第2話 ダコタ・チュートリアル(1)

 気づく――という表現が果たして正しいのだろうか。


 だが、気がついたときには、俺の身体はややヨーロッパの中世めいた趣のある世界に飛ばされていた。

 

 あっけないとはこのことだな。トランスマイグレーション・ルームで自分の身の上に起きた事態を考えてから、俺はそう思った。


 レーザーが眩しかったせいで目の前がチカチカしているだけ。

 痛みはゼロ。感慨深さもゼロ。来たばかりなので当然かもしれないが、ホームシック感もゼロ。何もかもがゼロだ。


 ただただ、身体を地球のどこかの知らない土地にテレポーテーションされたような感覚だった。といってもいまだかってテレポーテーションなどはしたことはないが。

 

 なんとなく心がおぼつかない。

 

 この世界を見回す前に顔を前後上下させ、何か自分の身体に欠損がないか確認することにした。

 ジップアップの学ラン、シングルボトムのスラックス。白い靴下に白のスニーカー。手も足も正常通り自分の身体の一部として存在する。さらに念のため、前髪を自分の目元あたりまでおろした。当然のように黒すぎるほどの黒髪。


 つまり、現実世界の自分と相違ないということだ、とほっと一息つこうとしたときだった。


 俺はいい知れぬ違和感を感じた。なぜかはわからないが、周囲の人間がちらちらとこちらを見ているような気がしたからだ。転生の際、何か俺に身体的な特徴でも付加されたのだろうか。だが、設定は確かそのままの容姿だったはず。


 見える範囲で自分の身をもう一度確認したが、特段問題が発生しているとは思えない。


「なんだ?  俺の何かがおかしいのか?」

 そうも呟いたが、すぐに首を横に振った。


 俺がおかしいというより、俺の周りがおかしい、まず自分の周りを遠巻きに囲んでいるのは、大半が白人、ちらほらと黒人、さらに少数のアジア系とヒスパニック――

 いや、今重要なのはそんなところではない。


 日本人の姿がほぼ見当たらなかったのも確かに問題だが、もっと問題なのは俺の視界に映る彼らの出で立ちだった。

 

 そのほとんどが、メイド服、ドレス、西洋の鎧、アニメに出てくるかのようなプラグインスーツといった感じだった。自分のような学生服なんていうありふれた物を着ている人間はまれ。中世、未来、現代、すべての人間が入り乱れているといった方が話が早いかもしれない。


 まさにカオスだ。俺は外人オタクの聖地にでも来ているのだろうか。まさか、ひょっとして、このサーバーでは特殊な格好をするのがデフォルトなのか……ということは、まさか学生服なんて着ている俺の方が異常者……


 ――と、ここまで考えて、俺は顔を横に振った。

 なんて、いたたまれない世界なんだ。


 そのままふらふらと付近を彷徨いていると右手にあった店舗の看板が目に入った。


 名前はダコタ・チュートリアル四号支店。


 ダコタ……チュートリアルということは、何か現状の説明をしてくれるのかもしれない――これ幸いとばかりに、急いでその店に駆け込んだ。

 

 助けを求めるかのように正面の番台に座っていた中年――といっても、ハリウッド俳優のような顔をしているが――へと近寄る。


「ヨルノハ・ハヤトさん、でよかったですかな?」

 番台にたどり着いた俺に、早速その中年は尋ねてきた。


 なぜ自分の事を知っているのだ? まさかどこかで会ったとか? 学校の先生の中にいたのか? それとも俺のストーカーか?


 色々頭を悩ませたが、このようなダンディな顔つきの中年に見覚えはない。


「なぜ、俺の名前を?」

 番台の仕切り板に手をつきながら、俺は聞き返した。


 もちろん冷静を装いながら。いや、もしかすると俺は選ばれた人間なのかもしれないと思いながら。


「ここには、クレア・ザ・ファミリアに新規登録された人間のデータが送られてくるのです」

「はあ、データが……」

 中年の回答にいささか合点のいかない俺は、意識もせず気の抜けた声を出した。


「そうです。あなたのような新人さんにこの世界のルールを教え、初期からクレア・ザ・ファミリアで滞りなく生活できるよう導くために――ええ、トランスマイグレーション・ルームで、新規登録する途中の説明書きに、この国……いいえ、このサーバーのチュートリアルへ行くようにと書いてあったのは、そういった理由からなのですよ」

 中年の口調はさも当然といった感じだった。


 そんなことがあの落書き、もとい説明書きに書いてあったのか......まさか、全員まじめに読んでいたとでも......と、焦る俺。よく考えてみれば、転生なんて自分の人生における重大な決断をする時に説明も読まず適当な選択をするやつはそういるはずがない。そう、俺以外にはほとんど――


 中年は少し怪訝な表情を見せた。

 俺の表情を観察して説明書きを読んでいないのではないのかと推察したのだろう。


「あれ、お客さん。まさか説明を読んでらっしゃらない――」

「いえ、そんなことありません」

 俺は即答した。


 読んでないこと自体を彼に責められそうな気がしたからだ。

 もちろん、今正直に話して彼に詳細を確かめるのがもっとも正しい行いだろう。

 だが、クレア・ザ・ファミリアは元VRMMO、メタバースを経てリアルメタバースになったゲーム。すなわち所詮ゲームだ。

 チュートリアルなんて適当でも本番のプレイには影響を及ぼさないだろう。


「ええ、そうでしょうとも。なにせ一生の問題ですからね。なんとなくで、この世界に入ってくる人など見たことはありません」

 そう言って安堵した吐息を漏らし、中年はにこりと笑う。

 

 当然ながら俺は、いや、ここにいるんだが……といった雰囲気をおくびにも出さず中年に頷き返した。

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