第9話


「本当にうまくいってしまいましたね」


「信じる気になったようでなによりだ」


 王の私室で、姫は我が物顔で紅茶を淹れる。香りに包まれて、姫は今日初めて息を吸う。


「お砂糖はひとつ? それともふたつ?」


「強き者に従うのがケモノの本能だ」


「怯むことなく、意志を伝える。それだけで、ここまでうまくいくなんて拍子抜けです」


 すべてが丸く収まったわけではない。

 それでも、姫を妃に迎えることを大臣たちは前向きに検討することを約束した。それにともない、姫が、王の私室に通される許可を得ることになった。


「普通ですと、正式に結婚するまで私室に入れないと思いますが……そのあたりもケモノ側の風習でございますか」


「我慢できぬ者が多いのでな」


「まぁ」


「互いにな」


「あらまあ」


 ちらり、と流し見られた寝室の、大きな寝所。

 いつの間にか、二人分の準備が整った天蓋付きの寝所を目で追って。


「我慢できませんか」


「眠気であればな」


「意気地がありませんこと」


 ふたりは今日もカップを鳴らす。

 淹れた紅茶の風味を姫が味わえば、王は香りを楽しんだ。なんということはなく、彼が猫舌というだけである。狼であるが、舌は猫なのだ。


「だとすれば、納得がいくというもの」


「そうか」


「最初に言われた時は耳を疑いましたわ」


 決して目を合わせようとしない雌獅子のケモノから受け取ったものを、姫は大層大事に王の私室に持ち込んだ。


「文化の違い、ここに極まりといいましょう」


 ※※※


「まさか結婚する前の身で、男女が入浴を共にするとは思いもしませんでした」


 王、たったひとりのために用意された大浴場。入浴を許されるのは、王の許可を得たものだけ。

 裸体をタオルで隠すことなく、仁王立ちする姫は、それでも性別を疑いたくなるほど美しかった。


「これほどの湯を沸かすとなれば、どれほどの贅が泡と消えるのでしょうか」


「温泉だ。薪は使わない」


「それもまた贅沢で……」


「どうした」


 振り向き、固まる姫。

 彼女の違和感に思わず尋ねた王の手がとまる。モコモコと泡立った石鹸が、ぽたりぽたりと床に落ちた。


「ぶふっ!?」


「うん?」


「ぶはははっ! な、なんだそれ! お、おいちょっと待て、ちょっと待って!!」


「……何がだ」


 王を指差し、彼が笑う。

 我慢出来ないと腹を抱えて笑うのだ。このまま床に倒れてしまいそうになるほど、彼は大きく笑うのだ。


「ぺ、ぺしゃんこぉぉ……!!」


「あぁ」


 彼が指さすその先を、自らを指差す彼の指と彼の言葉を受けて、どうして彼が笑うのか。理解し、納得し、興味を失って王は泡立てた石鹸をその身にまとう。


「え? え? なに? ケモノって皆そうなの!? みんなそんなぺっちゃんこになるの!?」


「わたし達からすれば、肌を露出しているヒトのほうがおかしいと思うがな」


 二メートルを誇るケモノの王。

 その巨躯を覆う漆黒の体毛が、水に濡れてそれはもうぺっしょりと肌にくっついた。おかげで、彼の体躯は二回りほどは小さく見えてしまう。


「やべっ、ちょっ、やっばいって! え? じゃあさ、じゃあさ……!」


「おい」


「一本角ぉぶふぅぅぅ!!」


 椅子に座り頭を洗う王の毛を、小さな手がまとめて上に伸ばしていく。水と石鹸の力を借りて、見事な黒い角が王の頭に生えていた。


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