第13話 ミミズってのはゴカイで、これ〈イソメ〉だそうです

「ぉぃ、ぉい、おい、おいったら、おいっ!」

 仁海は、叔父の呼び掛けによって、意識を引き戻された。


「これって……」

「これが、うちの主力、いわば〈センター〉の〈青イソメ〉だよ」


「ぉ、ぉぃちゃん……」

「ん、なんだ、よう聞こえんけど」

「わ、わたし、小魚やエビとかは全然平気なんだけど……」

「これは、ムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリ」

 仁海は、声が続かなくなるまで「ムリ」を繰り返し続けた。

「ヒトミの気持ちは、よおぉ~くわかった」

「それじゃ……」

 暗く翳っていた仁海の表情が明るくなりかけた。 

「だが断る」

 叔父は、そうキッパリと言い放ったのだった。


「オイちゃん、わたし、足の無い生き物って無理なの、絶対にダメなの」

「ヒトミが嫌がっても、これを売るのがうちの商売だし、それは、無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄ぁぁぁぁぁぁ~~~~~~」

「オイちゃんは、〈露伴〉先生にして〈DIO〉かよ」

「ヒトミ、貴様もな、〈承太郎〉」

「ハハハ」

 冗談を言って、少しだけ仁海の気持ちが軽くなった。


「それにしても、ヒトミ、『ジョジョ』、読んでんのかよ」

「オイちゃんもね。チチの書斎の本棚に全シリーズ・全巻そろっているから、とりま、一通りは読んだよ。それにしても、色々とネタをぶっこんでくるね」

「やれやれだぜ」

 そう言って、叔父は上半身を後方に反らしながら、仁海を指さしたのであった。


 それから、エビ反りした身体を元に戻すと、緑色の鉄製の水槽の方に指を向けながら、叔父は言った。

「ヒトミ、あのな、普通の女の子が、こうゆう生き物が苦手なのは分かる。分かるけど、うちの店をやる限り、これを売らずに済ます分けにはいかないんだ。

 一つ話をしようか」

「な、何?」

 俯いたままの仁海は、少し涙声になっていた。


「オヤジが生きてた頃、実は、オフクロはほとんど店に出る事はなかったんだ」

「その話は聞いたことがある。ジイジが、領分を決めていたんだよね?」

「まあ、オヤジは店は自分が、家の事や会計はオフクロがって思っていたのは確かなんだけど……」

「『だけど』?」

 仁海は、顔を上げた。


「オフクロは、虫ってゆうか、そもそも生き物がダメだったんだ」

「えっ!」

 仁海は、叔父に顔を向けた。


「そんな、嫁に来てから店に立った事がなかった、生き物嫌いのオフクロが、オヤジが死んでから、店を守るために、生き餌を売ってたんだよ」

「……」

 仁海は、言葉を失ってしまった。


「オイちゃん、慣れるまでには少し時間がかかりそうだし、素手で手掴みとかは無理そうだけど……」

 叔父は、仁海が言葉を継ぐのをじっと待った。

「わ、わたしも、バアバみたいに、このミミズを売ってみるよ」

 仁海は、真っすぐな瞳を叔父に向けると、断固たる決意を口にしたのであった。


 そんな姪を、叔父は、温かく優しい眼差しで見詰め返した。


「来週まではアニキもこっちにいて、少しは店を手伝ってくれるみたいだから、ヒトミには九月の三連休から店を任せる事になっから」

「うん」

 不安が完全に払拭された分けではないが、仁海は大きく頷いた。


「それとな」

「オイちゃん、まだ何かあるの?」

 叔父は、再び、緑の水槽を指さした。

「誤解があるようだから、言っておくけれど、それ、ゴカイでもなく、ミミズでもなくて、〈イソメ〉だから」


「えっ! このウニョウニョしているの、ミミズじゃないの? わたしにはミミズにしか見えないんだけど」

「一般の人は、ミミズとイソメの違いなんて、どうでもよいかもしれないけれど、活き餌を売っている釣具屋をやるからには、自分、それじゃアカンと思うのですよ」

「はい」


「ミミズもイソメも、いわゆる〈環形(かんけい)動物〉、つまり、体が細長くて、沢山の横筋が入ってんだけど、そんな風に、沢山の〈体節(たいせつ)〉から成っている動物なんだよ。まあ、こんなの」

 そう言って叔父は、赤茶色のミミズの写真を、仁海に見せた。

 この瞬間、仁海は、背筋のあたりがザワザワっとするのを覚えてしまった。


「まずは、よう見ておいてな。今から、ミミズとイソメの違いを教えっから」

「ミミズって、土の中に住んでいるんだっけ。土の中に住んでいるのがミミズで、水の中、磯とかに住んでいるのがイソメとかかな?」

「違うよ」

 叔父は淡々と応じた。

「ミミズは、本来、水域に生息してんだよ」

「でも、土の上とかで見かけるって認識があるんだけど」

「それはな。例えば、雨の日とかに、土が濡れると、酸素不足になって、地表に出てくっから、ミミズが土の中に住んでいるって思っちゃうんだよね」

「じゃ、イソメは?」

「浅瀬の砂地とかに住んでる感じかな。名前の由来は知らんけど、海の岩場とかに隠れていたりもするから、ホントに〈磯〉から名前が来てんのかもな、知らんけど」


「じゃ、ミミズとイソメの違いってのは?」

「簡単に言っちゃうと、ミミズってのは〈貧毛〉なのさ」

「「ひんもう」? 毛のこと? ミミズやイソメに毛があるの?」

「貧毛の〈毛〉ってのは、この場合には、手足の事さ。つまり、ミミズみたいに手足がないのが〈貧毛網〉ってわけ」

「じゃあ、イソメは?」

「〈多毛網〉に分類されてんだ」

「『たもう』? つまり、〈毛〉、手足が沢山あるってこと?」

「その通りだよ」

 そう言って、叔父は、イソメの写真を検索し、それを拡大して仁海に見せたのであった。

 仁海は、深呼吸をして気を強く保ってから、叔父のスマフォの画面をのぞきこんだ。


 なるほど確かに、ミミズの体には突起がなく滑らかで、イソメの方は体がギザギザになっていた。このギザギザが、毛、多毛なのだろう。


「分かった?」

「うん、気を落ち着けて、写真をよく見比べたら、違いは明らかだね」

「でも、ミミズとイソメの違いが、毛、つまり手足の有る無しってのは理解できたけど、エサとしてはどう違うの?」


「簡単に言っちゃうと、ミミズは河口での釣りには使えるんだけど、海釣りには不向きなんだよ」

「なんで?」

「海の魚がミミズを好まないっていうよりも、ミミズって、海釣りに使うと、浸透圧の問題で水分が抜けちゃって、しかも、繊維が少ないんで、ミミズは針から簡単に外れちゃうんだよ」

「?」

「そうだな。海釣りにはミミズは不向きと思っときゃイイヨ」

「うん」

「で、オヤジの時代には、ミミズも扱ってたんだけど、今のうちの店じゃ、ミミズは売っていないから、気にしなくてよいよ」

「オーケー、ドーキー」


「実は、昔はさ、うちの店でも、ミミズだけじゃなくって、ゴカイも取り扱ってたんだよ」

「『ごかい』って?」

「ゴカイは、ミミズとは違って、イソメと同じ多毛なんだけど、体長はイソメよりも短くて、あんまり太くはない。つまり、イソメよりも小型なんで、狙う魚のサイズによっては、ゴカイの方が良い場合もあるのさ」

「そうなんだ。でも、このゴカイも、今のうちの店では扱っていないんでしょ?」

「それな」


 叔父は話のまとめに入った。

「で、今のうちの店で扱っている〈虫エサ〉は〈青イソメ〉だけって事さ」

「えっ! イソメって虫、昆虫なの?」

「そうじゃなくって、ミミズとか、ゴカイとか、イソメみたいな環形動物、ウニョウニョしたエサのことを〈虫エサ〉って呼んでんだよ」


「なるほど、イソメとミミズとが同じってのは誤解で、ゴカイよりも大きいのがイソメなんだね」

「なんか、ややこしい言い回しだけど、まあ、そおゆう事」


 クーラーから出て、上着を脱ぎながら叔父は仁海に言った。

「じゃ、敬老の日の三連休から、ヒトミ、店を頼むな」


 あと二週間で、少しでもイソメに慣れて、わたしも、バアバみたいに店をやんなきゃ、そう、仁海は心に誓ったのであった。

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