3

 九年前のクリスマス、僕たちはどこにでもいるカップルだった。僕たちは日に片方は死に、まあもう片方もこれから死ぬ予定なのだが、そんなことは知る由もなく、幸せな日々を送っていた。

 ニュースでは戦争が起こるのではないかと言われていたが、先進国の中でも上位の国に住んでいる自分には関係ない、と聞き流していた。

 男子高校生にしてはまあ頑張ったのではないか、というレベルのプレゼントを彼女に渡し、ただでさえかわいい彼女を上機嫌にさせてもっとかわいくした後、二人で仲良くベンチに座って話していた。

 この時はまだ、彼女は黒髪だった。僕は、軽く押したらそのまま倒れてしまいそうな儚さと、触れたら汚れてしまいそうな白い肌に、良く似合った長髪の彼女がとても好きだった。勿論、外見だけじゃない。内面も愛していた。彼女は外見と同じくらい、綺麗な心を持っていた。

 僕たちはどこまでも普通で、平凡で、潔白だった。彼女の美しさだけは並では無かったと思うけれど。

「雪だね」見ればわかることを、彼女は嬉しそうに囁く。

「うん、雪だ」僕も嬉しそうな彼女が嬉しくて、笑顔で返す。

「君は、行きたい大学とかもう決めてるの?」

「将来のことなんかまったく考えてないよ」

「そっか」

 少し黙った後、彼女が再び口を開く。今でも、その時の記憶だけは色褪せることが無い。

「じゃあさ、ここで一つだけ決めておこうよ」

「なにをだい?」

「私たちが無事、大学に入って、卒業したら、結婚するの」

 彼女の白い頬はほんのりと赤く染まっていた。寒さのせいでは無いということが、僕をさらに喜ばせた。

「そうしよう」調子に乗っていた僕は、

「なんなら僕が今言おうと思っていたんだ」なんて言った。

「結婚式には誰をよぼっか、天国のみんなも見ててくれるといいな」家族を失って、一人だった彼女。今は幸せだ、ということを家族に伝えたいみたいだった。

 そして、彼女は笑って寄りかかってきて、幸せにしてね、と言った。僕は何があってもそうしよう、と心に決めた。

 大人がこんな話を聞いたら笑うのだろう。学生のままごと。衝動的な約束だ、と。でも、僕たちは本気だった。


 暫くして、戦争が始まった。最初の徴兵は志願制だった。多くの兵は別の国から集められるらしい、今志願しておけば僕の国からなら高い身分で兵になれるということだった。そして、彼女が徴兵に志願したことを知った。

 僕は何故彼女が志願したのか分からなかった。だが、彼女が戦場に向かうのであれば僕も向かう必要があった。彼女を殺されるわけにはいかない。その頃を境に、僕の一人称は俺に変わった。

 戦争が始まって数か月経って、僕に昇進の話がやってきた。僕は自分ではなく彼女の方が優秀だとその時の情感に話した。その後も、事あるごとに昇進を断った。そうすれば僕の手柄は同郷の彼女に優先していくことになっていたからだ。

 今となってはとんだ思い違いだと分かっていたのだが、その時の僕は彼女が昇進すれば彼女を守る人間が増え、戦前にも立たなくていいだろうと思っていたんだ。

 彼女が大佐になってからは仕方なく少佐への昇進を受けた。そうしないと同じ部隊に所属できなかったからだ。

 軍に入ってから、僕は彼女と一度も話をしていなかった。ある作戦の後、僕らは二年ぶりに会話をした。

 それは、「上官」である彼女からの、僕への説教だった。

「どうしてあんな危険な真似をしたの?」

「それは、」

 僕は二の句を継ぐことが出来なかった。彼女は僕の言葉を遮ってこう言った。

「死んだら殺すから」

 僕は、彼女がまだ僕を大切に思ってくれているのだと安心した。そして、その言葉はすぐに忘れることにした。彼女が生きる為なら、この命を使い果たしても構わないと思っていた。


 一年後、彼女から初めて呼び出されたので向かった。久しぶりに「二人きりで対面した」彼女は、もう僕が知らない人になっていた。昔のような透き通った目をしていなかった。こんな表現は見た目においてはそんな大差がないから、微々たる差を表すために僕も使ったんだと思うけれど、そんな感じだった。

「私は正直、この戦争で負けてもいいと思っているんだ」

 じゃあどうして志願した。僕より先に。

「私はヒーローが欲しいんだよ。それが敵であってもカタストロフィとか呼ばれていても構わないんだ」

 なんだよそれ。僕はどうすれば良いんだよ。

「……私の言葉はそう伝わってしまうのか」

 言いたいことは分かっていたけど、聞きたくない。

「難しいな。かみ砕いて言うとこんな感じかな?」

 それを、言うな。聴覚の機能を、その瞬間失いたいとさえ思った。

「もう、どうでもいいんだよ。全部」


 軍に入ってから、僕は彼女を守る、ということ以外の全ての感情を捨てていたつもりだった。だが、違った。僕にも感情は残っていて、僕の指示で死んでいく部下が出る度に何度も体調を崩したりした。彼女の場合は、どうだっただろうか。直接部下を殺すような階級はないけれど、上からの指示を、伝令として、大隊に命令する。彼女は末端の兵士の訃報をどんな気持ちで聞いていたのだろう。僕よりもずっと優しく、思いやりにあふれた彼女は。一体。


 そして先に死んだのは僕ではなく、彼女だった。


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