最終話 カップの底には余りが残る。
土曜日の朝、私は、琇の部屋で目覚めた。
着替えはない。下着も。
あの後、琇はコンビニへ行こうとしたけど、私が止めた。気持ちを、途切れさせたくなかったから。
「おはよう」
琇は、グレーのスウェットに着替えている途中だった。
「……おはよ、どっか行くの?」
「瑞稀の着替え、今からでも買って来るよ」
「一緒に行きたい。あんたの服で良いから」
私は布団をめくった。
冷たい空気が素肌に当たる。
「瑞稀、その姿はまずい。すごく、まずい。僕的に」
昨晩、私達は最後までした。
でも琇は、最期まで、行ってない。
私のために直ぐに、止まってくれた。
動かずに、抱きしめてくれた。
それを思い出すと——。
……なんでもない。
だから琇にとって、今の私はとても、ツラいのだろう。
「——まだ痛む?」
「んー、わかんない。あんたのおかげかも。……あんたこそソレ、大丈夫?」
「……大丈夫じゃないから、外へ逃げたいんだよ」
「あはは」
昨晩の私達はずっと、おしゃべりしてた。
おしゃべりの途中で始まって、終わってからまた、おしゃべりしてた。その時の涙は、痛み、ではなくて、嬉し涙だった。
涙をシャワーで流す事もなく、自然に、眠った。
琇の爆発した頭を見るに、そのままスウェットを着たようである。
「
「瑞稀だってそうじゃん」
「だから
琇がベッドへ近づいてしゃがんだ。きっと収納ボックスから私が着れる服を出してくれるのだろう。
「おら琇、上を見ろ」
「……やめてよ」
「うえ見ろってー」
私は琇の頭にガバっと抱きつく。
「マジで、やめて欲しい」
琇の鼻息が当たって、くすぐったい。
次第に琇の頭が上がって来て、私の口元まで近づいた。
「琇、口臭い」
「知ってる。瑞稀からも、匂ったから」
「もう、ばか——」
言いかけた私の口が、塞がれた。
いつものキスじゃない。
昨日のキスだ。
これから沢山回数が増える予定のキス。
お互いにまだ歯も磨いてないのに、不快な感じはしない。むしろ、直ぐに離れてしまって、名残惜しい。
「……するの?」
「やめとく。次のためにね」
「次? なんか怖いんだけど」
「そーゆー効果も狙ってるから」
「ふふっ、なにそれ?」
「ははっ、知らない」
笑いながら琇は、丸まったボクサーブリーフと、私にジャストではないジャージを、手渡してくる。
「いーのか? 服着ちゃうぞ? ちゃんと見とけって」
「だから、やめなって」
「へへ」
照れる琇に、私もてれた。
「そうだ瑞稀、顔ぐらいは洗ったほうが良いかも。メイクがすごい事になってるよ?」
「へ? あ、そっか。恥ずかしっ」
「それは恥ずかしいんだ? やっぱり瑞稀はわかんないや」
「嘘つけ。いつも、わかってるくせに」
「わかってないよ。ただ
「ふふん、なるほどねー」
私が洗面台で顔を洗って髪をしばっている間に、琇がコートを着ている。いつもの上品なやつとは違うけど、それでもスウェットの上に着るには、かなり合っていない。
「あたしの上着貸そうか? あたしがソレ着るから」
ジャージの上にも合っていないと思うけど、なんとなくそっちの方が暖かそうだ。
「……瑞稀、コンビニ行ったらさ、その後どうする?」
琇はそれに応えずに、真顔で返す。
「どうするもなにも、制服着て帰るけど」
「家から何か、連絡とか来てない?」
「わかんない。『彼氏の家に泊まる』ってLI○Eしたっきり、電源切ったから」
お母さんとの応答が面倒くさかったし、もっと琇を、見ていたかったから。
「瑞稀、敢えて言うけど、きみ、バカでしょ?」
「あんだと、このやろー?」
「どう、言い訳するつもり?」
「言い訳なんて、しねーって」
「はぁ……」
琇は本当に、困った顔をしていた。かなり、可愛い。
「……ねえ琇、怖い?」
「何が?」
「しちゃったこと」
詰まるところ、私がここに来たのは、琇から話を聞くため。泊まったのは、「しちゃったこと」をする為である。でも私達は、何も準備していなかった。
「……瑞稀は?」
「あたしのことは良いって。あんたは、どう思う?」
「少し、少しだけ、怖い、かな」
実は私も、少しだけ、不安だったりする。
「どーゆー部分が?」
「一緒に居られなくなることが」
その答えが、かなり嬉しい。
私の親友の美空には、父親がいた。でも、美空の家族にお父さんは居ないのだ。琇はそういう事を言っているのだろう。わかりやすい終わり方をしていなかったとしても、可能性はゼロではない。
私の不安も同じ。
「ねえ琇? 今日バイト休んでさ、あたしンちに来ない? お父さんも居るから」
「それは少し、じゃなくて、すごく怖いね。はは」
それはそうだ。
「……あたしがココに居るの、失敗?」
もし私達がそうなってしまったなら、それは明らかな失敗である。
「間違い、ではあるかも。でも失敗は、別の部分だ——」
「べつ?」
「瑞稀がここに居るのは失敗じゃない。だって僕ら……ふっ、くく」
「ナニ笑ってんのよ?」
「ごめん、今さっきのやり取り、かなり楽しかったから。失敗はさ、僕の準備不足、それだけだよ」
「あはは、たしかに」
私もかなり楽しかった。そういう進み方ができて、嬉しかった。
「まさか瑞稀がここに来るなんて、想定してなかったからさ。そういう部分が失敗だったよ」
「そんぐらい想定しとけって。あたし、あんたの彼女だろー?」
私も全部、琇任せにしていたきらいがある。そこは私の失敗。
たぶん私達の失敗は、これからも色々とあるだろう。でも一度失敗したなら、その後どうすれば良いのか知ることができる。どれだけ間違えても、そういう失敗ができたなら、間違いにならない方法を見つける事ができるはず。きっと。
そうやって私達は、より洗練された関係になってゆくのだ。たぶん。
「ところでさ。瑞稀のお父さんとお母さん、僕らに対して、どれだけの準備ができてるんだろうね?」
「知らん。つーか準備なんてしてないでしょ? あたしが親なら、自分の子供に間違いも失敗もして欲しくなくて、失敗から遠ざけようとしちゃうかも」
準備は失敗しない為にするものだ。失敗してから、準備する方法がわかる。失敗しないとわからない。きっと世の中、そんなもの。子供の私にもわかる、簡単な
「ふふ、もう母親気分?」
「こえーこと言うんじゃねーよー」
実はそんなに怖くない。
「瑞稀が言ったくせに」
「ふふん、言えてる。でも、心の準備くらいは、できてると思う。だってあたしのお父さんと、お母さんだもん……知らんけど?」
私はお父さんもお母さんも大好きだから、すごく安心してるし、だから、何をしても何とかなると、思い込んでいる。
お父さんとお母さんが、なんとかなってる姿を、なんとかなってないトコロも、見せ続けてくれるから。
「僕の親はそれも出来てないかも。だって、僕の親、だから」
琇の親の話は聞いたことがない。でも琇を見る限り、大丈夫だ。
琇と二人なら、なんとかなる。
「あんたさー? 自分の親くらい信用しろよー」
私は琇の両親も信頼できる。だって琇の親だし、大人だから。
「ははは、そうだね? 瑞稀の言う通り、僕も、信用しよう」
「あたしらは親の信用裏切ったけどな? あははっ」
「台無し! はははっ! つまり僕らを信じた親が、失敗だった?」
「違う違う。だってやっぱりあたし達、間違ったこと何にもしてないでしょ? そーゆーコト!」
そうだ。
私達は間違っていない。
ただ自分らしい事をしただけだ。
怒られても良いけど、否定はさせない。
何もかも受け止めてもらって、何もかも許せる範囲で受け入れよう。
そして私達は少しずつ、大人になってゆくのだろう——————。
私達は部屋から出る。
汚い
「さむっ」
やっぱりこれからの毎週末は、着替えを持ってくる必要がありそうだ。
差し出された琇の手を握ると、少しだけ
ロジカルマキアート!! 終わり。
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