第7話 こんな色
十五分描いて十分休憩、というのを計二時間程繰り返し、朱那の絵が完成した。
「……つっかれるー」
朱那がぐりんぐりんと体を動かしてストレッチ。それから、ふぅー、と大きく息を吐いてベッドの上にダイブ。おい、下着姿のままで俺のベッドに横たわるな。
なんてことを言うには、朱那はあまりにも疲れ切った表情。長時間じっとしていることの辛さは、描いている側にもひしひしと伝わってきた。気まずさはあるけれど、今はゆっくりさせてあげよう。
「モデルって、想像以上にきついわー」
「ごめん。もうちょっと早く描ければよかった」
「いいよいいよ。時間がかかるのはわかってたことだもん。っていうか、二時間でも短い方じゃない?」
「正直、短時間で描くために、かなり簡素な絵柄にはした」
「……ま、下着だし、今はそれでいいや。どんな感じになったの?」
ベッドに突っ伏す朱那にも見えるよう、タブレットPCの画面を見せる。
「わぁ……!」
朱那がすぐに体を起こし、ぱっと俺からタブレットPCを奪い取る。
「やっぱり、すごい……っ。何これ、わたしなの?」
「ちゃんと、モデルがわかるように描いてるはずだけど?」
「そうだけど! そうだけど……。雰囲気は、ルノワールの絵に少し似てるかな? でも、もっと明るくてポップさもある。
そして、柔らかで、温かい色合いと筆致……。色んな色を重ねた奥深さもあって、木漏れ日の中で佇むような輝きもあって……。一瞬で、心を奪われる。それに……不思議な髪色をしてるね。黒じゃなくて、もはや虹色? これで少しだけ雰囲気が歪になってるけど、どうして?」
「朱那が、まだ何者にもなりたくないって言ったから」
「……これは、その象徴?」
「うん。まぁ、考えてそうしたっていうより、自然とそういう風に描きたいって思ったんだ。全体の雰囲気を崩したとしても、それが朱那だと思ったんだ」
「……なるほど。いいね。ただありままを描くんじゃない。それが、やっぱり絵の魅力。『ブルーピリオド』でも言ってたよね。『あなたが青く見えるなら、りんごもうさぎの体も青くていいんだよ』って」
「まぁ、そういうこと」
「そっか。……ありがとう。描いてくれて。わたし、この絵、すごく好き。初めて、鏡には映らない、本当の自分を見つけられた気がする」
「……そんなだいそれたものじゃない。俺には、人の真の姿を見抜く力なんてない」
「そんなことはないよ」
朱那が不意に涙を流し始める。
唐突すぎて、ぎょっとしてしまう。絵を見ただけで泣く人なんて、初めて見た。
「な、ど、どうした?」
「……わたし、やっぱり、悠飛に描いてもらうために、生まれてきたんだと思う」
「……大袈裟な」
「大袈裟じゃないよ。だって……わたし、変じゃん」
「変って?」
「小さい頃からナルシスト、小四からヌードの自撮り、今でも自分が世界で一番綺麗だと思ってる。普通に考えて、ただの変人じゃん」
「それは……でも……」
「わかってるよ。わたしはどっかおかしいって。とても傲慢で、いっそ狂人の類。周りとあまりにも違うから、ずっと、窮屈だった。誰にも、自分の本当のことなんて話したことなかった」
「……そうか」
「日本では、わたしみたいなナルシストは居場所がない。自分が最高だって思ってる人に、お前なんて大したことないぞって押しつけてくる。わたしが確信するわたしの価値を、周りはいつも否定したがる」
「……うん」
「ヌードの自撮りを撮ってても、足りなかった。わたしのありのままがそこにあるようで、わたしの心は、やっぱり映らない」
「……うん」
「悠飛の絵の中に、わたしがいる。わたしが見てほしいと思う、わたしがいる。外見だけじゃなく、わたしの全部を、表現しようとしてくれてる。
わたしは、そう……きっと、こんな色をしてる……。綺麗……」
朱那ははらはらと涙を流し続け、それから一度タブレットPCを置く。
立ち上がり、俺にも起立を促す。
朱那が俺の前に立ち、そのままぎゅっと抱擁してきた。
「ありがとう……。悠飛に出会えて、良かった」
「……う、うん」
朱那は、本当に忙しい人だ。
さっきまで笑っていたかと思えば、今はこうして泣きじゃくる。
力強い一面を見せたかと思えば、幼児みたいな弱さも見せる。
精神が不安定? いや、感情豊かの範疇か。
それにしても……自分が下着姿だって、わかっているのか? その……当たるし、綺麗な肌が見えすぎているし、いい香りが漂ってくるし。
絵を描いているときじゃないんだ。そんなことされると、変に緊張してしまう。
「わたし、やっぱり悠飛が好き」
「……あ、ありがとう」
「一生、離さないから」
「……なんて応えればいいのか」
「まだ、何も言わなくていいよ。ただ、悠飛もわたしを抱きしめてくれたら、嬉しい」
「うん……」
触れる場所に迷いながら、朱那の体をぎゅっと抱きしめる。
俺よりもよほど力強い人なのに、随分と小さくて頼りない体。
初めて実際に触れる女の子の体は、想像以上に華奢だった。
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