暇つぶしの短編集

@tsushimajima

小さな嘘

 ある時、私は小さな嘘をついた。

 世間一般的に見ればあまりにも小さく、そしてあまりにも何気ない。そんな酷く矮小な虚言。

 だというのに、それはあの子にとって、そして私にとって、手に余るほどに巨大でかつ強大なものであった。

 そして、私という存在は、屁泥にさえ思えるような生温い風を一身に受け、そこに立っていた。床が石由来のものだからか、足裏に覚えた感触は死体めいた冷たさのみだった。

 ベランダの塀に手を掛け、私はソレを見下ろす。その先はあまりにも深く、そしてあまりにも昏い。

 目を逸らすように空を見上げてみれば、そこに広がるのは雲一つない黒空。そこには、絵の具を跳ねさせたかのような白い斑点が、数えるだけで人の一生を消費してしまいそうなほどに輝いている。

 私はそれからも目を逸し、上腕に力を入れて塀を下方へ押しながら、両の脚を曲げ、そして勢い良く伸ばし、身体を宙に浮かせた。

「ふっ……っと」

 僅かに景色が下へ流れる。

 だが、それもつかの間、着地とともにその景色もストンと元へと戻ってしまう。

「椅子……いるかな?」

 私は振り向き、そこにあった取っ手を右手に握ると、夜であるためにゆっくりとそれをスライドさせていく。

 ベランダと繋がったその空間へと足を踏み入れると、先程よりかは幾分か暖かな木のフローリングを踏むことができた。

 暗い部屋の中、私は迷わず右斜め前方へと向かっていく。手で前を探りがらもその方向へ歩いていく。

 そして、数歩とかからずに両手に伝わった感覚が、それの存在を私に教えてくれた。私はそれを掴むと、勉強机に付属する椅子の脚にはよく付いている、小さなタイヤの回るコロコロとした音を聞きながら、来た方へとそれを転がしていった。

「よいしょっと」

 ベランダと私室の境界には僅かな段差があるため、軽くその椅子を持ち上げて、再びそれを越える。私には、その境界が私という存在を不可逆の存在にするためのものに思えてならなかった。

 そして、椅子をコトンと石の床の上に置いて、その上に立つ。

「これならいけるかな?」

 続けて、ベランダの塀の上に立つ。流石にマンションの八階ともなれば随分と高い。ここからある程度の質量を持ったモノが落ちてしまえばひとたまりもないだろう。

「……よし」

 私は目を瞑る。

 それは、私にとって黙祷という行為のそのものであった。

 私の小さな嘘が、あの子を陥れたんだ。

 私の小さな嘘が、あの子を苦しめたんだ。

 私の小さな嘘が、あの子を殺したんだ。

 私は、自分が助かりたいがために、親愛なるあの子を見捨てた。イジメという名の抗い難いまでの濁流の一つとなって、あの子を苦しめ続けた。

 なら、自らを殺めてしまった彼女と同じところに行くという行為は、私のせめてもの贖罪だろう。私は生きていてはならない。

「ごめんなさい、私のともだち」

 私はそう呟き、その闇の中へと身を投げる。宙を落ち始めれば、頭の重量に体が傾き、私の視界は天を捉えた。

 そこには、先程見上げた星空が広がっていた。

(あ、あ……れ?)

 すると、不意に形容し難い感情が脳裏を掠めた。

(あんなに……きれいだったかな……?)

 私は落下しているというのに、不思議なまでに景色はゆっくりと流れていく。故に、私の視界はただ一面の星空で、その光景が網膜にこびりついていた。

(……いやだ……)

 そんなことを心中で呟くも、世界は己の在り方を思い出したかのように動き始め、そして加速していく。

 それはあまりにも無慈悲に、そして私を嘲笑うかのようだった。

 そして、私はあまり余るほどの後悔と共に、それを確信してしまった。

 だが、それは────

(……死に……たく────)




 ────もう、遅すぎたのだ。



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