06.交戦領域:人ならざるものの追撃
「マスター……?」
誰が?
――俺が?
「
豊かな胸元に、白く細い繊手をそっと宛がいながら。
フレドリカは水晶色の瞳で、乞うようにウォルフを見上げてくる。
が――
「……いや、意味が分からない」
ウォルフは絞り出すように、そう呻くしかできなかった。
「ウォルフ様にはフレドリカの」
「待ってくれ、言い直さなくていい。お前の言っていることが分からなかった訳じゃない」
「フレドリカは
「いや、お前の性能を気にしている訳でもない」
「GTMD412-LⅢ Impt:0177――当機は
「そういう
ぴしゃりと遮る。
「……そもそもフレドリカ、お前はどうひいき目に見たところで十年以上前の旧式だろう。十年前ならともかく、今の時点でその謳い文句は、さすがに誇大広告が過ぎるんじゃないのか」
フレドリカは黙った。
ウォルフの言い分を理解した、という様子ではなかった。
常よりいくぶん強く唇を引き結んだ彼女は――ウォルフの見間違いか勘違いでなければ――どうやら、ウォルフの言い草にむっとしているようだった。
気まずさを覚えて小さく咳払いし、ウォルフは続ける。
「フレドリカ。お前の主人は亡くなったエルフェルズ女伯だ」
「
「いないのは分かっている」
フレデリカを見ていられず、何となしに、視線が墓石へと流れる。
雪のように白いその墓石には、一見してくすみ一つない。日々よく手入れされているのが、一目でそうと見て取れる。
「その遺言もな。今のフレドリカは
何らかの理由で傅くべき主を喪った《
正式な登録には、専用の調律機材が必要となるが――これは、完全自律型の《人形》が統制を離れ、制御不能の行動を開始するような事態を抑止するための、言わば安全弁のひとつだった。
「お前は除籍によって軍の管理を離れ、どういう経緯でかエルフェルズ女伯を主と仰いで仕えた。その彼女がいない今、言ってしまえばお前はエルフェルズ女伯の遺産、レーフグレーン家の財産だ」
少なくとも、
もし、エルフェルズ女伯ドロティアの死をもってレーフグレーン家が断絶しているのだとしても――仮にそうであれば、その財産は国庫へ収容されるものであろう。もしくは、領地を預かる新たな辺境伯へと譲り継がれるか。
他国人のウォルフでは、仔細は想像するよりほかにない。
が、ここがレフテオール皇国の懐である以上、それらはレフテオールの法に基づき分配されるものであるはずだ。
ただでさえ後ろ盾を持たない逃亡者の身の上だ。
国境を越えたことで当面の安全だけは確保できたとしても、これ以上の厄介事はウォルフの手に余る。
「……少なくともそれは、行きずりの男がなりゆきで譲り受けるような類のものじゃない。違うか、フレドリカ」
「私は……」
フレドリカは形のいい眉を僅かに吊り上げ、何か言い返そうとしたようだったが。
不意に弾かれた様に顔を上げ、横合いへと目を走らせた。
「フレドリカ?」
「侵入者です。当家の敷地に三人――いえ、三機」
瞬時にその意味を理解し、ウォルフはぞっと総毛立つ。
「《
「恐らく。詳細は定かでありませんが――」
だが、今度こそは。
ガルク・トゥバスからの、本物の追手とみて間違いあるまい。
「連中を肉眼で確認できる場所はあるか? できれば、向こうからは発見されにくいような」
そう訊ねるウォルフを、フレドリカは訝るように見上げる。
「俺は《
「……こちらへ」
時間がないと踏んでだろう。それ以上を問わず、フレドリカは先に立って走り出した。
その後を追おうとした瞬間、ついこれまでの感覚で左足を踏み込んでしまい、その場でよろめきかけたが――ウォルフはどうにか踏みとどまり、あらためて少女人形の背中を追いかけた。
◆
エルフェルズ家の邸宅の構造は、大雑把に言えば中庭を囲む四角形。天井の高い二階までが吹き抜けになった玄関ホールを有する南側が、他の三方より広くできている。
フレドリカに案内されたのは、その南側の三階。天井の低い、恐らくは使用人たちの生活区であろう階層の一室だった。
玄関と同じ南向きの部屋は明りがなく、厚い雲に覆われた曇天の光が陰鬱に差し込むだけの暗い部屋だった。
窓や扉が二重構造になった他の部屋と違いガラス一枚きりの窓であるためか、中は部屋に入った瞬間に芯から凍えるような、外気同然の冷気が滞留していた。
「こちらの窓からであれば、中の様子を外から伺うことはできません」
フレドリカが示したそこは、普通の、透明の窓ガラスにしか見えなかったが。しかしすぐに察する。
「魔法――ではないな、これは。ワンウェイミラーの類か」
「
ワンウェイミラー――明るい側から見た場合のみ鏡のように見える一方、暗い側からは普通のガラスのように向こう側を見ることができる、文字通り『一方通行の鏡』である。
明るい室内から夜に窓ガラスを見ると、まるで黒曜石を磨いた鏡のように室内の様子を反射する。原理としてはそれに近しい。
用心のため壁に背を寄せながら、ウォルフはそっと外を伺う。
館の四方を囲う針葉樹林。そのうち東側の木立から出てきたらしい三つの人影が、正面の玄関へと近づきつつあった。どれも雪上迷彩となる白の寒冷地用軍装と帽子、ゴーグルとマスク、マフラーで身を固めており、表情すらまともに伺えない。
仔細を伺うにはまだ少し距離がある。仕方なく、ウォルフは胸ポケットから小さな板状の拡大鏡を取り出し、レンズ越しに人影の様子を確認する。
――厚手の軍装をしているせいで判別しづらいが、小柄な体格とおよその身長は見て取れる。帽子から僅かに零れた銀の髪も。
「L-Ⅳ……いや、L-Ⅳ改フレームの制式量産型か」
「この距離で識別できるのですか?」
「背恰好と肩幅、あとは容貌の特徴で大体な……まず局地型の《
都市民生型であれば少年型 《機甲人形》のE型フレームをはじめとして、同程度ないしより小型のフレームも複数候補に挙がる。
が、都市民生型としての運用を想定したそれらは総じて寒冷地への対応が薄く、都市外での真っ当な長期運用は極めて難しい。
「対抗策は」
「ないな……少なくとも、仕様の裏をかく類の手段はない。せめて旧L-Ⅳ型なら話も違ったんだが」
仮に本気で対抗するつもりでいるのなら、現行の、主力量産型 《
病み上がりのウォルフと、旧式のフレドリカだけで。
「承知しました。ではフレドリカが迎撃に出ます」
「おい、待て」
嘆息混じりに、ウォルフは唸る。
「……相手は俺を追って来た連中だ」
「承知しています」
「仮にそうだとしても、すべてお前の後継機だ。三対一で勝てる相手か?」
「問題ありません。勝算はあります」
「ガルク・トゥバスの軍用 《機甲人形》は同士討ち防止のプロテクトがかかっているはずだ。お前が軍籍を外れているとしても」
「そちらも問題はありません。既にクリアされています」
「……だとしてもだ」
血の気の多い――表現として正確ではないだろうが、彼女の即断ぶりはそう形容するのが相応しくはあった――フレドリカにうんざりしながら、ウォルフは言う。
「ここで迎え撃つのはいいのか? 繰り返すが、アレらは間違いなく俺を追ってきた人形だ」
「それこそ問題はありません。ここは国境防衛者たる辺境伯、エルフェルズ女伯の邸宅です」
フレドリカは三度、切って捨てるような明快さで断言した。
「アレらは不法に国境を越え、なおかつレーフグレーン家の敷地へ無断で立ち入った不埒な侵入者。その理由の一切を問わず、レーフグレーンの所領を犯した咎人どもです。
私はエルフェルズ辺境女伯を主と仰ぐ一人、この邸宅を預かるメイドサーヴァントとして、あれらを討つ義務と責務を負うと判断します」
「……つまり、俺は奴らの前に姿を出すな、余計なことをせず隠れていろ、と?」
「早々のご理解をいただき、フレドリカは
国境侵犯という意味では、逃亡者のウォルフも追手の人形達と何ら変わらない。
フレドリカは接近しつつある三機の《機甲人形》を、ウォルフとは何ら無関係の『国境侵犯者』として遇し、迎撃すると言っているのだ。
問題があるとすれば、本当にフレドリカがあの三機を討ち取れるのか、という一点だけだが、
「……俺の荷物は、念のため回収しておく。それくらいなら構わないか」
「であれば――いえ、お願いします」
逃走の見切りをつけるのは、フレドリカが何をするつもりか見届けてからでも遅くない。
元より今のウォルフの足で、局地型軍用 《機甲人形》から逃げ切れる目は乏しい。情けなくも彼女の手腕に縋るのが最善策となってしまうのが、現状の事実だ。
「どうぞ心置きなく、フレドリカの性能をご覧ください」
フレドリカが迎撃のため部屋を飛び出すのに続いて、ウォルフも行動を開始した。
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