二章.戦地回航

32.恒星系離脱―1『ブリーフィング―1』

 難波副長が室内に足を踏み入れたとき、スタッフは既にほぼ全員が着席しているようだった。

 ゆるやかな段差のついたステップを何段か降りて自分の席につく。

 後方にある出入り口からすると、歩を進めるにつれて低くなってゆく階段状の部屋である。

 遠くに見える突き当たりの壁は、その全面が多分割ディスプレイに、そして、床面と平行に向こう下がりの傾斜をつけられた天井は立体投影用の表示野となっている。

 両側の壁面も種々のディスプレイや機械類で埋め尽くされ、およそうるおいなどとは無縁の硬質なたたずまいだった。

 室内にあるのは、計九台の巨大な机と椅子のみ。

 それが床面をくり抜くようにして、半埋め込み式――ブース状に設置をされている。

 同一方向に向きをそろえられ、前方より三、二、二、一、一台の並びとなっていた。

 大倭皇国連邦宇宙軍、逓察艦隊所属艦たる二等巡洋艦〈あやせ〉の艦橋である。

 難波副長の席は後方から二番目。

 自分よりも前の席を斜め上から見おろす位置にある。

 もっとも、個人にあてがわれてある机のサイズがとにかく巨大で視界が蹴られ、かつ、照明がやや抑えめにされていることもあって、前席の様子がまる見えというワケではない。

 立ち姿勢ならばともかく、着座している通常の状態であればすぐ前席の椅子――その背もたれの上部がちらと覗ける程度だ。

 ともあれ、難波副長は、座席に腰をおろすと卓上のカメラアイに瞳を向け、天面の上に両掌をあてがった。

「全員そろっているわね?」

 使用者資格確認手順をクリア。

 着席した人間が正当な使用者であることを認識した機械が息を吹き返し、それまで沈黙していたコンソールが色とりどりの光で満たされてゆくなか、そう言った。

「はい。全員着席済み、準備完了しております」

 間髪を入れず船務長――稲村大尉から返答がかえってくる。

 意志の強そうなやや太めの眉が印象的な女性士官だ。

 艦長、副長が共にであったため、艦内序列第三位者として、これまでの任に就いていたのだった。

 その彼女が上官の入室に気づいて、難波副長が見つめる〈纏輪機〉画面の中、ピシッと敬礼をおくってきていた。

「よろしい」

 難波副長が、ふっと少し頬をゆるめて見つめる同じ画面の中には他に六人の人間がいた。

 見た目、二十代から四十代前半の女性士官たち――巡洋艦〈あやせ〉のコマンドスタッフたちである。

 全艦に向け、艦長より示された目標を具体的な指示にかえて部下たちにあたえる幹部たちだ。

 その六人もまた、稲村船務長と同様、〈纏輪機〉を介して難波副長に敬礼をおくってきていた。

「船務長」

 自分が留守にしていた間のログに目を通しながら、難波副長がふたたび口をひらく。

「はい」

「艦長の動向は確認した?」

 ピリッと、艦橋内の空気に電気がはしった。

「は、はい」

「そう。…………それで?」

 本命なのだろう問いかけが、口にされるまでに少し間が開く。

 まだ室内に姿のない最上位者のことを訊くだけなのに、内心に何かかっとうでもあったのだろうか……。

〈纏輪機〉のマイクは優秀である。

 ことさら聞き耳などたてる必要もなく、コマンドスタッフ全員にこのやりとりをキチンと送り届けている。

「申し訳ありません。わかりませんでした」

 稲村船務長が頭をさげた。

呼び出しコールに対しては応答ナシ。次いでおこなった位置確認は『不明』と」

「不明……?」

 眉をひそめる難波副長。

 それを見た誰かが、ごくりとつばをのむ音が聞こえた……ような気がした。

 部屋の中の温度がじわりと下がったようでもある。

 嵐の前の静けさか。なんとも危険な兆候であった。

 フネに乗り組んでいる人間の居場所がわからない。

 本来であれば、それは有り得ないことの筈なのだ。

 臨時の客でさえ、乗艦時に渡されるチョーカー――自動応答装置トランスポンダを着けている。

 これは基本的には乗員の身の安全を守るための通報装置だが、同時に追跡装置でもある。

 ちゃんと首筋に巻きつけていれば、呼吸、脈拍、血中濃度その他の生体情報と一緒にその個人が、いま艦内のどこにいるのか外部の人間が把握できるようになっているのだ。

 稲村船務長は、その検索をおこなって、それに対して機械は『不明』とかえした。

 村雨艦長が現時点でどこにいるのか不明だ、と。

 それからわかる事実はひとつ。

 村雨艦長は、(あるまい事か)宇宙生活者スペースマンなら必須、命綱とも言うべきトランスポンダを着けていないのだ。

 とは言え、軍艦で、かつ作戦行動中といっても、〈あやせ〉の現状は平時とさして変わらない。

 危険が間近に迫っているでなく、何より相手は〈リピーター〉――外見は幼女でもその実、このフネの誰より軍歴も宇宙暮らしの時間もながい超・ベテランだ。

 だから、村雨艦長の身の安全は気にしなくてもいい。

『ついウッカリ♡』などと口では言うかも知れないが、長く宇宙で暮らしていれば、トランスポンダの装着はヘビースモーカーの喫煙と同じレベルで、無意識の内におこなってしまうものである。

 着けていない、外しているのは意識的だとしか思えない。

 だから、むしろ、気にする必要があるのは、そうして自分の所在を隠してまで、あのく○ガキが何をしようとしているか、の方だった。

「どうせ、ロクでもないことに決まってる」

 難波副長が、思わずといった感じでボソッと呟く。

「は?」

「いや、何でもない」

 かぶりを振ると、

「時間がもったいない」と言った。

 実際、〈あやせ〉と言うか、戦闘航宙艦においてフネを戦闘航宙艦たらしめている要素――各部門の責任者たちが一堂に会する機会というのは意外に少ない。

 ほとんど無いと言ってもいい程だ。

 一日二四時間、眠ることのない戦闘航宙艦は、三交代の輪番制で運用されている。

 その為、正担当たる責任者の他に二人、職務の代行者が必要とされることになる。

 しかしながら、代行者が職務に就いている時間帯、だからと言ってフネの戦闘力が低下することは許容できない。

 したがって、全体としてのパフォーマンスが一定に保たれるよう、どの時間帯においても各部門の正担当、副担当が入りまじるが組まれている。

 現在の艦橋のような状況は、例外中の例外と言えるものだったのである。

「主計長」

 難波副長は言った。

「主計長、ここで拾った新人の見立てはどう? ざっとで構わないから、あなたの所感を聞かせてちょうだい」

〈幌筵〉星系――惑星〈幌後〉で現地徴兵した新兵について、直接の上官からの(暫定的だが)評価を求めた。

 必要に迫られてのことではあったが、作戦行動中の戦闘航宙艦に練度も不明な……、いや、不十分だとわかっている予備役兵を乗り組ませることになってしまった。

 新兵自身の身の安全もだが、フネ全体のそれの方がはるかに優先されるべきなのは言うまでもない。

 任務、艦体、乗員――すべてを預かる者として、現状を正しく認識したいと考えるのは当然だった。

「はい。身体機能は見た目よりも頑健ですね」

 主計長――後藤中尉は答えた。

「周知の通り、田仲深雪一等兵の故郷である〈幌後〉には軌道橋がありませんでした。ですので、彼女は召集令状が要求する出頭期日に間に合わせようと、かなりな強行軍を強いられ、最終的には弾丸便なる化学燃料ロケット利用によって地上を離れています。

「その際、短時間ではあれ一〇G前後の加速度にさらされていますが、生理的な異常は認められませんでした。数日間とはいえ道中にこうむったであろう肉体的な負荷と、こうした加速度耐性を勘案すれば、これはかなり優秀なレベルです。

「現地の『予備役兵・兵補記録簿』に記録されていた通り、過去に重度の傷病を患ったこともないようですし、後天的な体組織の改変もおこなってはいません。現在時での薬物、ナノマシン類の体内残留も検出されませんでした。――身体面の健常性については問題ナシでしょう。

「気質的な面も良好。生真面目すぎるくらいに実直な性格であると見ました。御宅曹長が数回チェックを入れてくれましたが、いずれもナチュラルかつ良好な反応を示しています。人事局へんさんの新兵教育マニュアル、『プロファイリング』と照らし合わせてみても多分おなじ結果が得られるものと判断します。

「閉塞環境下での生活等、長期にわたる宇宙空間勤務に対する耐性は未知数ですが、練兵団における初年兵の平均値を下回る可能性は低いであろうと思います」

 また、飛行科のパイロックリーチャートたちにも心理的な抵抗力は必要十分な程度にあるようですと付け加える。

「なるほど」

 難波副長はうなずいた。

 素質面での不安がなく、その上、飛行科の人外漢クリーチャー……と、もとい、男たちと接するのにもなんとか耐えられるようであれば問題なかった。訓練が足りてない部分は、これからの道中で補えばよい。

「私が直に接した時にも、不慣れな様子ではあったが、天球図の縮尺から本艦予定針路の総延長と所要時間を算出しようとしていたようだったし、利口な子でもあるようね。それならば大丈夫かな」

 大変だとは思うけれども、キチンと面倒をみてやってほしい――後藤主計長にそう告げて、難波副長は一旦はなしを切った。

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