千秋楽

綾日燈花

プロローグ


 主役を喰らう役者。

 ——そう評された者がいた。

 


 私、藤袴蘭ふじばかまらんは、都会の海に飲まれながらギリギリ呼吸を保っていた。

 とにかく暑い。サウナのような熱気、スポットライトのように直接的な飛輪の光。背中に張り付く汗に叫び出したいくらいイライラする。コンクリートもヒリヒリしていた。照らされすぎた頬は、赤く染まっているのだろう。日焼け止めはもはや効果なし。これでまだ7月だというのだから、日本もいよいよ壊れ始めている。

 なぜ会社というものは、こんな密集した場所にあるのだろうか。まあ確かに憧れはあるけれど、それは期間限定で良い。日本全域が都会になってしまえば、人口の過密も抑えられるのではないだろうか。まあ、私が生きている間に、ましてや、現役で働いている間に達成されるような目標ではないけれど。

 こんな時に考えてしまうのは、きちんとシャワーを浴びられるかどうか。災害なんかが起きてこのまま幾日か待機とかだったら嫌だな。

 常に周りにも自分にも気を配らないとすぐに倒れ込んでしまいそうだ。キンキンと鳴る頭を無視しながら歩き進む。

 私は、都内のとある出版社に勤務している。といっても、そこまで有名な会社ではなく、社員は三十人もいない。有名人のいわゆるやらかしなんかを記事にしているだけの小会社。友人の紹介で入社した。同僚同士の交流も少なく、あまり対人関係を得意としていない私には居心地の良い場所だった。それぞれが自分の担当のページを仕上げるだけ。それがちょうどよかった。

 今日は取材。ある俳優の事務所で待ち合わせをしている。太陽の光を反射するビルの前に到着した。ここに彼の事務所があるらしい。迷わず足を踏み入れる。

 相手は、池月千芒さん。最近、名前をよく聞くようになった俳優だ。名前をよく聞くようになったというのは、喜ばしい理由だけじゃ説明できない場合がある。今回もその場合に当てはまる。

 SNSでよく聞く名前だった。それも、短い考察動画なんかでだ。事前に拝見したところ、あえて分類するなら「悪い噂」のようだ。だから、こうやって取材をしようとしているわけなのだけど。

 どれも似てような内容ばかりだった。簡潔にまとめると、「主役を喰らう役者」だと批判されているようだ。いや簡潔すぎて、その言葉だけでは理解できないか。

 「主役を食う」というのは聞いたことがある。大抵、主役以上に圧倒させるような演技をすることを意味する。しかし、それだけではただの褒め言葉。どうやら、その役者、池月さんは、「主役を芸能界から退ける」らしい。彼が出演してきた映画やドラマの主役は必ず不祥事を起こしたり、事故にあったりと何かと不幸に見舞われて結果的に芸能界から消されることになった。もしくは、自ら姿を消すことになった。

 どうせただの偶然なのだろう。誰もが最初はそう思った。しかし、それは一回、二回とだんだん増えていく。今では五回。

 昔、誰かが三回までは偶然だと教えてくれた。繰り返されるにつれて増していく疑い。偶然などの言葉じゃ片付けられないところまで届いてしまいそうだ。


 一人目は、不慮の事故で重傷を負い療養中だ。この方は被害者なので、気の毒だ。ちなみにひき逃げされたようで犯人はまだ逃亡中だ。

 二人目は、麻薬を所持していてため逮捕された。本人は否認しているのだが、かなりの証拠があるため、有罪だろうと言われている。

 三人目は、セクハラとパワハラをしていたことを暴露されあっという間に引きずり落とされてしまった。

 四人目は、不倫で批判が殺到。その不倫相手は今のところ判明していない。そこそこ有名な女優だったのだけれど、最近は全く見かけない。既婚者であるにも関わらず、とある男性を周りを気にしながら家に入れる姿が盗撮されあっという間に広まってしまった。結婚相手は一般人だが、明らかに顔が異なることから噂の種となった。

 どれも詳しい真相は明らかになっていない。それに、池月さんが関与している証拠があるわけではないのだ。それなのに、五人全員がそれぞれ主役を務めた映画やドラマに出演していたという共通点だけで、犯人扱いをされている。

 可哀想だということには可哀想だ。しかし、ここまで偶然が続くと疑われてしまうのも仕方ないことだと思う。

 そんなことを考えながら、彼の到着を待つ。事前に彼のマネージャーさんに案内してもらった。面会用の個室のようだった。クーラーからの心地よい風に髪をなびかせる。

 彼はまだ到着していないようだった。多忙なのだろう。それも仕方ない。

 コーヒーをちびちびと飲む。後で、話すことがなくなったときに、とりあえずコーヒーを飲んで気まずさを軽減できるように。ふかふかのソファと同じくらいの高さの机に、コーヒーを置く。高級感があった。高級なものは、案外使いづらかったりするものだ。

「おまたせしました。」

 マネージャーさんの爽快な声と共に彼は姿を見せた。黒色のマスクに、帽子を深くかぶっている。お洒落なチェックのシャツに、すらりとした足のシルエットを綺麗に映し出すようなボトムを履いている。

 彼は、バラエティなんかにはあまり姿を見せない。そのミステリアスさが、噂をさらに本物かのように見せていた。噂の広がりを加速させていた。だから、このように取材に応じてくれたのはとても貴重なことなのだ。それゆえに珍しく緊張していた。どんなに大物の相手でも肩が固くなることはなかったのに。自分の挙措を一つ一つ確認してしまう。

 彼がこちらに気がつくと同時に、軽く会釈をした。彼は何も言わず、何もせずに近づいてきた。むすっとした感じがテレビで見たまんまだ。定まらない視線に自分は高揚しているのだと感じる。

 気がつくと私の目の前には、池月さんがいた。心臓を撃ち抜かれそうになるほど、衝撃的だった。抽象的に言えば、作り上げられたオーラが私を黙らせた。具体的には、狼のような孤独で澄んだ目に釘付けになってしまった。まるで、操られているかのように。

 一言で言えば眼光炯々で綺麗な瞳だった。しかし、それだけでは表わすことができないほどに複雑な構造をしていた。本当に吸い込まれいくようだった。冥界から天空まで、全てを知っているようで、一番大切なものを知らないような、そんな瞳だった。冬の静けさよりも、夏の静けさを表しているような瞳だった。雪の美しさよりも、枯れたひまわりの美しさを示すような瞳だった。

「こんにちは。」

 彼が言った。開いた口を閉じることができなかった私を心配したのだろうか。彼から話し出すというのは珍しいことなのだろう、多分。ぎこちなさそうだ。

「あ、すいません。本題に入りますね。」

 慌てて謝る。ペコリと頭を下げた。

 恐る恐る顔を上げると、マスクを取った池月さんの整った顔が両目に映る。凛とした顔はやはり孤独だった。思わず陶酔してしまった。今はそんなことをしている場合じゃないと自分を奮い立たせる。

「いやー。本当に池月さんのドラマや映画はヒット作ばかり。次々と作品に出演されてますからとでもお忙しいですよね。そんな中今回は取材を受けていただきありがとうございます。池月さんの魅力を最大限に世に発信できるよう最善を尽くさせていただきます!」

 いつもの決まり文句だった。それを見抜かれたのか冷たい目線を向けられる。

「続いての作品は、さまざまな方向からの愛の形をテーマにした内容の深いものになっていると思います。どのような心持ちで撮影に挑まれましたか?」

「そうですね。」

 模範的なその質問に既に飽きているのか、つまらなそうな表情を見せた。

「その質問、答えてもいいですけど、本当に聞きたいのはそのことじゃないですよね。その質問のためにここにいらしたわけじゃないですよね。」

 仮面が外れた。満点の図星すぎて、笑顔が崩れた。

 即座に自我を取り戻すと再び営業スマイルを顔に貼り付けた。

「やはり鋭いですね。」

 相手はにやりと笑みを浮かべた。

「申し上げにくいのですが、轢き逃げをされたみたいですね。SNSで記事を見つけて。」

 あくまで他人行儀の言い方。そして、あえて断定することで相手を焦らせる。断定に対する反発の反応で真実を探る。

「なるほど。」

 しかし、効き目はなさそうだ。相手は私以上に落ち着いている。

「記者さん。記事に書かれた内容、特にネットの記事なんて、信用できないってこと一番わかってらっしゃるんじゃないですか?」

 目を見て話すのは苦手だ。何か見破られてしまいそうでやましいことがなくても目を背けてしまう。彼は私の瞳をがっちりと捕まえて離さなかった。

 何と返せばいいのか戸惑っていると、追い討ちをかけられる。

「じゃあ、あなたはどう思いますか?この僕が本当に轢き逃げをしたと思いますか?」

 彼はニヤリと悪戯な笑みを浮かべていた。目を逸らそうとしても、獲物のように見つめられている。全て見透かされてしまいそうで怖かった。まずいことを言わないか神経質になりながら答えた。

「あまり事実を推し量るための情報がないので、あまり核心につくようなことはわかりません。」

 小学生のような日本語だ。自分自身に幻滅する。今にも赤面しそうになりながら、続ける。

「ただ、昔、誰かが偶然は三回までって言ってたので。流石に続きかなとは思います。」

 つまり疑っているんだ、そう言うかのような批判的な目を向けられた。

 私が直接疑念を抱いているわけではない。噂を広める側の気持ちも理解できないものではない、というだけだ。

「こっちは、五回までって教わったけどな。」

 彼はボソッとそう言った。本当に神経を集中させていないと聞こえないような声で。

 私はコーヒーを一口飲んだ。

「結局、自分自身ではどう思われてるんですか?」

 本題から逸れてしまったので強引に戻す。相手の気持ちまで目がいかなかった。

「どうして、あなたに答えないといけないんですか?」

 池月さんの言葉に張り詰めた空気が流れる。荒々しさはないけれど、冷たい空気が体中に押し寄せる。一番苦手なタイプかもしれない。直接的ではなく間接的に責めてくる感じが。

「確かに、これは厚意での取材なので、答える義務はありません。」

 答えにくい質問であるのは十分承知している。まともな答えを求めているつもりはない。

「でも、否定されないんですか?」

 ニュースで報道されるようなフラッシュをたかれた悪人たちは大抵初めは否認する。相当な証拠が無い限りは。だから、まずは否定されると想定していた。それが事実なのか否かを知りに来たのではない。

 彼は少し考え込んでから再び口を開いた。

「例えば、事実だったとして、それを隠したい時だけ曖昧に答えたら、バレるだろ。だから、日常的にぼかしておいた方が色々と効果的なんですよ。」

 世紀の発明をしたかのように堂々と説明される。めんどくさそうだった。仕方なく低級の私に時間を割いて説明している、とでも言うかのような顔だった。

「なるほど。」

 そう頷いたものの、わかったようでわからない。わざわざそんなことをする必要があるのだろうか。

 そして賢い。こうすることで、これが事実だったとしても、否定しないことが自然になっている。明らかにおかしいはずなのに、仕方ないと納得してしまう。それが狙いなのだろうか。

 とりあえず、これから何を質問しても答える気はないようだ。先が思いやられる。

「今日はもう終わりでいいですか?」

「いやちょっと。」

「それじゃあ。ありがとうございました。」

 長い目で少し離れたところからこの状況を見ることができたら、嫌われてでも止めただろう。これじゃあ、記事にはならないから、私にとっても無駄な時間になってしまう。

 しかし、真っ黒なその目で見つめられる怖さに彼を止める声が出なかった。

 一度席を立った彼だったけれど、忘れ物をしたように振り返った。そして、その目を揺るがせた。一度その綺麗な瞳を大きくさせてから細めた。

「どうしたんですか?」

 顔を覗き込みながら聞いた。

 返答がなかったので、どうしたものか眉を動かす。

「いや、勘違いかな。何でもないです。」

 そう言うと、速足に歩いて行ってしまった。ソファに座り込むのと同時にため息が溢れた。

 ただの自己中心で流行して調子に乗った俳優なのに、なぜか彼に惹きつけられた。

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