01-005 救助
ガコン
何かの金属的な衝撃音。
続いて、何やら叫ぶ人の声が頭上から聞こえた。
「ん?」
気になって見上げたギンジは――硬直した。
「な!?」
人が、落ちてきてる……!?
しかも、ちょうどナオのちょうど頭上に。
このままいくと――
「おい嬢ちゃん!」
ギンジが慌てて叫ぶと、ナオはすでに気づいていたようで、視線を上に向けていた。
(ああ、これはぶつかるな)
直上から落ちてくる少年を眺めながら、ナオは暢気にそんな事を考えていた。
(ぶつかったら中身入れ替わったりして)
ナオは何年か前に見た古い映画を思い出しつつ、くだらない妄想に興じる。
(ぶつかっただけで中身が入れ替わるのは非科学的)
(あれは魂とかそういうもので人を捉えてた時代だからこそあり得た設定)
(脳の仕組みも記憶や心の源泉も解き明かされた時代にはできない考え方)
(霊だの魂だの神様だの妖怪だの宇宙人だの、古い時代は想像の余地があって楽しそう)
(テクノロジの進歩した時代は物語の作りにくい時代)
(…………)
(……)
(…)
(……さすがに放っとくわけにも
眼前に迫るあからさまに面倒くさそうな出来事に、しばし現実逃避していたナオは、内心でため息をひとつつくと、思考の速度を一段階上げた。
まずは状況把握。
落ちてくるのは少年。
短髪。どことなく情けない顔。ひょろりとでかい図体。
服装の傾向からして恐らくは高校生くらいだろう。
落下軌道や速度から見て転落元はビルの屋上。
AIネットワークから視覚を借りて見た感じ、屋上の錆びた鉄柵が一カ所壊れている。少年の慌てたような表情などから見ても、落ちてきたのは意図的なものというよりは事故の線が濃厚。
ただ、体の冷え具合や手足衣服の汚れからすると、外に長い時間いたようだし、それ以前に、そもそも元旦の朝にこんなビジネス街のビルの屋上にいるのは変だ。
恐らくは飛び降りようとして、怖じ気づいてウジウジしてるところに、風でも吹いて柵が壊れて事故的に落ちた、とかそんな感じだろうか。
……やれやれ。
人命保護に熱心なマイクロマシン達が集まってきて、少しばかり落下速度を殺してくれているので、彼がこのまま地面に叩きつけられても生命に危険が及ぶ可能性は低い。
ただ、元旦でこの辺りのマイクロマシン密度が薄かったせいだろう、速度をいまいち殺し切れていない。落ちる角度もあまりよくなさそうだし、このままいくと、打ち所が悪ければどうなるかわからない。
まあ、年始にこんなはた迷惑な事をしようとしたクソガキだ。大怪我するくらいで丁度いいんだけど――
とはいえ見捨てる、という選択肢は
取れる選択肢を考える。
自分の手で救助する?
それはボクのようなか弱い女性にできる事じゃない。
少年を助けつつ自分の身も危険に晒さず――となると……やりたくはないが、やはりこれしかいないか。
(アーちゃん、ゴメン)
ナオは
同時に自らの体を少年の落下ポイントから待避させ、さらに並行して少年の落下軌道と速度、体制などを精密に計算する。
このままいくと少し落ちる角度が悪く、頭を打ちそうなのをどうにかしたほうがよさそうだ。
ナオは【R12】をリモートコントロールし、手足の筋力のリミッタを外すと同時に【R12】の体を少年の落下軌道上に大きく跳ね上げた。
空中で【R12】の体を少年にぶつけ、その落下速度を僅かに殺しつつ落下姿勢を調整する。そして【R12】が少年をおんぶするような体制になるようにして、そのまま【R12】と少年を一緒に自由落下させる。
少年を背負った【R12】が四つん這いの体制で地面に到達したところで、その手足をクッションに、少年の体にかかる衝撃を和らげる。
さらに【R12】の体を傾け、少年の体を横に転がすことで衝撃を逃がす。
少年の体はごろりと転がり、仰向けで止まった。
気絶しているようだ。
念のため医療アプリでスキャンをかけてみる。転がる際に大きく動いてしまった手などに多少の打ち身や擦過傷はあるが、内臓へのダメージや骨折などの重大な問題はなさそうだ。
救急ロボ車や医療ドローンを呼んだりも要らないだろう――というか、正直なところこんな馬鹿者のためにAIたちのリソースを消費させたくない。怪我くらいは自分の治癒力でどうにかしてほしい。
「大丈夫か?」
「見ての通り」
血相を変えて慌てて駆け寄ってきたギンジに、ナオはまるで何事もなかったかのように返した。
「ギンさんこの程度の事で慌てすぎ」
「この程度の事ってお前……いやま、お前さんにとっちゃそうなんだろうが……さすがに肝っ玉冷えたぜ」
「事件性なし。どっかの馬鹿が世を儚んだのか落ちてきただけ」
「お……おう、そうか……」
目の前で高速展開された出来事にまるでついて行けていないギンジは、持ち前の飄々とした冷静さを欠いた様子で、何をどう処理していいものかと固まってしまっている。
そんなことより――
ナオは壁際に横たわる人身救助の功労者、アンドロイド【R12】のボディに近づき、その腕に触れた。
指先に伝わってくる、断裂した筋組織の感触。
(これはダメかな……)
リミッタを外してアンドロイドを動かすというのは、当然ながらリスクが大きい。
接続して確認してみると、やはり手足の筋肉組織がかなり大きなダメージを負っており、結構な数の箇所に自己修復不可・要修理のステータスが点いている。
もちろん、アンドロイドである以上、パーツの交換や修理は容易だ。
だが、アンドロイドというのは、パーツを直せばすぐに完全に元通りになる、というものではない。
この【R12】をはじめとした多くのアンドロイドには、人が活動に応じて筋肉組織や神経系を成長させるのとよく似た仕組みが備わっている。
パーツを修理・交換すると、それまでに積み上げた成長が一旦リセットされる事になるため、体を動かす時のちょっとしたクセや触れた時の感触などが微妙に変わってしまう。
それは、普通の人々にとってはたいした事ではないかもしれない。だが、日常的に多数のアンドロイドに囲まれ共に仕事をこなすナオにとっては、その微妙な違いでも、まるで別のアンドロイドになってしまったように感じられて悲しい。
(コイツさえ降ってこなければ……)
ナオは、横で暢気に白目を剥いて気絶している少年を忌々しげに睨んだ。
なんだよ、正月に自殺って。
自殺――
人が、死ぬ――
死ぬ――?
胸の内に湧き上がる不快感に、ナオは顔をしかめた。
まったく、人ってやつはろくな事をしない。
そしてそんなろくでもない連中を、こうして助けてしまう自分もまたろくでもない。
「おい、兄ちゃん大丈夫か?」
横ではギンジがしゃがみ込んで、少年の頬を軽く叩いたりしながら、声をかけている。
「ほっときなよそんなの」
ナオは冷たく言い放つ。
「そういうわけにもいかねぇのが警察ってとこに所属する大人ってもんでな」
「そ」
……まったく、ろくでもない。
ナオは、はぁ……と少しだけ温度の高い息を吐き出すと、白衣のポケットからキャンディを一つ取り出し、ぱくりと咥えた。
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