第29話 釉


 それからしばらくしても夏芽の兄は音沙汰がないらしい。諦めたとは思えないが、店では先生や客の皆さんが守ってくれるからと本人も表面上は平気な顔をしていた。


「家に帰れば隣にかがみんがいるしね」

「俺の仕事は不規則なんだが?」


 あまり当てにしていない口ぶりで言われたので、その通り期待するなと返しておいた。

 大家めいたおせっかいを大矢さんが焼いたとしても夏芽が慕っているのは先生なんだ。父親がわりのようなものだとしても。

 俺の方だって先日ゴタついたばかりで女と関わる気になれない。来る者拒まずでやっていくのは失礼で危険で最低の所業なのだとわかった。流されていてはいけないのだった。

 ならば俺の方から誰かに気持ちを向けることなんてこの先あるのかというと、一生ないのかもと考えたりする。心を乗せたセリフをしゃべりたいと願っているわりに、やはり俺の心はあやふやに雲散霧消するのみだった。


 だが仕事ではとにかく借り物のセリフをしゃべればなんとかなる。二週ぶりに呼ばれた異世界アニメは、だった村長が実は小ボスだったことが判明して苦笑しか出なかった。今回は絵があった。そして俺はあっさり主人公にやられた。

 劇団ジョーカーは公演に向け着々と準備を進めていた。最終確認に舞台監督と美術さんが揃って顔を出し、仕込みの打ち合わせをしてくれる。ハコ入りの日は搬入、建て込み、灯体の吊り込み。それから場当たりとゲネプロで時間との戦いだ。


「鮎原さん、裏の仕切りもしないんですね」


 不安げに言ってきたのは内田くんだった。当日の裏方というのはわりと忙しい。楽屋、受付の管理もあれば、予期せぬ不足品の調達や照明音響スタッフへのお弁当の配食などで劇場周辺を走ることにもなる。その辺りの場数を踏んでいる先輩が指示を出してくれれば、と裏方専任の内田くんは頼りたかったようだ。


「体調悪いんだよ」

「降りた舞台なんて、観たくないんでしょうか」


 しょぼんとされて申し訳なくなった。美紗を決定的に追い込んだのは俺だ。


「気にはしてるだろ。でも本当に、ちょっといろいろ無理が重なってたんだ」


 何も消息を知らない元カノのことをどの口で語るんだろう。淀みなく話す上っ面な自分に呆れた。

 だけど仕方ない、こうなったら舞台を大過なくやりとげて劇団ジョーカーからとんずらするのみだ。



 だが公演本番の前に俺にはひとつイベントがあった。松葉家さの助のお座敷落語会だ。


〈おまえくるの〉


 そうメッセージが飛んできたのは当日の朝だった。また必要事項のみの平仮名。今日は十時からの仕事が入ったものの昼過ぎで終わるので聴きに行ける。少しの覚悟がいるが俺は返信した。


〈行きます〉

〈へえ〉


「いや、へえって何」


 それきり止まるメッセージに苛立った。くそ。

 聴いて品評するのはこちらのはずなのに、どうして俺が試されるような気分になるのだろう。高座から見下ろされるせいか。

 見上げる姿勢は人の話を受け入れやすくなるのだとか。だから噺は高い所からやると聞いたことがある。素直な気持ちで笑え、という仕掛けだ。本当かどうかは知らない。

 だがそんな位置関係のせいじゃなく、たんに俺はあの人に引け目があるんだと思う。芸に向き合う橘さんの姿勢を尊敬しているにもかかわらず、同じことができないばかりか浮わついたセリフばかりをしゃべっているから。


 ついでに夏芽にメッセージを送った。行けそうなら当日夏芽に確認をと言われていたからだ。


〈今日の落語会

 行けるんだけど俺の席あるかな〉


 するとしばらくして、隣のドアが開く音がした。そうくるんじゃないかと構えていた俺がピンポンされる前に開けると、我が意を得たりという笑顔の夏芽がいた。


「かがみんの席なら作るんじゃない? その前にね、窯開けるから見においでよ」

「ああそうか」


 今日は喫茶の定休日だった。本焼きした皿が冷めたので窯から出す日。それが言いたくて来てくれたのか。


「俺ひとつ仕事があるから。それ終わったらアトリエに寄る」

「なんだ忙しいじゃん。かがみんのくせに生意気」

「忙しくしてないと食えないんだよ」


 二時ぐらいに顔出すから、と帰らせた。

 忙しい、か。確かに少し仕事は増えた。まだまだ近所のイベントに参加する余裕がある程度だが。

 夏芽は俺の名前を検索しただろうか。どうせロクな経歴が出てこなかったはずだ。エゴサで傷つきたくないので俺自身はしない。本当に大したことはやっていないから。

 今日の仕事だって海外商品通販番組のボイスオーバーだった。品物はエクササイズ用品。


〈うん、脂肪が燃えてるって感じるよ!〉


 そんな言葉のどこに真実があるっていうんだ。俺には燃えるような脂肪もあまりないが、画面の中の男のようなパンパンの筋肉だってなかった。




 アトリエの扉は閉まっていた。外気を入れるにはそろそろ寒い。山の紅葉のニュースを見かけるし、街を歩いてもふと銀杏ぎんなんが香るような季節だった。


「夏芽」


 コン、と叩いてからのぞく。ふわりと微笑みながら作業する夏芽は幸せそうだった。慈しむような視線が手にした器の上からそのまま俺に流れてきた。


「あれ、もうそんな時間」

「ん」


 近づいて窯をのぞいてみた。中はそんなに大きくない。すでに出された作品も思ったより数はなかった。


うわぐすりがくっついちゃうから、ゆとりがいるの」


 一度の素焼きをまとめて本焼きすることはできないのだそうだ。つくづく手間の掛かる作業なのだなと自分の無知を恥じる。皿なんて百均でも売っている物だし、こだわりもなかった。


「まだ少しあったかいんだな」

「開けたばかりはそうね。かがみん来るまで終わらないように昼すぎてから来たし」

「え、ごめん」

「出したては釉が鳴るんだよ。聞かせたくて」

「鳴る?」


 すると言った通り、チリ、という音が器からした。チチ、パチ、と時々いう。


「冷えて縮んで、ひびが入るの。鈴が鳴るみたいでしょ」


 かわいくない? と夏芽は愛おしげに皿をためつすがめつした。自分の生み出した物への誇りなのだろうと思った。


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