指示待ち勇者

@momomomom

第1話 指示を待て

 幾多もの足音が耳に入ってくる。真下から聞こえるのは僕の足音だ。かなりのテンポで地面を蹴り続けている。我ながらかなりの焦りようだと思う。後方からは、十数対の軽やかな足音が聞こえる。彼らも僕と同じく、かなり急いているようだ。

 後ろを振り返って確認するまでもなく、音を聞くだけで分かる。僕は今、何らかの群れに追いかけられていている。


 ひんやりとした地下洞窟。その道なりに沿って僕は必死に走る。ところどころに青白く光るキノコや、桃色の光を発する虫が存在するおかげで、幸運にも視界に困ることはない。幻想的な景色だ。追手がいなければ感傷に浸りながら散歩できただろう。過ぎ去っていく素敵な景色を横目に、勿体ないと思いつつ両足を動かし続ける。


 かれこれ鬼ごっこを始めて数分が経つ。息が切れはじめ、後方の群れとの距離も明らかに縮まっている。流石にまずいかなと思う。何故こんな窮地に陥ったんだろうか。酸素を急激に消耗して、虚ろになっている脳を使って考える。


 直接的な原因としては、本来入るべきでない道に進んでしまったからだ。しかも一人で。パーティの仲間も一緒にいれば後方の群れを一網打尽にすることもできただろう。

 それでは、何故一人で離脱してしまったのか。

 離脱したその後の行為を誰にも見られたくなかったのだ。離脱した後、僕は何をしていた?

 吐き気に苛まれた挙句、結局吐いていた。


 間接的、そして根本的な原因は明らかだった。二日酔いだ。

 昨日の夜、あんなに飲まなければよかった。あんなに飲まなければ、こんな得体のしれない群れに追いかけられて命の危険を感じることもなかったのだ。

 今日は朝からコンディションが最悪だった。早朝のもっとも深い睡眠状態から突然たたき起こされ、その時点で脳がぐらぐらと揺れていた。地下洞窟へ向かう道すがら、普段なら魅了されるような、飲食店から放たれる香ばしい肉の匂いのせいで胃の挙動が明らかにおかしくなった。洞窟に入る直前、洞窟のルート等の打ち合わせをパーティで行ったが、その時の僕は食道を昇り降りする胃の内容物と格闘していた。

 昨日の深酒についてそれなりの後悔をする。しかし、あくまでそれなりだ。二日酔いで失敗するのは初めてのことじゃない。だからそれなりにしか後悔できない。どうせこの程度の後悔ならば今夜にも忘れ去られてしまうだろう。無事に帰ることができたらまたお酒を飲むのだろうか。それなりの希望が湧いてくる。そんなくだらない計画、想像を頭に浮かべながら走り続ける。


 後方の群れは相変わらず僕を追いかけてくる。速度を緩めている様子は一切ない。僕とは違って、走っている際には脳には一切のエネルギーを割かないのだろう。下等生物たる所以か、などと彼らを嘲笑おうと思いかけた。しかし、詰められてる距離を鑑みると、この場においては彼らの方が上等みたいだ。少なくとも二日酔いで脳みそが壊れている僕よりは上だろうと思い至る。彼らの方が真摯に生きているのだろう、多分。少し情けなくなって、自嘲気味に笑ってしまう。


 あまりの苦しさに足を止めた。膝に手をつき、肩で息をする。とうとう肺が仕事を放棄したようだ。酸素が底を尽き、体の末端が痺れてくる。両足が脳の言うことを聞かない。アルコール漬けの脳の指令など受け取らないに越したことはないが、恐らくそういう合理的な理由ではなくて、物理的な、肉体的な、そんな理由で指令を受け取らない。たくさんの足音が後ろから迫ってくるのに、真下の足音は聞こえなくなった。


 酸素を吸い込みながら顔を上げ、道の先へと目を向ける。少し先に岩壁が見えた。思わず顔をゆがめてしまう。

 明らかに行き止まりだ。広大と聞いていたこの洞窟、てっきり果てしなく続いていると思っていた。しかし、終着点は存在したのだ。これで体力も逃げ場もなくなってしまった。


 もはやここまでか。どこかで聞いたようなそんなセリフを冗談半分で脳内に浮かべる。


 いや冗談じゃない!

 間接的とはいえ、死因が二日酔いはダメだ。あくまで勇者である僕に許される死因ではない。

 ここは僕の死ぬべき場所、時ではないのだ。


 それに僕はさしあたり息絶えるはずはないのだ。脳内のがいる限り、窮地に追い込まれることはあっても、死地に追い込まれることは決して有り得ない。


 行き止まりのはずがない。窮地から脱することができるような逃げ道があるはずなのだ。大きく息を吸い込み、残りの力を捻り出して先へと向かっていく。


 最奥が近づき、僕は異変に気づいた。今まで絶え間なく生えていた青白く光るキノコ。光源としても働いていたそれらが、壁手前の地面には一切生えていないのだ。最奥から家畜三頭分ほどだろうか。そのくらいの長さに渡って、地面は真っ黒な闇に染められている。

 一方で、空中の虫は相変わらず桃色に灯っている。それらは真っ黒な地面の上でも、ふわふわと漂よっている。否、地面の上だけではない。まるで奥行きのある星空みたいに、足元より深い地中でたくさんの桃色の灯りが揺れている。


 奇妙な光景に目を凝らすため、さらに奥へと進む。

 真っ暗闇の地面に、右足を踏み入れようとしたそのときだった。脳を震わすような、そんな低く唸る強烈な耳鳴りがした。巨大な鐘をついたような、そんな震えと響きだ。付随して鈍い頭痛が起こる。


 脳内の僕ではない誰かが、とうとう口を出したのだ。一人目の脳内のの指示だ。

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