第19話 〈まずめ〉を真面目に独学

 店にお客を待たせてしまっていた事から、仁海は、水の入れ替え作業を中断しないままにクーラー室から出てしまった。

 かくして、水から目を離してしまっている間に、排水溝からホースが外れてしまい、モエビの水槽が置かれているクーラー室内の床は水浸しになってしまったのである。


 祖父の時代から存在している古きクーラー室は、水捌けがあまりよくない。だから、今回のように、コンクリートの床の上に浸水してしまった場合には、手作業で水を掻き出さねばならないのだ。

 具体的に言うと、塵取りを使って、床に溜まっている水を少しずつ取り除いてゆく事になる。

 このように水浸しになった場合の対処法は、研修の際に叔父から教えられていた。つまり、このような事態は、おそらく過去に何度もあったのだろう。クーラー室内に、不自然にも塵取りが常備してあったのが、その証拠であるように仁海には思われた。

 とまれかくまれ、やらかしてしまった仁海は、この水の掻き出し作業に、かなりの時間を要してしまったのである。


 この日は、釣具屋の店長代理としての初日だったので、仁海は充分な時間的余裕をもって、予定よりも早い夕方の六時頃から、モエビの水槽の水の取り換えを始めて、七時には作業を完了しよう、と目論んでいたのだが、自らが仕出かした過失のせいで、結局、八時くらいまでクーラー室にいる羽目になってしまったのであった。


 ようやく水の掻き出し作業を終え、シャッターを下ろし、店を閉めた仁海は、夕食を摂り、風呂に入った後で、床に就くまでの時間、〈釣り〉について独りで勉強する事にした。


 まずは、〈まずめ〉についてからだ。


 ツヨシ叔父からは、日の出の前後数時間を〈朝まずめ〉、日の入りの前後数時間を〈夕まずめ〉と呼び、この時間帯には魚がよく釣れる、という話をしてもらっていたのだが、叔父の説明で分かったのは、日の出と日没には、魚がよくエサを食うので、その結果、釣果が上がる、という単なる情報だけで、どうして〈まずめ〉に魚が釣れるのか、その原因や理由に関しては何一つ分かっていない。


 こうした分からなさや理解不足が、仁海をモヤモヤさせて仕方ないのである。


 仁海はパソコンを起動させ、ブラウザの検索窓に「まずめ」と打ち込み、自分が持っている情報を裏打ちしてくれる、そのような記事を探した。


 仁海が探し出した記事によると、まずめに魚が釣れるのは、魚が水中のプランクトンを食べる事と関係があるそうだ。

 そういえば、自ら泳ぐ能力のない微生物であるプランクトン、例えば、エビに似たアミエビやオキアミなどをコマセにして釣りをするんだっけ、そう思いながら、仁海は記事を読み進めた。


 水中のプランクトンは、夕方になると、魚の捕食エリアにまで浮き上がってきて、夜の間はそこを漂っており、夜が明けると沈んでゆく傾向があるそうだ。

 しかし、夜間は、自らの捕食エリアにいるにもかかわらず、プランクトンが魚には見えない。

 それゆえに、夕方の未だ暗くなる前と、朝方の明るくなり始める前の、薄明るい時間帯にこそ、魚はプランクトンを捕食するのだ。だから、プランクトンが浮いている空間で、〈まずめ〉の時間に釣りをすれば、この時空間においてこそ魚が入れ食いする、という理屈なのである。


 なるほど、これで納得だ。


 さらに、仁海がネットサーフィンを続けると、「まづめ」と「まずめ」という表記がある事に気が付いた。


 〈づ〉それとも〈ず〉、いったいどっちが正しいの?


 ま〈づ〉めの語源は、〈間詰め〉で、夜から朝、昼から夜の間隔が詰まっている時間帯が〈まづめ〉であるそうだ。

 これに対して、ま〈ず〉めとは……。


 えっ、ホントに!

 

 まずめに関しては、漁村などで使われていた真面目という語が訛って、〈まじめ〉が〈まずめ〉になったらしい


 それじゃ、わたしも、〈まずめ〉をまずめに勉強した事になるのかな、と思いながら、仁海は釣りに関する独学を続けたのであった。

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