第14話

 例の動画はモザイク無しで全世界に向けて公開された。あの日を境にモデルとなった二人とは顔を合わせることもなかった。

 これまで食い物にされてきた被害者達にここぞとばかりにネット上で貶められた彼らは、ついに一家揃ってこの街から姿を消したとか消してないとか――まぁ、僕にはどうでもいい些末なことには違いないけど。


 電車を降りて改札を抜けると、野村くんからいつ頃到着するか訊ねるメッセージがスマホに届いていた。


『最寄り駅に着いたから、もうすぐ着くよ』


 返信を待ち構えていたことがまるわかりの既読マークが直ぐについた。茹だる暑さが既に過去のものとなりつつある住宅街の一等地、僕なりの一張羅が場違いで見窄らしく見える豪邸が、お隣同士腹の足しにもならない虚栄心を満たそうと競い合うように建ち並んでいた。

 その中でも一際異彩を放つ巨大な壁が僕を出迎えた。刑務所のように四方をぐるりとコンクリートの壁に取り囲まれ、息が詰まりそうな造り。頭上の監視カメラを一瞥してからインターホンを押して暫く待っていると無言で門が開いた。


 足を踏み入れると、広がるのは我が家と猫の額ほどの庭が収まってもなお余裕を感じさせる敷地が広がっていた。およそ一般家庭の年収では賄いきれないだろう高級車の数々が、これみよがしにガレージに並んで来客者を威圧している。


「さあ、上がって。狭いけどくつろいでいってよ」


 僕の部屋ほどの広さの玄関で出迎えた野村くんは、寄り道せずに真っ直ぐに自室へと案内した。

 いたるところに並ぶ悪趣味な調度品は、不在にしているご両親のセンスだという。虎の剥製も、西洋の甲冑も、一切無視して先を進む背中を追う。螺旋階段を上りながら振り向く顔には、何も反応を示さない僕への不満が滲んでいるようにみえた。


「どうぞ」


 通された一室は素人目にもわかる金に物を言わせた高級家具で統一され、一流ホテルのスイートルームと比較してもなんら遜色のない内装だったけれど、これと言って羨ましいとは思わなかった。


「あのさ、どうして僕を自宅に招いてくれたの?」

「他に言う事ないのかよ。まあいい……まずは座れよ」


 一脚ウン十万はくだらないソファーに腰を下ろすよう勧められるも丁重に断り、早速核心に触れた。するりと足元を何か柔らかい物体が通過していくと、いつの間にか部屋に潜り込んでいたロシアンブルーを野村くんは見たこともない慈愛に満ちた顔で抱きかかえ、柔らかそうな毛並の背中を撫でながら答えた。


「杵柄ってさ、自分の事意外どうでもいいと思ってるタイプだろ」

「……さあ? そもそも全人類に当てはまるような質問だと思うけど」

「ほら、そういうところだよ。無自覚だけど真理を理解しているじゃないか」


 つい最近までは直視することも難しかった野村くんの顔を、今はハッキリと目にすることができる。だから目の下に濃い隈がハッキリと浮かんでいたことにも気がついていた。

 満足に睡眠も取れていないのだろう。この一週間、上納金を支払わなかったことで激怒した半グレ集団が、彼に制裁を加えようと学校にまで頻繁に顔を出していたもんだから生粋のワルなど見たこともない生徒は怯えに怯え、野村くんがなんらかの犯罪集団と関係を持っていることを知った信者達は潮が引くように彼から離れていった。  

 まぁ、世の中なんてそんなもんだ。


 渦中の本人はというと、嵐が過ぎ去るまで静観しているつもりなのか部屋に閉じ籠もっているばかりで、正直言うと痛々しかった。

「神は死んだ」と過去の偉人は語っていたけど、まさにそのような気持ちを時を超えて味わっている。


「俺にはわかるんだよ。その薄気味悪い仮面の下に隠れている素顔が一体どれだけ悪趣味で利己的なものなのかを。そういう人間を親父の職業柄ガキの頃から山程見てきたからね……」

「う〜ん……ごめん。何を言いたいのかさっぱりわからないよ」

「親しい人間だろうが己の欲望を満たすためなら他人と割り切る。自分の欲望の赴くままに掻き回した結果、どうなろうが知ったこっちゃない。そういう類いの人間なんだよ、俺もお前もね。だけど、きっと正解なんだ。どの分野においてもトップに君臨する人間というのは、決まって他人のことなどこれっぽっちも斟酌しない奴だと歴史は証明しているし、なんなら俺の親父もそうさ……。まともな人間では辿り着けない地位に就いているのがその証左だからね」


 改めて野村くんの父親の名前を訊ねると――そういえばそんな名前の政治家がいたような――と、政治に関して無知な僕でもぼんやりと思い浮かべられるくらいに有名な一廉ひとかどの人物だった。


 野村くんはどうやら「隠し子」にあたるらしいけど、問題を起こしても退学処分にも事件が表沙汰にならないのは、その血筋のおかげなのかもしれない。

 聞いてもいないのに自らの苦悩を延々と語り続ける。よっぽど仮面をかぶり続けるのが苦しかったのだろう。


「立派な父親を持った俺は、同じように立派な息子にならなくちゃならない。レールから外れることを許されない運命がどれだけ辛いか、その苦労がわかるか? 学校の成績が優れているだけじゃ見向きもして貰えない。なぜならそんな奴は上を見上げればごまんと存在するから。なら腕っ節が強ければどうか、きっと鼻で笑われておしまいに違いない。力自慢なんて、いつかより強い力にねじ伏せられると相場は決まっているからね。では一体どうすれば期待に応えられるのか――出した答えはシンプルだった。シンプルが故に最も困難と言ってもいい。つまり、全てにおいて完璧な超人にならなくてはならない。知能指数も、暴力も、金も、人脈も、人望も、全て手に入れたうえで、寸分の狂いもなく十全に駆使して、やっと親の期待に沿うことができる。そのためにも、今は唇を噛み締めながら将来の為の土台を作っていたというのに――」


 忌々しそうに爪を噛むと、近くに置いてあった過去の栄光を司るトロフィーを床に叩きつけて破壊していった。

 親の期待に報いる為にと長年演じていた仮面の数々を叩き割る。全て破壊し尽くすまでそれは続いた。僕はそれを黙って見ていた僕には、まるで部屋中に慟哭が反響しているように聞こえた。


「そんなに認められたかったの?」

「……なんだと?」


 深々とため息を吐かずにはいられなかった。結局は君も自慰をしてただけなのか。

 僕は、君の親に対する鬱憤を晴らす為の都合のいいオカズだったというわけか。


「なんだよ。溜め息なんてついて」

「いやね、あまりにも野村くんの事を買い被りしすぎていたみたいで軽蔑していたところだよ。気を悪くさせたならゴメンね」


 理想はいつも音を立てて崩れていく。

 こんなこともあろうかと背負っていたリュックサックの中に手を突っ込んで、用意していたプレゼントの感触を確かめながら一歩一歩彼に近づく。すると隠れていた野村くんの本性がハッキリと見えた。

 外では太陽が傾いて室内に影が伸びる。得体の知れないバケモノを見るような怯え表情がハッキリと彼の顔に浮かんでいる。


 なんて情けない、嗜虐心を煽る表情をしているのだろう。

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