的な理解に反して、殆ど共産主義社会というものの具体的な様相を記述していない。あの分厚い、『資本論』には何が書かれているのか? 『資本論』には、共産主義社会がどのように運営されるかというハウツーは掲載されていない。役場に就職したあなたは、先輩や上司、または手順書から市民の年金の処理の仕方を学ぶことができるが、『資本論』には共産主義社会における労働災害の、あるべき申請方法、申請書の書式などについては載っていない。だからこそ、インテリゲンツィアはマルクスを自由に用いることができ、大半が農民の国も市民革命を飛び越えて社会主義を実現できるといって反対党を抹殺するとか、エコロジー思想を読み込んで脱成長を主張するとか、代表をくじ引き選ぶで組織で消費協同組合を作るのが可能なるコミュニズムだと言ったりと、マルクスの仕事の後を想像し、発表し、資本主義と戦ってきた。マルクスの豊穣さは、その具体性のなさにある。

 そしてまた、あなたは『共産党宣言』において、マルクスとエンゲルスが(好意的にせよ)批判していた空想的社会主義者たちの仕事を想起してもよい。オーウェン、サン・シモン、フーリエ。彼らに共通しているのは、マルクスの仕事と反対に、むしろ、過剰な具体性を備えていることにある。例えばフーリエは自分の構想する理想社会における人間の生活の時間割表を書いているし、オーウェンはそのあまりの具体性によって今日の協同組合活動や職場に併設された託児所の創設者として崇められ、サン・シモンの主張は(実際には殆ど実行されなかったということであるが)ナポレオン三世の自由帝政のイデオロギーとなった。

 マルクスが彼の『チェヴェングール』を書かなかったのは何故だろうか。こう問うてもよい。資本論に共産主義社会で使われる書類の様式が書かれなかったのは何故だろうか。予め言っておきたいのは、私はマルクス主義ではないということである。その上で、私はマルクスは理論の普遍性を装うために書かなかったと主張しよう。真の理論の普遍性は理論自体に理論を適用できるときに初めて達成されるものである。もしも資本論の社会理論が普遍性を有するならば、資本論という出版物をも分析の対象できなくてはならないだろう。しかし、精神分析家が自分自身の精神分析への情熱については精神分析の対象としないことによって初めて精神分析を「あらゆる」ものにあてはめて分析レポートを量産できるようになるのと同様に、資本論もまた、資本論そのものは資本主義の外、社会の外にあるものと前提して初めて、社会の理論として読むことができる。紅衛兵運動は紅衛兵が毛沢東は富農の出身だと批判し始めた時から、退潮することになった。オーウェン、サン・シモン、フーリエは自己の社会分析と同時に、具体的な(そして些か空想的な……)政策提言を書くことで、あからさまに自分たちは社会の外にいるかのように前提して社会について書いていることを暴露してしまい、そしてそれが共産党宣言では階級という認識の不在として批判されることになるのである。マルクスは実に天才であった。

 とはいえ私はマルクスの革命への情熱を疑ったことはない。『共産党宣言』には先進国で革命が達成された場合の政策が列挙されている。曰く、土地所有の収奪および地代の国家支出への使用、強度の累進税、相続権の廃止、すべての亡命者および反逆者の財産の没収、国家資本および排他的独占をもつ国家的銀行による信用の国家への集中、すべての運輸制度の国家の手への集中、国有工場、生産用具の増加、共同の計画による耕地の開墾および改良、万人に対する同等の労働義務、とくに耕作のための産業軍の創設、農業および工場の経営の統合、都市と農村の対立の漸次的除去をめざすこと、すべての児童の公的かつ無償の教育、こんにちの形態での児童の工場労働の除去、教育と物質的生産との結合。あなたは相続権の廃止を除いて、ここに書かれているのがあまりにも穏健で、欧州では半ば達成されているのではないかと思い始めている。あなたはマルクスの思想に時代の刻印を感じ、読んだことはないが、世界の三分の一がその思想に基づいて国家を運営していると宣言された書物である資本論にも、時代の刻印を感じられるのではないかと予期している。マルクスは社会の中にあり、彼自身、富裕な資本家であるエンゲルスの金で暮らしていたからには、『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』の議論に基づき、ルンペン・プロレタリアートだったのではないかと思い始めている。

 私がプラトーノフではなく、マルクスと空想的社会主義者たちについて長々と書いたのは、結局のところ、人が現在の社会を批判するために未来のあるべき社会を描くためには、自分は社会の外にいるかのように観念しなければ不可能ではないかということなのである。私はそのように観念することの是非については、ここで書かないことにしよう。とはいえ、あなたは、私がそのような営みに好意的であると気づいているはずである。野蛮な、「空想的」な提言が、むしろ今ではボリシェヴィキよりも長く生きているのだと私は書いているのだから。

 ここまで書いて、ようやく私は『チェヴェングール』の共産主義の奇妙さは、社会の外にいるかのように観念せずに、現在を相対化するような未来の世界を記述しようとする努力のためである、と言うことができる。もちろん、私はそれは「自分は社会の外にいるかのように観念しなければ不可能」であると、既に書いた。だが、これは文学であって、(偉大な社会学者ニクラス・ルーマンのように)社会の理論をも分析対象とするような社会の理論を構築するという試みではない。文学は不可能な企てを赦し、称える。プラトーノフは見えないものを見ようとして望遠鏡を覗き込んだのだ。社会の内部にいるがために共産主義を記述できないドヴァーノフは共産主義を探して大陸を放浪する。そんな彼を、「チェヴェングール」が待っている。「チェヴェングール」のボリシェヴィキたちは既に社会の外にあり、自信満々に、フーリエが机の上で紙とペンでやったようなこと――社会そのものの設計を、ユーラシア大陸の何処かで開始する。不可能な企ては最終的に破壊され、ついにドヴァーノフは湖へ入る。本当に社会の外へ行くために。

 この小説にはスターリズムというそれ自体は決して階級性を分析されず、スターリンという社会の外にあるかのように振る舞う男によるプロジェクトを見て、そして部分的には参加し、ついに(文学史的に、あるいは政治的に)消し去られたプラトーノフという人間の経歴の影響を直接的に確認可能であるように私には思われるが、この書評には荷が重すぎるため、私はここでこの文章を終えることにする。それに、この作品が傑作であることはもう示したのだから。

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