『攻殻機動隊 SAC_2045』アニメ評 何を語れるかより何を語れないかで自分を語れよ 2/3

 私は、トグサは自分の仲間である刑事を射殺して生き残ったのではないかと言っているのである。それは、まさにあのアニメの結末のために、そう言えるのである。そして、そのように言うことで、何故、少佐の選択が描かれなかったのか、ひいてはこのアニメは優れていると、この私があなたに言うことができるようになる。

 シーズン1の最終話でトグサはトラックに乗り込んで何処かへと消え去る。これはポスト・ヒューマンの能力のためである。攻殻機動隊と言えば、「ゴーストハック」や「俺の視界を盗みやがったな」や「今来須!」や「てめぇの半端な電脳を恨みな」といった台詞に象徴されるように、SF的な設定で説明される他人の意識の操作であるが、『SAC_2045』ではポスト・ヒューマンがトグサを操作する。

 シーズン2では些か唐突にトグサの、公安九課に参加する前の任務についてのエピソードが始まる。トグサはそれが過去の話、想起であることを理解しており、自分がどういう状況にあるのかを予め、しかし「半端」に知っている。彼はある犯罪組織に潜入しているが、やがて潜入捜査官ではないかと疑われる。そしてトグサは選択を迫られる。同じように、しかし別の法執行機関からの潜入捜査官と疑われている男がおり、自分の疑念を晴らしたいのならば、その男を殺すようにと命令される。トグサはこれを英雄的に拒否し、刑事とともに組織の施設から逃亡する。ここまではトグサも「覚えている」。しかし、そこからどうやって、何の装備もなく、敵に追われながら、生き延びたのかを思い出すことができない。彼をこの不可解なフラッシュバックから救うのは、『攻殻機動隊』作品には些か相応しくない、少佐の叱咤激励の言葉の想起である。

 私はこれは『二重思考』であると、今、ここに記そう。そう、作品中では描写されていないが、トグサは物理現実においては、「事実」においては、刑事を殺して、自分の潜入捜査を続行したのだ。

 このことは次の二点によって、説明することができる。その二点についてあなたが理解すれば、あなたはトグサが刑事を殺していなければ、このアニメが成立しないことを理解するだろう。

 第一に、シーズン2のトグサの潜入捜査のエピソードは些か信頼できない語り手、視点から描かれている。過去回想が終了すると、トグサは電車で今一度、あの刑事に会い、さらに電車から降りて、神山健治の師匠である押井守の作品世界を思わせるような寂れた煙草屋に辿り着き、そこから公衆電話で公安九課に生存していることを報告する。

 第二に、これがこの文章の本論なのだが、アニメのラスト、少佐の選択が描写されなかったためである。どういうことか?

 問題の「少佐の選択」のシーンについて、少し詳しく説明しよう。ポスト・ヒューマンはついに自分の目的を達成する。彼の目的はユートピアの実現だった。彼はポスト・ヒューマンとしての高い「意識の操作」能力を全人類にまで及ぼし、ユートピアを実現する。それはどのようなユートピアかと言えば、作中の言葉で言えば「摩擦係数ゼロの世界」である。ポスト・ヒューマンが少佐を案内するユートピア世界では、人々の欲望は全て、例外なく、実現している。ただし、そこでは主観世界と客観世界は(ポスト・ヒューマンの能力によって)分離されている。人々は(作中での描写を見る限り)それぞれ社会の再生産を担う労働に引き続き従事しながらも、しかしそれぞれの欲望が十全に実現された世界を生きている。つまり、あなたは甘美な白昼夢か、面白い映画かアニメ、Vtuberの配信を見ながら、あるいは冷えたオフィスでのシンボリックアナリストとしての仕事で褒め称えられながら、あるいは(デヴィッド・グレーバーが有り難くもブルシットジョブに従事するシンボリックアナリストが嫉妬していると分析してくださった)エッセンシャルワーカーとしての本来的な価値が認められながら、しかし物理的現実としては、全く何も起きていない、ただ生産活動だけがあるような世界に生きることになる。これがポスト・ヒューマンによるユートピアであり、ポスト・ヒューマンが言うところの「二重思考」、その応用である。

 あなたは既に、映画『マトリックス』のことを考えているし、『ハーモニー』のことを考えている。または、それは実にトラディショナルなSFの再演だと思っている。あなたは正しいが、間違っている。このアニメでは、ポスト・ヒューマンがそのようなユートピアを実現できたのは、人類が二重思考をするようになったからと説明されているのである。

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