死人斬り

空殻

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骨ヶ丘には死人が現れるという噂を聞き、菊太郎は丑の刻に、ただ一人出かけていった。


菊太郎は剣術道場の師範として、主に村の子供相手に剣術を教えては、僅かな食い扶持を稼いでいる。しかし、彼自身は剣術を極めることを望んでいて、ただ教えるだけの日々に飽いていた。

そんな時に、骨ヶ丘の死人の噂を聞いたのだ。


菊太郎が骨ヶ丘に辿り着くと、果たしてそこに死人はいた。腐乱して白骨が覗く肉体をゆらゆらと動かしながら、死人は徘徊している。それも一人二人ではなく、十はくだらない数の死人がいた。


菊太郎は刀を抜く。少し体は震えたが、それは文字通りの武者震いだった。


踏み込む。

正面の死人を直上から叩き斬り。

切り返す刀はその背後の死人を斬り上げる。

死人も棒立ちではいない。

一人が菊太郎目掛けて飛びかかる。

その胴体を菊太郎は蹴り飛ばし。

袈裟懸けに斬った。


瞬く間に死人が三人斬られて。

腐った血が噴き出して。

腐った臭いが骨ヶ丘に立ち込める。


しかし死人は既に死んでいるがために。

斬られてもまた立ち上がる。

それをまた菊太郎は斬り捨てて。

死人の腕が斬り飛ばされる。


斬っても斬っても死人は減らない。彼らは緩慢な動きであるために、菊太郎は傷を受けてはいなかったが、既に疲労が蓄積し、体力の限界に近づいていた。


かつて菊太郎は、刀一つ携えて、放浪していた時期があった。

それはただ単に剣術修行のために各地を旅していたのであったが、野盗に襲われてやむなく人を斬ったことが何度かある。その時に、人を斬ることの難しさを悟ったのだ。

技術的には斬ることは容易かった。剣術修行により彼の腕は確実に磨かれていて、そこらの野盗に後れを取ることは無かったのだ。

だが、肉と骨を断つことに伴う肉体的な負荷と、何よりも命を奪うことへの精神的な負荷はどうにもならなかった。

殺し合いのなかでこそ、彼の五感は極限まで研ぎ澄まされ、ただの修練では手に入らない感覚を手に入れることができたが、そのたびに彼は疲弊していった。


それゆえに、彼は旅の果てに、一つ所に身を置いて、剣術道場を構えたのだった。

ただの武道としての剣術であれば、人を斬ることは無い。


それでも剣の道の、さらに高みへと至ることへの渇望がいつの間にか抑えきれなくなった。

夜毎、放浪時代の思い出を、とりわけ野盗と剣を交えた時の、あの真剣勝負を思い出した。命のやり取り、その中でこそ、最も腕は磨かれた。そんな考えに取り憑かれていった。

そしてこうして死人を斬ることを思いついたのだった。

死人であれば、少なくとも命を斬り捨てることにはならない。

それは冒涜した、人の道からは外れた試みであったが、剣の道に背くことはできなかったのだ。


そして、彼は今、夜更けに死人を斬り、また疲弊して今にも倒れそうになっている。

浅く呼吸をしながら、彼は自身の愚かさを思い、自嘲の笑みを浮かべた。


死人は鈍い。菊太郎が全速力で駆け出せば、逃げ切ることは容易だろう。

しかし、彼はそうしなかった。刀を構えたまま、迫りくる死人の軍勢に相対する。

ここで逃げても、自分はまた、剣の腕を極めることへの焼かれるような願望を抱えたまま、日々を生きていくだけなのだろう。

それは彼にとっては、もはや無為に思えた。まさしく死人のように余生を過ごすことに他ならなかった。


叫び、吼え、斬りかかる。

死人の四肢を何度も斬り飛ばし。

胴を何度も斬り下ろし。

首を何度も刎ねた。


それでも動き続ける死人たちを。

斬って。

斬って。

斬った。


斬ること以外の思考が消えていく。

漂う腐臭も感じない。

疲労も感じない。

呼吸も忘れて。

ただ斬り続ける。

斬る。

斬る。

斬る。


気が付くと、菊太郎の周囲で、死人たちは倒れ、もはや動かなくなっていた。

屍山血河の中に、彼は倒れ込む。体はもう全く動かせない。

だが、死人も動かない、つまり、菊太郎の剣は死人をも斬り殺すことができる域に達したのだった。

そのことに満足し、菊太郎は眠りにつく。


後に、剣術道場の師範としての生活に戻った菊太郎は、それ以降生涯、人を斬ることは無かった。

『彼の剣は死人をも斬り伏せる』、そんな噂が立ったことで道場は繁盛したが、しかしその極意を彼が伝授することはなく、受け継ぐ者もいなかった。

かくして、死人斬りの剣術は過去に消える。

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死人斬り 空殻 @eipelppa

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