轢かれたら現代吸血鬼に助けられた件

いぷしろん

轢かれたら現代吸血鬼に助けられた件


 人が死ぬ間際に走馬灯とやらを見るのは、どうやら嘘ではなく本当のことらしい。なんてことを迫りくる車を見ながら思う。

 今まで十七年間の人生が鮮明に思い出されるのだ。高校での黒歴史や、試験で頑張ったときのこと、告白されたときのこと、それからなぜか俺の記憶にないはずの小さい頃のものもある。

 それらがゆっくりと、でも一瞬で頭を走り抜けて――奇跡など起こるはずもなく、俺は車とぶつかった。痛みを感じる前に、意識が暗転した。



 ――生きたい?


 さざ波にたゆたうような感覚を味わっていたのだと思う。心地よくて、そのまま寝てしまいそうだった俺に、どこからともなく声がかけられた。


 ――私に命を預けられる?


 それで現実に引き戻された。ぞぞぞ、と下から這い上がるように痛みが伝わってくる。そして、その痛みが俺に生の感覚を蘇らせた。


 俺は、俺は……まだ、生きていたかった。


 生きていたいんだ!


 全身全霊で叫んだつもりだったけど、実際に声に出たのかはわからない。

 でも、そこで俺の体が温かいものに包まれた……気がした。頭のほうから徐々にそれは浸透してきて、足の先、手の先までいきわたったとき、身体全体に形容しがたい激痛が走り、俺は再び意識を落とした。







 気がついたとき、知らない天井があった。

 うまく力が入らなかったけど、なんとかむくりと身体を起こす。制服のズボンに、シャツが一枚の上半身。シャツは真っ白で新しいもののようだ。あのときかけられた気がした声と、今の状況から判断するに俺はどうやら誰かに助けられたらしい。それがすんなりと理解できた。

 それにしても不思議だ。俺がいかように車に轢かれたかはわからないけど、こんなにきれいに治るようなものだっただろうか。腹とかをまくって見てみても傷ひとつなくきれいなままだし、それどころか肌の色が白くなっているような気さえする。



「あ、起きた?」


「……あ、はい」



 振り返れば、そこにはひとりの女の子。俺と同じぐらいの年だろうか。家の中だからか背中辺りまで髪を束ねずにたらし、何やらお盆らしきものを持って立っている。


 ……こんなことを考えられるなんて、妙に冷静だな、俺。



「あの、助けてくださったんですよね? ありがとうございます」


「……まぁ、助けたっていうのは間違いないね。どういたしまして」



 意味ありげに含ませた言い回しをする彼女だったけど、俺がそれに言及するより先にさてと、とお盆を机の上に置いて引っ張ってきた。



「色々訊きたいことはあると思うけどさ、君たぶん血が足りてないからこれ食べながら話そうか」



 確かにさっきから脱力感に襲われていたところだ。それにお盆の上を見たら、自分がとてつもなく空腹だと思えてきた。

 ありがとうございます、と箸を取ろうとして――取れなかった。手に力が入らないのだ。頑張って手にしても、器用に操れそうにもない。



「あちゃー、箸も持てないか。じゃあ……はい、口開けて」


「いや、あの」


「なぁに? 食べたくないの?」


「……そういうわけじゃないですけど」



 なぜかこの女の子に食べさせてもらう流れとなった。というか、俺まだ名前も知らないんだな。



「ほら、どーぞ」



 女の子が前かがみになって箸を向けてくる。

 ……ところでこの女の子。非常にラフな恰好をしている。何やらいいにおいもするような気がしないでもないし、たぶん風呂上がりなのだと思う。

 そんな恰好で前かがみになったらどうなるか。まぁ、その、角度的によろしくないのだ。


 とはいえそうと言えるはずもなく、俺は極力見ないようにしながら、餌付けされる猫の気持ちを味わうことにした。

 ちなみにご飯は美味しかった。



 そうして半分ほど食べ終わったころ。

 なんというか、現実感のようなものがようやく俺に追いついてきたようだ。つまり、訊きたいことがいろいろ浮かび上がってきて、同時にこの状況に対する羞恥心とかも爆発したわけだ。



「……そういえば、名前聞いてませんでしたね」


「ん、落ち着いてきた? 私の名前は千木ちぎ弓花ゆみかだよ。君はさくら大翔つばさくんであってるよね?」


「あ、はい。荷物見ました?」


「そ、学生証見せてもらったよ。勝手にごめんね? ……で、まぁ大翔くん」



 つばさくん、と呼ばれ少し心臓が跳ねる。もう俺はこの女の子――弓花さんに絆されかけているのかもしれない。



「君にはちょっと伝えておかないといけないことがあってね。まだ帰ってもらっちゃ困るんだ」


「……恩人に食い逃げするほど人がなってないわけではないですよ、俺は」



 言うと、弓花さんは何がおかしいのかふっと笑う。

 俺は思わず見惚れてしまった。それほどまでに弓花さんの笑みは妖艶だったのだ。



「恩人、ね。うん……体験してもらったほうが早いかな」



 どこからともなく弓花さんが小さいナイフを取り出す。

 何をするのかと疑問に思っていると、あろうことか自分の首筋に近づけていくではないか。



「あの……? いったい何を――」



 そして、さっと切った。


 瞬間だった。


 俺の中で何かが膨れ上がった。


 渇きが――今まで一度も感じていなかったのどの渇きが俺を襲う。

 どうしようもなく、俺は吸い込まれるように弓花さんに近づいていた。



「我慢しなくていいよ~」



 その言葉がとどめとなった。

 俺は弓花さんの首筋に自然と噛みつこうとして――すんでのところで理性がまさった。


 血を、弓花さんの首から流れ出る血を舐める。


 本来なら鉄のような嫌になる味のはず。しかしあろうことか、俺にはそれがとても、とても美味に思われた。

 ……でも、何かが物足りない。



「ほら、我慢しなくていいって言ったでしょ? ガブッといっちゃいなよ」



 ――もう限界だった。あの味を知って、自制できるはずがなかった。


 その色白の肌に俺は噛みついた。自然と上の犬歯が伸び、しっかりと喰らいつく。


 駄目になりそうだった。いや、なっているのかもしれない。少なくとも絵面的にはダメだ。


 どういう原理なのか甘美なものが味覚を刺激し、のども潤う。

 俺は無我夢中で弓花さんの血をむさぼっていた。


 身体に活力がみなぎり幾分か思考もクリアになる。

 俺は何かを理解し始めていた。



「っ、つばさくん……んっ……は、離して、くれる?」



 そこで、はっと我に返った。

 弓花さんはいつの間にか脱力していて、俺にしなだれかかっている。


 俺は飛び跳ねるように離れて、慌てて謝る。



「ごっ、ごめんなさい!」


「はぁ~、大丈夫だよ。……それにしても、こんな感じなのかぁ……ちょっとまずいな~」


「あの、これはいったい……?」


「ふふふ、本当は大翔くんも気づいてるんじゃないの?」



 弓花さんが首を撫でる。見ると、俺が噛みついてできたはずの跡はなく、そこにはきれいな首筋だけがあった。



「吸血鬼……」


「そ、私は現代に生きる、吸血鬼の末裔のようなもの。そして、君を吸血鬼にした・・。……ちょっと待っててね」



 吸血鬼。俺はその単語に意外なほど驚かなかった。

 むしろしっくりきたぐらいだ。さっきの途方もない吸血衝動、なぜか助かった俺。普通の人であるはずがない。

 でも、疑問に残るのは弓花さんの「吸血鬼にした」という発言。あれはいったいどういう意味なのだろうか。



「はいお待たせ……よっと」


「ぅえ?」



 戻ってきた弓花さんが持っていたのは赤いリュックだった。

 いや、違う。俺のリュックだ。元は黒一色だったはずなのに、赤で――血で固められてる。それが意味することはひとつだろう。



「これが私が見たときにあった大翔くんのリュック。君、かなりひどい状態だったのよ?」



 そう言われても今の俺からは想像ができない。激痛が走ったことは憶えてるけど……。



「素人目にも、あ、これ無理だなってわかったからさ、大翔くんに訊いたんだよ。何されても生きたいかって」


「あー……それはなんとなく憶えてます」


「そしたら『生きたい』って言ったから、君を吸血鬼にして助けたの」


「そこがよくわからないんですが」


「……ん~、私たち現代吸血鬼は今日本に十数人いるんだけど、人間より長いとはいえ寿命はあるわけだから、結婚して子供を作らないといずれ絶滅しちゃうんだ」



 寿命……?



「すんません。あの、弓花さんて何歳なんですか?」



 弓花さんはきょとん、としたあとすました顔で言った。

 表情がころころと変わってかわいいと思ったのは秘密だ。



「残念ながら私は普通に見た目通りの年齢だよ」


「……何歳なんですか?」


「…………」


「年下だったりしませんよね?」


「――絶滅しちゃうんだけど、結婚するにしても吸血鬼の『血』を薄めたくないわけだ」



 あ、誤魔化した。まぁ俺はどっちでもいいんだけど。



「だから、私たちはね、一生で一度だけ人間を吸血鬼にすることができるんだよ。身体を作り変えて、相手を吸血鬼にする。そのときの効果で身体が完全な吸血鬼のものになるから、大翔くんを救えたってわけ」


「な、なるほど」


「ちなみに大翔くんにはそんな変な能力はないから安心してね」


「は、はい……」



 それはわかった。俺の身体が既に自分を吸血鬼と認識しているから驚きも少ないんだろう。

 しかしである。俺が気になったのは全く別のところなのだ。



「……ところでなんですけど」


「うん。なにかな?」


「それって一生に一度しかできないんですよね?」


「そうだね」


「それで……吸血鬼は吸血鬼同士で結婚するんですよね?」


「そうしないと純血を保てないからね」



 じゃ、じゃあ弓花さんは……。



「ど、どうして俺を助けたんですか?」


「どうして、って言われても……私は確かに現代に生きる吸血鬼ではあるけど、別に人の心を持ってないわけじゃないよ? 死にそうな人がいて、私に助けられるなら助けるに決まってるでしょ」


「――っ…………俺はどうすればいいですか。俺にできることはありますか」



 迷った末に口から出たのはなんとも情けない言葉だった。

 どうすればいいかなんて決まっている。吸血鬼は吸血鬼としか結婚してはならないという言葉その通りだ。

 でも、それを俺の口から言うのはなんとも忍びなかった。善意で己を振り返らず俺の命を拾った弓花さんに、下心がある俺がそんなことを言えるはずがない。



「まぁ、結婚を前提にお付き合いしてほしいよね、私としては」


「……弓花さんは、それでいいんですか」


「ん~、まずさ、大翔くんは私のこと好きだと思ってるでしょ? ぶっちゃけ」


「そ、それは……」


「それ、私のせいね。大翔くんに私の血を飲ませたから魅了されたみたいになってるの。吸血鬼化に必要だったからさ、本当にごめん」


「いえ、それより血を飲ませるって……?」



 正直に言って、魅了されてようがされてまいが俺はとっくに弓花さんのことが好きだと思う。だからその事実については俺は特になんとも思っていない。


 ……なんて、少し頭を緩ませて考えていたからだろうか。俺は弓花さんが目の前まで近づいてきていることに全く気がつかなかった。



「――こういうことだよ」



 気づいた時には頬を押さえられていて。次の瞬間には視界が弓花さんの顔で覆いつくされた。

 同時に、のどにあの味が戻ってくる。弓花さんだ。弓花さんが自分の唇をきって血を出しているのだ。


 ……それがどうして俺に届いているんだ?


 この後に及んで、ようやく脳に今の状況が正確に伝わったようだ。

 つまり、俺は弓花さんにキスをされている――と。


 自覚するともう何も考えられなかった。

 ただ意識を顔に集中させ、限界まで弓花さんを――弓花さんの血を感じ取る。


 接触は十秒にも満たなかったのかもしれない。



「……っは、ぁ」


「ゆっ、弓花さん……?」


「大翔くんが気を失ってたからこうするしかなかったの、あのときは」


「じゃあ今は!?」


「私ね、大翔くんに血を吸われたときからずっと我慢してたんだよ。……もう無理。いいよね?」



 言うや否や再び弓花さんが近づいてくる。

 思わぬ急展開とさっきの弓花さんの感触で固まっていた俺だが、反射的に顔をそらした。

 でも、弓花さんはそんなのお構いなしに俺の首へと接近してくる。


 ――痛みは全くと言っていいほどなかった。


 コクコクと音がして弓花さんののどが動く。

 俺みたいに血が流れるままにではなく、吸血鬼の名の通り、吸っているのだ。

 ここで、ふと思った。吸血鬼というからには定期的に血を吸わないと生きていけないのだろう。だとすると、生来の吸血鬼らしい弓花さんは今までも誰かの血を吸ってきたに違いない。

 俺が初めてというわけではないし、だからこんなにも慣れている。


 そう考えると、嫉妬心のようなものが湧きあがってきてしまった。



「――っはぁ……美味しかったぁ」



 顔を上げた弓花さんと目が合う。弓花さんの目は紅色に染まっていて、俺はどうしようもなく吸い寄せられた。



「ん……ぅ……」



 軽く触れるだけ。それでも弓花さんには伝わったのだろう。



「ふふ、決まったかな? 大翔くん」


「はい。こ、これからよろしくお願いします……その、す、好きですから」


「うん、ありがとね」



 相変わらず妖艶に微笑む弓花さんを見ながら、俺は全て弓花さんの掌の上だったんじゃないかと、ふと思った。


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