しゃべろうか、他人の言葉で

山田とり

嘘つき

第1話 代わりはいくらでも


「はーい。じゃ確認しまーす」


 映像が止まり、音響監督の米沢よねざわさんの軽薄なダミ声がスピーカーから降ってきた。しんと固まっていたスタジオ内の空気がゆるむ。

 今の時間帯はわりと人が多かった。本線の収録ではなくモブとガヤ寄り。外にも待機組がいて入れ替わり立ち替わり細切れに録っていく。編集が大変だ。


 これだと芝居どころじゃないと思う。

 別録りのセリフ相手にタイミングだけで演じなくてはならないことも多い。そんな環境でド新人はどうやって演技を磨けばいいんだろう。

 起用する側だって新人たちが信用ならなくて困るはずだった。俺も若手ではあるが、感染症コロナで業界がブチのめされる前にわずかでも制作サイドに食い込んでおけて本当に助かった。

 

「オッケーでーす」


 この軽薄なおじさんの音響監督、米沢さんは吹替えによく俺を使ってくれる人なのだが何故か悪役ばかり振ってくる。今日もだ。意味がわからない。

 今回俺は原子力潜水艦をジャックするテロリストの一味の親玉――を裏切る部下だった。「だって各務かがみさんボス声じゃねえもん」と以前言われたことがある。

 なんかわかる気もする。俺にそんな貫禄はない。見た目もヒョロいし、この業界で二十九歳なんて若造だ。


「各務さんはこれで上がりっすね。ありがとうございました」


 名指しで言われた。副調整室サブを見るとマネージャーが来ていて、くるくると指を回している。急げ、てことか。俺はイヤホンとレシーバーを外すと他の声優たちに軽く頭を下げた。伸びた前髪が目にかかった。


「次あるんですか」


 隣にいた一年目のガチの若手ジュニアが微妙なうらやましさをにじませて小声で言った。


「代役で。熱出した奴がいてさ」


 短く答えて俺はさっさと防音扉を出た。

 副調に顔を出すとマネージャーの本村もとむらさんが待っている。その横で俺は米沢さんに向かって挨拶した。


「お疲れさまです、今日はありがとうございました。お先に失礼します」

「おーう、お疲れさまっす」


 音監以下、プロデューサーや翻訳家、ミキサーなどの技術職、そして各事務所のマネージャー。誰がなんだか把握しきれてはいないが問題はなかった。十把一絡げに頭を下げて俺はそそくさと出口に向かう。扉を出る時、もう米沢さんの次の指示が飛んだ。


「そのままの流れで78分からの管制室、マケインは別線で録ってるんでデントと管制官A――」


 俺など元々いなかったように現場は進んでいく。今日は代役に向かうが、体調を崩したのが俺ならば逆に誰かが俺の代役に立つ。

 いくらでも取り替えのきく声優、各務かがみ悠貴ゆうき。それが俺だった。




「本村さん、来てくれたんですね」

「そりゃ若手の先出しねじ込んで知らん顔は駄目だろ。録り順上げてもらったんだから。各務くん一人で出てくるの?」

「……嫌です」


 今日の仕事は映画一本だけのはずだった。だがスタジオに向かっているとスマホが鳴り、十六時~十九時で急遽代役だという。同じ事務所の奴が高熱で、ボイスオーバーにと。ちなみにボイスオーバーとは完全な吹替えではなく裏に原語が残っているやつのことだ。ニュースやドキュメンタリー系によくある。


「向こうにも代打の謝罪するから。そこまでは行く」

「お疲れさまです」

「だろ。俺はそこで帰るから、後はよろしくな」


 本村さんは何でもなさそうに笑った。その後だってスタジオをハシゴするか事務所に戻るか、歩き回るんだろうに。

 もう六十がらみのくたびれたおじさんなのだが、俺はこの人に頭が上がらない。俺をこの業界に拾ってくれた人だ。


「昔はなあ、熱なんかあったって、声が出るなら来いって感じだったんだぞ」


 早足で地下鉄駅に向かいながら本村さんは昔話を始めた。こういうのも知っておくと何かの役に立つかと聞くことにしている。まあ、これまでは利用できる場面などなかったが。


「この業界、根っこは体育会系ですよね」

「喉ゼロゼロで声出ねえって言ったら、ホントにしゃべれない状態か連れて来いって現場で証明させられたこともある」

「それはブラック過ぎでしょ」

「マジだぞ。感染症で世界は変わったなあ」


 その前からじわじわと変わってきていたのだが、確かにアレで業界は一変した。

 昔々、映画一本の吹替えは十時から入って二十二時までスケジュールを押さえられるのが普通だった。大抵は十八時頃に終わるので、その後の打ち上げ込みの拘束時間だと言われていた。

 新人なんて持ち台詞は冒頭に一言だけでも、それを録り終えてから何時間もスタジオに詰め、最後に群衆のざわめきガヤ録り。俺もそういう目にあって非効率的だと不満を感じたことがある。

 だがベテランの演技を見ていられたのは今思えば財産だった。元が演劇畑じゃない俺は、そうやって声優の台詞回しに慣れていったんだ。


「また芝居出るんだな。NG入ってたじゃないか」


 思い出したように本村さんが言った。先の予定を見てくれたのか。二ヶ月後の客演舞台のスケジュールNGはまだ入れたばかりなのに。


「いつもの劇団トコですけど」

「彼女の?」


 はあ、まあ、と曖昧に俺はうなずく。一応彼女がいる劇団だ。だがその女、美紗みさは、本当に付き合っているのか微妙な気分になることも多い相手だった。


「今日も夜、稽古です」

「そういう場数は踏んだ方がいい。出来が良さそうならスタッフにチケット撒いとけ」


 ちゃんと演劇をやっているんだというアピールは、まともな芝居するから仕事回しても安全だというプッシュだった。だけど本村さんは違うことも要求する。


「たまに落語もやれよ。素人落語会をさ。俺はおまえのはなし好きなんだよ?」


 本村さんが俺を拾ったのは落語が縁なのだが、そう言われても。

 俺にとって落語は微妙に喉につかえるとげみたいなものかもしれない。俺が舌先三寸で生きるようになった元凶。おかげで会話に口ごもらず適当な返しができるようになったとは思う。

 だけど俺の言葉は空虚なままだし、しゃべってもしゃべっても芸の世界は俺には遠い。


落研おちけんの人たちだって仕事がありますから」

「ああ、働き盛りの世代になってきてるか」


 忙しいよなあ、と本村さんは苦笑いした。



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