夏の終わりの植物園

 植物園に行こう。

 とある休日、わたしはそう思い立った。


 どこかに出かけたいが誘う相手がいない以上、ひとりで行きやすい場所を選ばなくてはいけない。

 植物園ならば、ひとりで行っても楽しめるんじゃないか、そう思ったのだ。


 電車を乗り継ぎ、乗り継ぎ、乗り継ぎ・・・目的の植物園の、最寄駅に到着する。

 行き方なんて確認しなくても、最寄駅に着けばなんとかなるだろう。

 わたしはそんな甘い考えを抱いていたのだが、その植物園は思ったよりも駅から遠かった。


 気がつくと、わたしは地図を表示したスマホを片手に、炎天下を彷徨い歩いていた。

 立ち止まる度に地図を凝視し、正しい道を模索する。


 午後の強い日差しは、まるでこちらを炙っているかのようだ。


 遠い、遠すぎる。

 これならバスを利用した方がよかったんじゃないか、そもそも、あれは本当に最寄駅だったのだろうか。

 ていうか、なんでわたしは植物園を目指しているのだ? こんなにも暑いのに。


 心が折れそうになったが、ここまで来て帰るわけにもいかない。駅まで引き返すには歩き過ぎた。


 これは修行、これは修行と念じながら、一心不乱に歩き続ける。


 そして、ようやく植物園の正門を見つけた時には、汗だくになっていた。帽子の下の髪の毛もぐちゃぐちゃである。

 それでも、目的地にたどり着いたという達成感で、わたしはしばし暑さを忘れた。


 正門受付でチケットを購入し、植物園に入場する。


 植物園の敷地内は空いていたが、当然、訪れている人はわたしだけではない。歩いていれば、他の散策者とすれ違うこともある。


 日差しと気温のせいだろうか。すれ違う人達は、皆どこかぼんやりとしていて、動きが緩慢だった。

 こんなに暑いと、難しいことなんて考えていられない。

「植物園」という非日常的な空間の中で、人々の心はいつもよりも空っぽで単純になっている・・・ような気がした。

 そのためか、喧騒にまみれた街中と比べて、植物園は異質なほど平穏だった。


 ゆっくりとした時の流れを感じながら、林の中を歩いた。

 一応わたしには、この植物園で見たいものがあった。正門で受け取った園内地図を見て、目的のものがある場所に目星をつける。


 奥へと進んでいくと、開けた場所に出た。そして、目的のものを見つけた。


 サルスベリ。

 そう、わたしはサルスベリの花が見たかったのだ。


 風に揺れる、紅色の花弁。

 すごく綺麗だった。

 全てを呑み込んでしまいそうな木々の緑の中で、怯むことなく色彩を放つ紅。

 あでやかなその姿に、わたしは目を奪われた。


 やっぱり綺麗な花は、綺麗な人に似ている。


 バラを見る時もそうだが、わたしは美しい花に見惚れる時、その花弁の向こうに映る美しい人の幻に見惚れてしまうのである。

 我ながら、不純だ。


 さて、いつまでもサルスベリを独占することはできない。

 名残惜しく思いながらも、わたしは花の前を離れた。


 それから、植物園の中をぐるりと巡った。

 来て良かったなと満足し、正門から敷地の外へと出た。


 街に戻り、背の高いビルを眺めていると、なんだか不思議な感じがした。夢を見ているような、あるいは夢から覚めたような感じだ。


 駅までの帰り道は、行きよりも時間がかからなかった。

 あんなに遠く思えたのは、道に迷っていたせいなのだろうか。


 でも、ガヤガヤとした駅のホームに立っていると、植物園もその奥にあるサルスベリも、ずっとずっと遠くの、遥か彼方に存在するものであるような、そんな気がした。

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