約束

次の日の朝、明らかに母の機嫌が良かった。


「おはようございます」


俺がそう挨拶をすると


「あ、おはよう愛斗」


母は俺の目を真っ直ぐ見据えて笑顔でそう言ってきた。…やめてくれよ。そんな笑顔を向けないでくれ。どんな顔したらいいか分からないだろ。


「おはよう、お兄ちゃん」


そんな母とは対照的に妹の奈那さんは俺に挨拶をした時に寂しそうな表情になった。…そんな顔もやめてくれよ。どうしたらいいか分からないんだって。


「奈那さ…」


俺はそう言いかけてやめた。いや、やめたという表現は正しくない。次に続く言葉が出てこなかった。


「お兄ちゃん?呼んだ?」


奈那さんが首を傾げながら俺のことを見つめてきた。


昨日母に話せたのはかなり心を整理する時間があったからだ。だが今は朝でそんな時間もない。


「…いえ、なんでもないです」

「そっか…」


俺がそう言うと奈那さんはさっきよりいっそう寂しそうな顔をした。


俺はそんな顔を見て心が痛…痛んだのか。俺は心が痛んだのか。どうして。俺が奈那さんに受けた仕打ちは到底許そうと思えないようなものだった。だが今は奈那さんの寂しそうな顔を見て心が痛んでいる。


俺はなんなんだ?一体どうしたいんだ?


自分の心が分からない。


「…学校、一緒に行きますか?」


俺は気づけばそんなことを口にしていた。それは無意識だった。


「っ!い、いいの?」


そんな発言に対して奈那さんはこちらの表情を伺うように聞いてきた。


「…別に嫌ならいいですけど」

「い、行く!直ぐに準備するから!」


そう言って寝巻き姿の奈那さんは階段を駆け上がって行った。


「愛斗…」


母は目に薄く涙を浮かべていた。なんだよ。なんで泣いてるんだよ。


俺は母の目を見ていられなくなって目を逸らした。そして気まずさを誤魔化すように母の作った朝食を食べた。


最近母はずっと朝食を作り続けている。朝早くから仕事があるのに。どうして?今までの俺ならそんな疑問を抱いていただろう。だが昨日母の本音を聞いてしまった。そしてそれが嘘偽りでないことも理解してしまった。だからこの朝食を捨てるなんてことは出来なかった。


「あ…もう行かないと…」


母はそう言うと少し寂しそうな表情になった。


「今日もできるだけ早く帰ってくるからみんなでご飯を食べましょう」

「…分かりました」


今の俺にはこう言うことしか出来なかった。そう、明確な拒絶が出来なくなってしまった。


今でも覚えている。母が妹だけに構っている時のことを。それを見ていた俺は胸が締め付けられたし嫉妬心すら覚えた。それでもそれを表に出さなかった。今思えばそれがいけなかったのかもしれない。もっと母に構ってくれと言っていたら何か変わっていたのかもしれない。だが仮にそんなことを言ってしまっては母はキャパオーバーしていだろう。結果的に俺のとった行動は良かったのかもしれない。


本当に厄介な話を聞いてしまった。母を見ると昨日の話が脳裏をよぎる。母を見る目が変わってしまった。


そんなことを思っていたら階段を勢いよく降りてくる音が聞こえた。


「お兄ちゃん!準備出来たよ!」


そう言って制服姿で降りてきた奈那さんは最近で1番いい笑顔をしていた。


「…そう、ですか。俺も準備してきます」


その笑顔を見たら何も言えなくなってしまった。だってあの笑顔は小さい頃の妹の笑顔だったのだから。


準備を終えリビングに向かう。そこで声が聞こえてきた。


「ねぇ、お母さん。お兄ちゃん何かあったのかな」

「分からないけど、昨日の夜愛斗と話した時に私の本心を伝えたの」

「お母さんの本心…」

「でも本心を伝えたって言っても、私が愛斗にしてしまったことが消えるわけじゃない。私はこれからどんなことがあっても愛斗を幸せにしなければいけないの」

「お母さん…」


今は少しだけ母の愛を感じた。


「でもやっぱり遅すぎるよ母さん…」


口から自然とそんな声が出ていた。俺は慌てて口を抑えた。幸い、あの2人には聞こえていなかったようだ。


「準備出来ました」


何も無かったかのようにリビングに出ていくと奈那さんが反応した。


「早く行こ!お兄ちゃん!」


そんなに急かさなくても時間には余裕があるだろう。それなのに嬉しそうにはにかみながらそう言ってくる。


「…はい」


やっぱりそんな顔をみたら何も言えなくなってしまった。


俺たちは並んで歩いた。特に会話らしい会話は無かった。それでも隣で歩いている奈那さんは満足そうな顔をしていた。


今日は少し早い時間に出たせいか沙也加が待っていることは無かった。


…今なら言えるかもしれない。


「…奈那さん、今日の夜に話したいことがあります」

「えっ…えと、わ、私今日は夜用事があって…」

「なら次の日でも構いません」


俺は奈那さんの目を真っ直ぐに見据えてそう言った。


「…分かった。今日の夜だね」

「はい。夜奈那さんの部屋に行ってもいいですか?」

「…うん。いいよ」


俺がそう言い切ると奈那さんは先程までの笑顔とは打って変わって悲しそうな顔になった。…どういう感情なんだろうか。


とりあえず約束を取り付けることが出来た。どうなるかは分からないが。



【あとがき】


前話のあとがきで不定期更新になるかもしれないと言いましたが、できるだけ更新頻度を上げるつもりでいます。

具体的には、最低でも3日に1回は上げたいと思っています。1週間を超えることはないと思います。

また、どれくらいこの物語を続けるのかも全く決まっておりません。先が不透明ではありますがこれからもよろしくお願いします。


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