第17話 夢みるだけでは


 それにしても劇団ジョーカーには若者しかいない。それはそうなるだろう、みんな声優になる夢をみてここにいる。叶えるか、どこかで諦めて辞めていくかだから。


「――そういうわけなんで、臨時オーディション開催するぞー」


 美紗が怪我して降板するという経緯を説明しジョーカさんが宣言したものの、女優陣の反応は微妙だった。

 美紗の役は三十代後半の少々色気のある女。この舞台で役がつかずスタッフ専任だった女優は、まあまあベテランの小太りでファニイな三十代さん以外は二十歳そこそこの若手だけだった。しかも俺からみてもチャワチャワとしたアニメファンあがりみたいな子が多い。

 声優というものをアニメに声を当てる人と認識し、かわいい声を出せばいいんでしょと考える。その意識が変えられずに、ここにいればなんとかなるかもと在籍している女の子。そんな連中にあの役はつとまらない。

 彼らは等身大の自分でできる役を欲しがるし、そのままの自分を褒めてもらいたいだけだ。むしろその図太さに感心する。よほど自分に自信があるんだな、俺は俺自身を舞台でさらけ出したりしたくない。

 堀さんにバッシングが集まったのは唯一の若い役をかっさらったからだ。いちばん若くて小柄で制服に無理がないんだから順当だろうという客観的な意見は取り残された者たちには通用しない。彼女らは自分自身を否定されたと感じその捌け口を求めているだけだった。

 さあ、どうする。俺は稽古場の端から無表情に眺めていた。自身とかけ離れた役柄を演じる気構えぐらい見せてみろよ。


「受ける人いない? いきなりだし本番まで急ピッチだけどさあ。主演張りたかった人、チャンスだろ」


 知らん顔でジョーカさんが煽る。


「これけっこう重要な役だぞー」

「男の子でもいいんじゃない。おもしろそう」


 またニヤニヤと二ノ宮さんがまぜっかえした。関係ない顔をしていた男どもがぎょっとする。さすがに俺は苦笑した。


「筋立てが変わりますよ。お父さんの浮気相手疑惑の役なのに」

「〈お父さんに彼氏? 世間体だけで嫌々お母さんと結婚して産まれたのが、あたし?〉って感じ。それも楽しいわあ」


 二ノ宮さんが女子高生っぽくセリフを作って遊んだ。その口調が堀さんのやっている主役そっくりなうえ、わりとかわいく聞こえるのがすごい。こういうことなんだと思う。なんでも演じてきた女優のすごみだ。


「台本改変の時間あればな。各務、落語出身だから女もいけるでしょ、やる?」

「また悪ノリして」

「おまえの声だとちょっとオバサンぽすぎるか。少年系じゃないもんな」

「真面目に検討しないで下さい」


 一歩引いた立場の俺たちの軽口は、もう一人客演を呼ぶあてがあるとジョーカさんに打ち明けられていたからだった。

 どうせ残ってる女優でれる奴はいないからと知り合いに打診済み。なのにオーディションするぞとか言って人が悪い。安全な所から不満言ってるだけの連中に無理難題突きつけてやるんだよ、だそうだ。このオーディションはグダグタに終わる予定だった。


「時間もったいないんで、内田くんに着物の所作見せてていいですか」

「あ、持ってきてくれたんだ。悪いね」


 俺はジャケットを脱ぐと荷物を持って立ち上がった。それをクン、と二ノ宮さんが引っ張る。


「……怒ってるねえ」


 何故か優しい笑顔でささやかれた。




 代役には結局三人が立候補したらしい。そして全員ジョーカさんのお眼鏡にはかなわなかった。俺は和装の身のこなしを内田くんに淡々と伝えていて、オーディションを一瞥もしていない。

 意地悪いほどに突き放したのは最近の劇団の状況に苛ついていたからだ。おかげで美紗は変な気をまわし自滅した。俺が堀さんに接近するとでも考えたのか。若い子に乗り換えられるなんてプライドが許さなかったのかもしれない。とはいえそんなことはきっかけにすぎず、俺と美紗はもう潮時だったんだ。

 だけどそうだよ二ノ宮さん、俺は怒っているらしい。いろいろなことに。

 負の感情を声や行動に反映させるのは実は簡単なことみたいだ。それをこの数日で俺は痛感した。俺は役者として少し成長した。

 でも先日の夏芽にはひどいことを言ったと思う。先生のことに言及したあれは俺の抱えた何かの八つ当たりだったかもしれない。俺は何をやっているんだろう。

 劇団の連中はどうでもいいが、夏芽には謝ってみようか。




 夏芽をつかまえるのに隣の部屋を訪ねるのはアウトだと思う。ならば昼間の職場だ。俺は〈アトリエ喫茶・天〉の定休日も営業時間も知らないが、駅に行く途中に見ると開店していて安堵した。今日は昼からの仕事で、その前に何か食べて行きたかったのだ。


「いらっしゃい」


 先生が穏やかに迎えてくれて力が抜けた。ここは世間の時と隔絶していて俺も不思議とゆるむ。でも夏芽の方はなんとも言いがたい顔で無言のままおしぼりをくれた。俺は先生に向かって訊いた。


「朝昼兼用で何か食べたいんですが」

「お食事メニューもありますよ。ナポリタンとか」

「そういや喫茶店のナポリタンて食べたことないです」

「じゃあ作りましょう。大盛り無料でね」

「お願いします」


 引っ込んだ先生を尻目に夏芽を見やった。むう、と口をとがらせて所在なげなのがあからさまに変で笑ってしまった。それを聞きつけて不満そうににらんでくる。


「悪かった」


 俺は小さく、だけどわかりやすく謝った。


「立ち入ったことだった。ごめん」

「バーカ」

「もう言わない」


 それだけ告げて、俺はカバンから本を出した。移動中や待ち時間に『七タン』第七王女は名探偵の原作漫画を履修中なのだ。すると夏芽がヒョイと隣に腰をおろす。なんとも馴れ馴れしい店員だ。


「何読んでるの」

「仕事の原作」

「え、アニメ?」

「ん」

「何、なんてやつ?」

「あ、駄目だ。公式発表まで口外禁止だった」

「いーじゃん教えなよ! あ、少女漫画だ!」


 夏芽はくっついてのぞき込もうとする。

 一方的な謝罪でも許してくれたのか、許さないけど流してくれたのか。とにかくこれまで通りの夏芽がそこにいて、俺の呼吸はいくぶん楽になった。


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