影響華

小狸

短編

 これは、本来どこにも記述されるはずのない他愛もない会話である。



「自分が自分じゃないみたいな感覚って言ったら、分かる?」


「んー、あんまり考えたことないかも。どゆこと?」


「そうね、具体的には、私が私でなくなるって感覚」


「それって言ってること同じじゃん」


「あ、そっか――んーー、じゃあ、なんていうのかな、ほら、わたしって人から影響、受けやすいじゃん?」


「へえ、初耳」


「なんでよ、十年来の友達でしょ、幼馴染でしょ」


「十年来の友達でも、幼馴染でも全部は明かさないってことよ。奈々だって、うちに全部ひけらかしているわけじゃないでしょ?」


「ひけらかすって、言い方言い方」


「ん、じゃ、何て言えばいいのさ」


「あー、もうそれでいいよ。とにかくさ、わたしって、人から影響受けやすいの」


「ほう」


「何かを始めようとするときには、誰かがそれを近くでやっているのを見て、そして始めている。小さい頃に習ったピアノも、水泳も、くもんも、剣道も、書道も、モデルケースとなる誰かがいたんだよね。高校の時に始めたかるたも、大学まで続けたチェロも、そして今書いている小説も――そう。小説を書く友達が昔いてね――その子は亡くなっちゃったんだけど」


「へえ、奈々、小説書いてたんだ、初耳」


「いや、それは知ってたでしょ。この前モデルにさせてって頼んだじゃん」


「え、そうだっけー、忘れてたわ」


「情が薄すぎる」


「冗談、覚えてた」


 異に介さずにツッコミを入れてしまった。


「で? なんでそれが、自分が自分でないような感覚と繋がるの?」


「うん――結局わたしって、誰かの影響を受けてから、何かを始めてるんだよね。それって、わたしなのかなって」


「………」


「その『誰か』を見なければ、わたしは始めなかったわけだし。その楽しさを知れたってわけでもないし。結局そういうことをして――誰かと同じことをしている自分に、酔っているんじゃないかなって、そう思っちゃうんだよね」


「ふむ、なるほどねえ」


 さえ子は思案顔になった。ちゃらちゃらしているようでいて、こういう話題は真剣に考えてくれる。茶化さない――だからこそ、わたしのような偏屈と一緒にいてくれるのだろう。


「奈々、それって誰かに何か言われたっしょ?」


「…………!」


 なんで分かったのだろう。


 こういう時のさえ子は鋭い。


 冴え冴えに冴えている。


 その名の通りに、なんて言ったら、また怒られてしまうだろうけれど。


「いや、何となく分かるって。奈々ちゃんがそういう話題でナヤム時って言うのは、大抵誰かに何かを言われた時だろうからねー、そんでもって、多分、自分に酔っているとか、そういうことを言われたわけだ」


「……………」


 図星だった。


 それは、何でもない何の変哲もないどうでもいいある日のことだった。わたしはいつものように、皆から隠れて小説を書いていた――クラスでも浮いていたわたしである――誰かに見つかると面倒なので、放課後、図書室に籠って、原稿用紙にせっせと書き溜めていた――その時に、同じクラスのあるグループに、言われたのだった。


『これ、××と同じことしてんじゃん』


『うっわ、自分に酔ってるんじゃね』


『だっさ』


『小説家になんてなれるわけないのにね』


 等々――まあ、いつものように色々と言われた。本当にいつも通りならスルーしているつもりだったのだが、『自分に酔っている』というその言葉が、どうにも喉元の骨のように、わたしの中に引っかかってしまったのである。


「××ってのはなんなん?」


「ああ――、『本の箱庭』っていう漫画に登場する主人公でね――、小説を書いてる中学生の女の子の苗字。今めちゃ人気あるけど、さえ子知らない?」


「知らぬ」


 本当に知らなそうだった。


「とにかくね、その言葉で、なーんか、書く気とかなくなっちゃってさ。わたしのやってることって、結局誰かの劣化コピーでしかなかったんじゃないのかな、なーんて思っちゃって」


「ふむふむ」


 更に思案するような顔をする。


 考える姿勢は素敵だが、彼女は今、わたしの部屋のベッドで引っ繰り返っている。別にわたしは気にしないけれど、さえ子の制服に皺が寄らないか心配だった。


「まあ、それがどんな人生か、うちには分からないけどさ。奈々は、小説書いている時、楽しかったの?」


「……………」

 

 分からなかった。


「ピアノを弾いている時は? 水泳をしている時は? くもんをしている時は? 剣道は、書道は?」


 分から、なかった。


 楽しかった――のだろうか。


 どうなのだろう。


 結局、そのグループの子の指摘の通り、わたしは人と同じことをする自分に酔っていた――とばかり思っていたけれど。案外、あの子の指摘は、正しかったのかもしれない。だって私は、それが楽しかったと、答えることができなかったのだから。


 小説なんて書いても親は認めてくれないし、ピアノも水泳も剣道も書道も、結局何一つとして継続できたものはない。大会に出た訳でもない、ただ、続けていただけだ。

 今に繋がっていることなんて、何もないのだ。それに取り組んでいる時は――どうだっただろうか。自分でやりたいと言っておいても、それでも嫌々、何となくやっていたように思ってしまう。


 誰かと同じことができている自分に酔っている。


 まさに、その指摘の通りじゃないか。


 きっとわたしは、人がうらやましいのだ。


 自分と違うことをしている誰かがうらやましくて、そんな誰かになりたいと思って、しかしなれない自分を痛感して――途中で手を引いてきた。だから何も、中途半端で続かなかった。


 まさかあのグループの子がそこまで見抜いていたとは思えないけれど、それでも、なかなかどうして、核心を突いていると言えた。


 あーあ。


 そしてそんなどうでもいい奴に核を見抜かれたことに、わたしは今、相当なショックを受けているらしい。自分の状況が分かってきた。


「分からない――なんで、なんでわたしは、続けてきたんだろう」


「ふうん……まあ、やっていることがしたいことってわけじゃないからねえ」


 そう言いながら、さえ子は足をぶらぶらした。人のベッドで。


「……………」


 まあ、そうだよね。


 結局のところ、何をするか、決めるのはわたし自身。


 適当に弱みを見せて慰めてもらおうなんて思っていた自分を、あさましく感じてしまう。


「……ありがと、話聞いてくれて」


 と――中途半端に話を中断しようとして――しかしその言葉は、さえ子の言葉によって上書きされた。

 そしてかなり急ではあるけれど、物語はすぐに閉幕する。

 何一つ解決していないし、なあなあに誤魔化されて都合よく解釈してもらって構わない――けれど、わたしがその時抱えていたもやもやは、その言葉を聞いたことで全て消えてなくなった。きっとさえ子にとっては、とても他愛もない会話の中でした他愛もない言葉で――

「でも」

 さえ子は言った。

 

 ――うちは好きだけどな。奈々が書く小説。



 その言葉。


 その言葉は、永久に私の胸に、暖かくとどまり続けた。


 小説家となった今――彼女への感謝と共に、この小さな文章を擱筆する。



(了)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

影響華 小狸 @segen_gen

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ