第32話 ハコ入りの日


 劇団ジョーカーの公演仕込みの日が来た。今日は一日がかりの予定だった。

 橘さんの噺がどうだろうと俺はやれることをやる。そうするほかにないのだ。大勢で作る舞台になら、俺は上がれるから。


 どんよりした曇り空だった。十一月の下旬にもなると東京だって寒くなる。肉体労働するこんな日にはちょうどよかった。


「パンチ張るよ!」


 舞台監督の瀬戸さんが声を掛けると周辺で待機していた連中が集まった。指示に従って板張りの床に養生テープを貼り、両面テープを重ね、パンチカーペットを敷き詰めていく。パネルを立てベンチを置きホリゾントに大黒おおぐろ幕を吊ると舞台はみるみる葬儀場ロビーの入り口になっていった。


「吊り込み始められるか?」


 のっそり顔を出すのは照明の鈴木さんだ。瀬戸さんが舞台下を示した。


灯体とうたいここで待って下さい。パンチ上コロコロ!」


 パネルの木屑が散っているのを掃除するためのコロコロはまだ楽屋だった。一人走る。しばらくは照明作りなので俺も引っ込んだ。


「舞台どんなですか」


 楽屋に入るなり乃木さんに訊かれた。今一人来たはずなのだが、尋ねる間もなくコロコロをつかんで行ってしまったそうだ。テンパってるな。


「照明にかかってる。モニターつながってないの?」

「まだです。瀬戸さんに言ってきますね」

「俺行こうか」

「いいですよ」


 それなりに場数を踏んだ乃木さんには余裕がある。もちろん同期の美紗がいないことで心細くはあるのだろうが、後輩たちにそんな様子は見せていなかった。持ち道具の梱包を解くように指示して乃木さんは出ていった。


「浮き足だってて初々しいんだね」


 代役客演の曽根さんにささやかれた。

 客演の三人は仕込み終わりの時間に入ってくれればと言われたが俺と曽根さんは早く来ていた。そんな偉い身分じゃない。二ノ宮さんは「ババアだから力仕事の役に立たないもん」と後入りだ。


「こういう劇団は入れ替わり激しいですから。三年目ぐらいまでの人が多いんじゃないかなあ」

「そんななの? それは大変だわ」


 俺は自分の衣装をチェックした。一人だけ衣紋掛えもんかけなのでハンガーラックから斜めにはみ出していた。

 美紗はすぐ衣装に消臭スプレーをかけるんだと思い出した。楽屋で使った布巾もタオルも必ず持って帰って漂白してくる。ウェットティッシュはそんなにいらないと思うくらいあちこちに置いてくれる。誰かが楽屋を散らかしているとすぐキレる。

 二人で過ごした時間のことより芝居に関わる記憶の方が鮮明なのは、やはり俺たちはただの役者仲間だったのだ。少なくとも俺の中では。

 プツンと音がして舞台モニターがつながった。バトンが下りていてサスペンションライトを取り付けているところだった。劇団員たちが袖や客席に下がって見守っているのが映っていた。

 手持無沙汰な俺はカバンのスマホをチェックしてみた。仕事はNGにしてあるから事務所の連絡はないはず。だが公演ギリギリになってチケットよろしくと誰かが連絡してくるかもしれなかった。メッセージを開いた俺は動きを止めた。


〈調子どうだ〉


 そう送ったままの美紗へのトーク。既読がついていた。いつ見たのだろう。しばらく気にしていなかったのでわからなかった。

 楽屋の真ん中に出された長テーブルの端で俺はパイプ椅子に座り込んだ。テーブルには不燃、可燃、ペットとペンで書いた分別用ゴミ袋が養生テープで貼り付けてあって物悲しい。いつもこれを仕切っていたのは美紗だ。乃木さんが引き継いだのかもしれない。


『役者さん舞台集合。明かり決めまーす』


 モニターから瀬戸さんの声がして、俺は顔を上げた。スマホをカバンに放り込む。今はそんなことを気にしていられなかった。この舞台は俺の仕事だ。



 照明を台本の流れに沿って作っていく。真ん中の第一葬儀場、上手かみて奥の第二葬儀場、下手しもて手前の屋外。それぞれ抜きで照らしたり、全体を明るくしたり、特定の俳優だけを際立たせたり。


大黒おおぐろ当たってんぞ!」


 照明責任者の鈴木さんは客席後ろからぞんざいに指示を出す。


「行き過ぎ戻せ。はいそこ!」


 灯体ひとつひとつ角度を決め、芝居をまんべんなく見せられるようにする。舞台に役者を上げて立ち位置につかせると、鈴木さんは首をひねった。


「顔暗えな。やっぱ三番と五番ブッ違い! やりながら下手しもて来て」

「はい」


 それは俺の役名だ。葬儀場を出て立ち尽くす場面でサスライトに抜かれるので位置を決める。俺の顔の高さに合わせてもらう間に瀬戸さん舞台監督が足元をバミった。ちゃんとここに入らないと打ち上げで嫌味を言われることになる。


「はーい。地明かり下さい」

「オッケーでーす。じゃあ一時間休憩したら場当たりいきます。それまでに置き道具持ち道具スタンバって下さい」


 ひと通り照明を作ったところで昼休憩だった。とはいえこの隙に音響さんが効果音や曲の音量をチェックし始めて四方のスピーカーのあちこちから音が飛んでくる。ザワザワと動く劇団員の中、演出のジョーカさんは客席で所在なげだった。


「暇ですか」

「だって手ぇ離れてるもん」


 声を掛けると苦笑いされた。ここからは現場のことになる。仕切るのは舞台監督であり、演出家はじっと舞台の評価を待つしかなかった。最終的な責任を押し付けられるためにいるのが本番中のジョーカさんだ。


「仕込みがいちばん落ち着かなぁい」

「ぐずらないで下さいよ」


 かわいこぶるおじさんは困る。すると座席に沈みこんでいるのを見つけた乃木さんが寄ってきてなだめてくれた。

 

「お弁当、楽屋にあります。今のうちにどうぞ」

「うぇーい」


 ジョーカさん共々楽屋に引っこんだ。なんとなくができていて、演出と客演が隔離されている。まあ隣にいられてはみんなが落ち着かないのだろうけど、少し寂しい。そこでお茶とお弁当を出してもらってからもう一度スマホを出してみた。そして血の気が引いた。


〈だめに決まってるよね〉


 そう来ていた。〈調子どうだ〉への返信だった。


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