Ria-Huxaru【子譚】

あはの のちまき

夕日が消えた日

あの夕焼けを、俺は、決して忘れない。


-夕日が消えた日-


彼がまず人に会ったら見てしまうものは、その人の目だ。

その目に宿る感情や光を、読み取る訳ではない。ただその人の瞳の色を見る、ただただ、気になって。

その人が"不幸を呼ぶ子"なのかどうか、を。


ラントは客のいない宿屋の椅子に、何をする事もなく座っていた。窓の外から見える星の街は、既に日が傾きかけ、夕日と星が紫色の空に瞬いている。星の街、と謳われるだけのあるこの街の空は、絵空事のように酷く綺麗で幻想的だ。


───カチ、コチ、カチ、コチ


宿屋に飾ってある、柱時計の針が進む音だけがなる。その柱時計に小さく空いている鍵穴を眺めて、ラントはぽつりと呟いた。


「────あいつ、今どうしてっかな」


朱い、勝ち気な瞳をした少女を思い出す。

一ヶ月前までは何もかも諦めた、暗く濁った目をしていたというのに、たった一日で綺麗な目になった少女が微笑ましく、嬉しく、愛しかった。

その少女に、柱時計の鍵を託した。

逃げる為に。


ラントは逃げたのだ。

父の死が未だ信じられず、父の死を受け入れる時間が欲しい為に、彼は少女に鍵を渡した。魔物に襲われ、不様に死んだ父。


「……"あんな"親父の死を、俺は悼む事が出来るんだな」


ラントは自嘲的に笑って、口元を歪めた。

今日も客はこないだろう。そう思い立って、ラントが椅子から立ち上がった時だった。


───チリンチリンッ


宿屋の出入口の扉のベルが、小さく鳴った。珍しく、客が来た。

ラントは条件反射のように、宿屋に入って来た客、女の目を見つめた。そして、夜空色の瞳を見開く。


女の目は、赤かった。


その切れ長気味の目に収まった瞳は、まるで鮮血のように赫く、毒々しい輝きを放っている。赫眼の女はつかつかとしっかりした足取りで歩いて来ると、ラントが今まで座っていた椅子と向かい合う形になっていた椅子に、腰を降ろした。そして、世間話をするような口調で言う。


「いやぁ、この街の人間は面白いな。ただ道を訊いただけだというのに、ワタシの目を見た瞬間『ウィングリュックだ!』と叫んで逃げて行ったよ」


実に愉快そうに、女はくつくつと笑う。そんな女の反応にラントは一瞬呆けたが、我に帰るとハーブティーを淹れる準備をした。準備をしながら、口を開く。

「……この街にとって、赤い色は凶色だ。悪い事は言わねえ、嬢さん、早々この街から出てく事を勧めるぜ」

すると女は、その赫い目を面白いものを見るかのように細めた。

「───へぇ?アンタはこの目を見ても戦かないんだな」

そして赫眼の女は、歌うように言葉を紡いだ。


  赤い目の子は悪魔の子


 目の合う者に不幸を振り撒き


  名前を呼んで死へ誘う


その"歌"を聞いて、ラントは僅かに顔を歪めた。この歌が嫌いだというのは、初対面の女にも判っただろう。赫眼の女は歌うのを止めた。その女の前の机に、ラントはハーブティーを置く。女は優雅な動作でティーカップを持ち上げると、それを口に含んだ。満足げに頷いた女は、ラントにその赫眼を向けた。

赫い瞳が、興味深そうに毒々しく輝く。

「───それは、この迷信を信じていないからか。それとも」

一瞬、女が何を言ったのか判らなかった、しかし、それはさっきの科白の続きだと悟る。

「………それとも?」

ラントは続きを促すように、呟いた。女の、全てを見透したような視線は、どこか見覚えがあったが、思い出せなかった。

女はくすくすと子供っぽく笑うと言った。

「想い人が悪魔の子か。違うか?」

問われて、今度はラントが小さく笑った。


「………昔の、昔の話をしようか」

何故見知らぬ女にこの話をしようとしたのか、判らない。けれど女には言っても良いような、危うい安心感があった。興味深げにこちらを見つめる赫眼の女に向かい合うように、ラントは座った。

「───昔、つっても三年前の話なんだがな。俺には……」


ラントには、ウィングリュックという妹がいた。



現在から二十年前、ラントの家庭に、彼と五歳離れた妹が産まれた。ラントの両親は、娘の誕生を祝ったりしなかった。何故ならその娘の瞳が、赤色をしていたからだ。母は悪魔の子を産んだとショックし、慌てふためき、父とラントを残して蒸発した。

父は宿屋を継ぐ事もあって、逃げ出しもしなければ、妹を捨てようともしなかった。けれどそれは、何か災いが来る事を恐れた為の行動であって、妹の事を気遣った訳ではなかった。父は妹を一つの部屋に閉じ込め、ラントには妹に近付かないようにと釘を刺した。幼いラントは何故だろうと疑問に思いながらも、それに大人しく従った。

けれどそれは、何か災いが来る事を恐れた為の行動であって、妹の事を気遣った訳ではなかった。


そして時は流れ、現在から三年前。ラントは、父の言い付けを守り続けながら、宿屋の手伝いをしていた。だから妹の顔は見なかったし、いる事さえ忘れかけていた。

父は毎朝毎晩、妹の部屋へ行き、食事を運び続けた。父はその度顔を真っ青にして帰って来ては、ぶつぶつとある事を呟いた。


神様、どうか私達をお救い下さい、と。


そしてある日、父は発狂したかのように叫んだ。

「もう嫌だ!もう悪魔の顔など見たくもない!呪われる、呪われる!!」

そうして父は、ラントに妹へ食事を運ぶようにと、泣きながら懇願してきた。ラントは断る理由が見つからなかったので、困惑しながらも頷いた。


こうして彼は、初めて自分の妹に会う事となった。

母が蒸発し、父が泣き叫ぶ程だ、どれだけ醜く、恐ろしい妹なのだろう。そう思いながら、ラントは二階の一番奥の部屋へ向かった。

部屋の扉をノックしても、何の声も聞こえて来なかった。しかし中から、何かが擦れたような音がしたので、部屋には誰かいるのだろう。


「……入るぞ?」


ラントは僅かに緊張しながら、恐る恐る扉を開けた。部屋の中、開け放たれたカーテンの取り付いた窓の傍のベッド。その上に、妹は毛布を被って座っていた。

一言で言えば、儚い印象を受ける、普通の女の子だった。ノースリーブの白いワンピースを着た、華奢な身体。毛布から覗く、光を浴びた事がないような、白く細い手首。伸ばしっぱなしで、琥珀色のウェーブがかった髪は、朝日に照らされ艶を帯びている。毛布を被っていて顔が見難いが、見える細い顎と唇は白い。

彼女は、ラントが扉から顔を出すと、びくりと弱々しく身体を震わせた。初めて、父以外の見知らぬ男が入って来たのだから、当然と言えば当然の反応だろう。

だからラントは慌てて口を開いた。

「おっ、俺、怪しい奴じゃないから!親父に頼まれて飯を運びに来たんだ。あんたの、兄だ」

「…………………お兄、さん?」

弱々しく震えた声が、彼女の白い唇から漏れた。

まるで初耳、という声に、ラントは首を捻る。

「親父から聞いてねえのか?兄がいるって事位……」

すると彼女は、ふるふると首を振った。

「私は何も……知らなくて良い……存在、だもの……」

その言葉の意味が上手く判らなくて、ラントは更に首を捻った。しかしそれも数秒で、彼は朝食の乗った盆を彼女にちらつかせて言う。

「中、入って良いか?」

その科白に、彼女は微かに息を飲んだ、気がした。けれど彼女は小さく頷くと、ベッドの上から恐る恐る降りた。


彼女の、妹の話によれば、父は食事を持って来た際、ノックもせずに扉を開け、何も言わずに、目を合わせずに、すぐ傍の床に食事を置いて、逃げるように去るという。そんな娘に対する父の対応に、沸々と怒りが込み上げて来るが、それよりラントは、妹の顔へ視線を向けた。食事をする為、頭から被っていた毛布は肩に掛けられている。だから、彼女の顔が、目が、露になっていた。

感情の抜け落ちた、すっきりとした顔立ちは、ラントと似通ったものがある。大きく睫毛の長い目は、朧気に覚えている母を連想させた。

そして、彼女の瞳は確かに、赤かった。

でも、それだけだった。

別に恐怖を沸き起こす程のものではない。

自分の三白眼の方が、遥かに怖い印象を受けるはずだ。


こんなものだけに、街の人々は恐怖しているというのか。

こんなものだけで、父と母は娘を捨てるのか。

こんなものだけで、彼女は此処に幽閉されているのか。

こんなものだけで─────


「………ごめん……なさい」


突然、彼女はちまちまと食べていた手を止め、弱々しく呟いた。はっとして彼女を見ると、彼女はこちらを怯えた赤眼で見つめていた。しかし目がかち合うと、彼女が慌てて隠すように、目を伏せる。恐らく、ラントが眉を寄せ、怖い顔をして怒っていたから、謝ったのだろう。ラントは慌てて首を振った。

「いや、あんたに怒ってた訳じゃねえから!確かに怒ってたけど、それは街の人に対してだし!」

そう咄嗟に叫んでも、彼女は顔を上げてくれなかった。小さく震えた身体に触れたくなったが、それは彼女を更に怯えさせるだけだろうと考え直し、止める。

気不味い沈黙が流れたが、ふいに彼女は、口を開いた。


「……綺麗な、夜空の……色………」


突然の言葉に、ラントは口を開けたまま呆けた。しかしそれは自分の、この深い紺色の瞳に向けたものだと気付いた。

「夜空は、好き………よ………」

震える声で、ぽつりぽつりと言い出した彼女の声に、ラントは耳を澄ませた。

「夜空は……私の、醜い目を、隠してくれる……もの……」

「醜い、かあ?俺は夕焼けみたいで綺麗だと思うぜ、その目」

「え……………?」

ラントが思わずぼやいた科白に、彼女は顔を上げた。夕焼けのような赤い瞳が、驚きで揺れている。泣きそうな目に見えて、ラントはしまったと手を振った。

「べ、別に悪口言った訳じゃねえぞ!ただ素直にそう思って言っただけで」

「………いい。いい……の……」

すると彼女は、首をふるふると振った。

「夕焼け……。夕焼けの、目……」

何処かうっとりと、彼女は呟く。

そしてラントの瞳を見つめると、淡く淡く、微笑んだ。


「ありがとう……………」


幸せそうに、何処か、救われた表情をして。

ラントはその笑顔に、思わず見とれた。

その彼女の笑顔は、決して、一生、忘れないだろう。



「────で、その後、どうなったと思う?」


ラントは赫眼の女に問うた。日はすっかり暮れ、空は深い紺色に覆われていた。星の輝きは、暗くなるにつれ増している。

優雅に紅茶を飲んだ女は、赫眼を愉快そうに細めて、挑発的に言った。

「さあな。このまま家族三人、幸せに暮らしたって事はないだろう?」

女の挑発に、ラントはまるで動じなかった。彼は小さく首を振ると、自虐的に笑った。

「──────死んだんだよ」

赫眼の女は、僅かに目を見開く。


ラントが妹と会話を交わしたのは、その日が最初で最後になった。

彼女は自ら命を絶った。

ラントが夕飯を持って部屋に行くと、彼女はカーテンに首を巻き付けて、吊り下がっていた。

「その時の親父のほっとした顔は、思わず殴ったね。今でも赦せねえ」

でも、今ではそれも叶わない。

「……成る程ね。だからこの宿屋は、どの部屋にもカーテンがないんだな」

何処か的外れな事を言った女は、目を細めて小さく笑った。何故この宿屋に初めて来たと思われる女が"どの部屋にも"と言ったのか。その疑問は、三年間思っていた疑問で打ち消される。


「………なあ、嬢さん」

ラントは頬杖を付いて、声を漏らした。

「なんだい?」

「………俺が、俺のあの言葉が、あいつを殺しちまったのか?言わなかった方が、良かったのか?」

夕焼けのように綺麗だと言った時。

その時の彼女の表情が、まだ記憶の中で鮮明に浮かび上がる。

幸せそうな、救われたような笑みが。


赫眼の女は、静かに笑った。

「…………そうだろうな」

「───!」

その直球の言葉に、ラントは俯いた。

やっぱり、言わなければ。後悔ばかりが頭を過る。

しかし次の女の発言に、ラントは思わず顔を上げる事となる。

「でも、それで良かった、いや、それが良かったのさ」

赫眼の女は空になったティーカップを弄びながら、口元を歪めた。それは女が初めて見せる、優しい笑みだった。

ラントは女が言った科白を反芻する。

「それが、良かった……?」

「そうだ。彼女には最初、自分の事を罵る者しかいなかった。だからさっさと死にたかった。そしてそんな中、アンタが現れた。アンタという、自分を想ってくれる者が」

赫眼の女は、優しく優しく、懐かしむような色をその目に滲ませた。

「今自分が死ねば、アンタは悲しんでくれる。だから彼女は、自殺した」

「………何で、だ?」

「簡単な話だ。好きな人には、自分の事で喜んで欲しい、悲しんで欲しい、憐れんで欲しい、憎んで欲しい、考えて欲しい。元に、今のアンタがそうじゃないか。だからだよ」

「………そういうもんなのか?」

「そういうものさ」


彼女は、アンタに救われたんだよ。


赫眼の女は弄んでいたカップを机に置くと、全てお見通しだと言わんばかりの瞳を、ラントに向けた。

「……で、その話には続きがあるんだろう?」

「あ?ああ……」

ラントはその子供のような視線に急かされるように、言葉を紡いだ。

「───それから三年後、つうか今から一ヶ月前な。この街に、赤い目の女の子が現れた」

それはまさに運命、使命だと思った。

その赤い瞳をした女の子を、次こそ守ろうと。

せめて、自分よりは長生きさせようと、誓った。

「………ま、そいつも俺じゃ守りきれない存在になっちまったんだがな。今じゃあいつの帰りを待ってる身だ」

下らねえだろう?とラントは笑った。

「…………運命、ねぇ」

赫眼の女は意味深な響きで呟くと、椅子から立ち上がった。突然の動きで女を目で追うラントに背を向け、赫眼の女は出入口の扉に手をかける。

「じゃあ、ワタシはこれで失礼するよ」

「もう夜だぞ?夜道は危ねえ、泊まっていくと良い」

しかし女は首を横に振り、赫眼でラントを見つめた。

「アンタが早々に出てけと言ったんじゃないか、遠慮しとくよ。面白い話が聞けたしな」


────チリンッ


ベルが鳴る音が響く。

「───それと」

すると女は、扉を途中まで開いた状態で立ち止まり、ラントの方へ振り返った。椅子から立ち上がったラントを見据え、赫眼の女は問う。

「アンタが今想っているのは、妹?それともその赤目の彼女?」

その問いに、ラントは迷わず答えた。

「勿論、"あいつ"に決まってる」

死んだ妹をいつまで悼んでいても、何も変わらない。それは父にも言える事だ。自分もいい加減、前に進まなければ。

赫眼の女はその目を細めて笑った。

「───そう。その彼女は、戻って来ると信じているか?」

「当たり前」

「そうか」

迷いのない言葉を最後に聞いて、赫眼の女は宿屋を出て行った。静かになった宿屋に立ち尽くし、ラントは晴れ晴れと、小さく笑った。


「───何年だろうと、何十年だろうと、待ってるからな、アストロ」



赫眼の女は、長い髪を掻き上げ、美しい夜空を見上げた。その様は、誰もが絵になると思うだろう。

「当たり前、か」

赫眼の女はその美貌を歪ませ、凄絶に笑った。

「アンタは気が付かないだろうな、"ラントさん"」

つかつかと、迷いなく、赫眼の女は歩き出す。

「アンタが望む者は、二度と……」

女の声は誰にも聞こえない。

そこで女は哄笑する。


闇に包まれるように、赫眼の女は姿を消した。

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