第27話 つながり


「僕ねえ、モギリも手伝いに行けないんですよお」


 申し訳なさそうに関根が言った。レギュラーの吹き替えドラマのスタジオでのことだ。

 収録前、レシーバーをポケットに引っかけていたら稽古はどうですかと話しかけられた。順調だよと答えたらそれだ。二週間後の公演では受付にも立てない、と。


「僕も観たいし本番の一日ぐらい関わりたいな、て事務所に確認したら出演じゃないのにNGは駄目だって怒られちゃいました」

「いやまあ、そんだけ期待されてるってことでしょ。忙しくて何よりだよ」

「ですよねー」


 関根はさわやかな笑顔だった。いちいち仕事を鼻にかける奴だと思うが最近それにも慣れてきた。むしろほめられ待ちの犬ぐらいに考えてながめていればかわいいものだ。


「鮎原さんはどんなです。もう怪我は大丈夫でしょ?」


 あまりかわいくないことにまで気が回るのはこいつの嫌なところだった。ざわわと胸が波立つのを隠し淡々と応じた。


「怪我はいいけど体調崩したらしくて。どうせ降板したし劇団休んでる」

「え、マジですか」


 マジだ。いろいろなことを端折ってはいるが、それ以上言うことはない。俺はさっさとイヤホンを片耳に突っ込むと椅子に座り、台本とペンを出して関根を無視した。なんとなく話し足りなそうにされているのが視界に入ったが見ないふり。


 だって何を言えばいい。美紗は目を覚ましたかもしれないが、俺にそんな連絡は入らないはずだしもう無関係なんだ。世界を拒絶することにした美紗は俺のことも拒絶しているのだから。

 そもそも美紗とつながることを拒んだのは俺の方からだった。それはたかが体のこと。だとしても心を殺して必死に普通をよそおう美紗を世界につなぎ止めていたのは俺との何かしらだったのかもしれない。あのぎこちない恋人ごっこ。

 俺からはなんの心も分けてやらなかった行為がそんなクソ重いものだったなんて、思い返しても萎える。そんなギリギリのつながりはほしくなかった。


「――はい、おはようございます。お願いしまーす」


 音響監督の声が降ってきて、こんな思考が今のこの場にふさわしくないのを思い出す。俺は首を回して深呼吸した。仕事に入っているということを忘れてはならない。

 最終回近く、大団円に向かう物語ドラマはすべてが綺麗に納まっていく。俺が生きている世界はそんなふうにで終わったりはしないのに。

 作り物めいた言葉で出来上がっている俺の現実はズルズルグダグダ続いていて、作り事のようにはケリがつかなかった。



 仕事をなんとか平静に終わらせ、関根に有無を言わせずスタジオを出た。この後もう一本仕事が、などと呑気な話を聞きたくなかった。昨日CMで会ったばかりの本村さんも今日は何も言ってこなかった。

 午後の空いた電車に揺られると頭がぽっかりと楽になる。釣瓶落としと表現される秋の太陽は日中でも低かった。そりゃあすぐに落ちるだろう。夕暮れはまだなのに陽射しが目にしみた。

 駅前のスーパーでは小間切れ肉とモヤシを買ってみた。よくわからない意地をみせて料理をしてみようと思う。包丁もまな板も使わずに済む肉モヤシ炒め。久しぶりすぎてフライパンを洗うところからだ。冷蔵庫に入っているサラダ油は無事なのか心もとなかった。

 だけど俺は暮らしていかなきゃならない。何もかもを拒んで死ぬなんてことはできないから。


 帰路の商店街に入ってしばらく、俺がすれ違ったのはスーツの男だった。ろくに見もせず通りすがって、突然ゾワッとした。振り返る。こいつ、知ってる気がする。

 相手は気にする様子もなく歩いて行ってしまった。後ろ姿を見送り、俺は心当たりのなさに首を傾げた。知り合いではないと思うのだが。


「お帰り、かがみん」

「――大矢さん」


 〈喫茶・天〉に近づいたところで怒った顔の大矢さんが仁王立ちしていた。隣には険しい目をした白髪のお爺さん。二人して駅の方をにらんでいる。


「どうしたんですか」

「……そこでスーツの奴のこと振り向いてたね。あいつを知ってるのかい」


 ヘの字口で問われた。見てたのか。


「いえ。なんか見たことある気がしたんですけど。誰です」

「夏芽ちゃんのお兄さんだってさ」

「え? ――あ、部屋に来てた男だ!」


 ドアレンズ越しの廊下を横切った奴だった。インターホンを連打し「出てこい」と怒鳴っていたあれは兄なのか。呼び捨てのわけがわかった。大矢さんは顔をしかめた。


「部屋に来た?」

「夏芽が留守の時にドア叩いてたんです。今日は店に?」

「ああ。あたしと熊さんで追い出してやったよ」


 少し得意げに大矢さんが胸を張った。うなずき合うお爺さんが熊さん、つまり熊田さんなのだろう。任侠映画好きの人だ。かくしゃくとしたご老人だった。


「――追い出されるようなことをしたんですね」

「ああ。夏芽ちゃんのこと怒鳴りつけてねえ」


 俺は眉をひそめた。店の扉を開けて中をのぞくと椅子に座り込みカウンターに突っ伏した夏芽の背を先生がさすっていた。そっと呼びかける。


「夏芽」

「ああ各務君」


 こちらを向いた先生は悲しげだった。怪我などはなさそうなので本当に大声を出しただけらしい。居合わせた客はみな常連ばかりのようでそっと見守っていた。今ここで俺だけが、夏芽の抱える事情を何も知らないのかもしれなかった。いたわられる背中は小刻みに震えながら大きく呼吸を繰り返していた。


「ほら夏芽君、各務君も来てくれた。みんないるから、もう怖いことはないよ」


 先生が子どもをあやすように言い聞かせた。怖くない。

 意味がわからなかった。あの男は兄だというのに夏芽を怖がらせるのか。夏芽に怖いものがあったのか。


「かがみん……?」


 のろのろ気だるく動く夏芽は血の気のない白い顔をこちらに向けた。ぼんやりした瞳が俺を捉え、それからすぐに先生を見上げる。すがりつく視線が先生と俺の間をゆらゆらとしていた。


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