センチメンタルと恥
もう七年くらい前になるだろうか。
イギリスのとある港町に二ヶ月間だけ滞在していた。
いわゆる短期留学だ。
仔細の描写は省くが、楽しかった、すごく。
良い経験をしたと思う。
到着してからの数日間は、早く帰りたくて仕方なかったけれど、
滞在二ヶ月目を迎える頃には、『ずっとこの街にいたい』なんて
思うようになっていた。
帰国まであと一週間、くらいの時だった。
この街で過ごす日々も終わりに近づいている。
センチメンタルな気分になったわたしは、街を散歩することにした。
中心部からほど近いところに、街を見渡せる小高い丘がある。
わたしはそこに向かった。
その丘には、語学学校のクラスメイトたちと一緒に行ったことがある。
先生が連れて行ってくれたのだ。
丘を登っているとその時のことが思い出され、なんだか切ない気分になった。
クラスメイトたちと丘を訪れた時のことだけではなく、街で過ごした全ての日々が脳裏に蘇ってくる。
丘から眺める美しい景色と、この街での楽しい思い出。
わたしはセンチメンタルな気分にすっかり浸っていた。
帰りたくないという苦しい気持ちはありつつも、芝居がかったセンチメンタルにすっかり浸って、少し気持ちよくなっていたと思う。
気取っていた、とも言える。
その時、後ろからクスクスという笑い声が聞こえた。
男女の笑い声だ。カップルだろう。
聞こえてきた時はまだ、深く考えていなかった。
楽しそうだな、くらいにしか思わなかった。
丘のてっぺんに向かって登るうちに、背後の二人はいつの間にかいなくなっていた。
丘の傾斜は結構きつい。
一息つこうと立ち止まったわたしは、何気なく自分の服に手をやった。
そして、違和感に気がついた。
まず説明しておくと、この日のわたしはロングスカートを履き、その下には黒いタイツを履いていた。
そのロングスカートが、めくれ上がっていた。
静電気のせいだろうか。
傾斜のきつい丘を上へ上へと登るうちに、スカートがタイツにまとわりつき、その結果としてだんだんと上がってきていたのだ。
黒いタイツは分厚いものだったし、スカートも「完全に」めくれていたわけではなかったので、実際のところそこまでトンデモない状態にはなっていなかった、と思う。
だが、充分恥ずかしい状態になっていた。この状態でずっと歩いていたのだから、赤っ恥である。
わたしはハッとした。
先ほどの二人組は、わたしのスカートの惨状を見て笑っていたのだ。
センチメンタルな気分に気持ちよく浸っていたわたしだが、実は背後からクスクスと笑われていたのだ。
あの二人だけではない。
街の人気スポットであるこの丘には、多くの人が来ている。
他にも気づいた人がいたはずだ。
ぎゃーと叫びたくなるほど恥ずかしかった。
これではとても、丘のてっぺんから街を見渡すことなんてできない。
わたしはスカートを直し、そそくさと丘から逃げ帰った。
景色を眺めて街の姿を目に焼きつけておくはずが、
恥ずかしい思い出だけが心に刻まれてしまった。
だが皮肉なことに、最後にひと恥かいたことで、なんとなく帰国の決心がついたような気がした。
センチメンタルな気分に浸ろうという時は、
くれぐれも服装の状態に気をつけたほうがいい。
台無しになってしまうから。
留学で何を学んだかと聞かれれば、わたしはそう答えたくなる。
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