強欲の章-Ⅳ【暴食】
第61話 タイムリミット
「お待たせ、待たせちゃった?」
「ううん、兄様以外で人を待つ事ってあまりないから、こんな風に私が誰かを待つだなんて入学当初は思いもしなかったから、楽しくて」
「そ、そっか。すごい、似合ってるよ。語彙力がなくて申し訳ないくらい、綺麗だ」
「お世辞でも海斗さんに言われて嬉しいです」
「お世辞なんかじゃないって、行こう」
照れ隠しに勢いでその手を握って境内へと駆け出す。
凛華はポカンとしながら着いて来たが、咄嗟に手を握ってしまったことに対しての罪悪感が湧いてくる。
「ごめん、手を握るのダメだった?」
「いえ、そういうのではないんですけど。異性の方と手を握るのが初めてでして」
「え? 勝也さんとは?」
妹の明海とは割と手を繋いで帰った思い出が蘇る。これくらい普通じゃないかって思ったんだが……
「後ろについていくのが精一杯で。全く」
そうなんだ。そこまで箱入りだとは思わなかった。
手を握った程度でここまで顔を赤くされるのも初めてで、どうしたものかと迷ってしまう。
彼女の場合にとっての俺は、兄とは別の異性。
兄と手を繋ぐのとでは訳が違うのだと思えば納得した。
「ごめん、嫌だったら手、離そうか?」
「あの、もう少しこのままで」
嫌ではない様で良かった。
だからって相棒よ、臨戦態勢になってくれるな。
女子の手って柔らかいよな、と先程久遠に指をしゃぶられたのを思い出して変な気持ちになる。
「もう、大丈夫です。行きましょう」
凛華は笑みを浮かべながら恋人としてのステップを乗り越えた。
人前で手を握るくらいはもう大丈夫な様だ。
さっきまで握られていただけだった手を握り返してくれた。
ちっちゃくて柔らかい。細い指が俺の手をしっかりと握る。
「ああ」
なんとなく、彼女の首筋に目が行った。
誰にも口をつけられたことのない真っ白な首筋。
そこへなぜか目が向かう。
自分の思考が何かに塗り替えられるように、でもやっぱり気になった。胸やお尻に釘つけになる男は少なくない。
なぜ俺だけ首なんだ。わけのわからない欲情に、心がかき乱される。首が、どうしたというんだ。
「海斗さん?」
「なんでもない。願い事は決めて来た?」
「はい。今年一年を幸せに過ごせます様にと」
「俺は妹が元気に過ごせる様にってお願いするつもりだ」
「あら、私を信用してくれてないんですか?」
不意にむくれる凛華。その表情も愛らしいが、それとこれとはまた別の話。
「勿論凛華に任せてよかったとは思ってる。自分でも先見の明があると思うくらいにさ」
「でしたら……」
「でもそれとは別に兄貴としての心配が上回っちゃうんだな、これが。あいつがすぐ調子に乗るやつなのは一緒に育った俺が一番よくわかってる。それに、ずっと入院してたからさ、あれこれやりたいことが多すぎてハメを外しやすいから。勿論凛華の前ではいい子にしてると思うが、それ以外でやらかしそうだなと」
「それは、確かに……」
昨日の特大パフェの件で懲りたのだろう。
あれはなかなかに大変だったからな。シャスラの存在も明るみになってしまったし、彼氏としての面目に暗雲がかかってしまった一件でもあった。
「だからこれは身内としての心配」
「でしたら私は海斗さんの心配をすることにします」
にこりと笑みを浮かべながらそんな返し。
「俺?」
「恋人なのに自分の心配ばかりでは恋人失格ですから」
「俺は凛華にそこまで求めては……」
「私がしたいんです。それなら良いでしょう?」
「ま、まぁ凛華がしたい事なら応援するよ。じゃ、じゃあ照れ臭いけど頼もうかな?」
「はい」
ああ、もう。めちゃくちゃ可愛いなこの子。
そんな子に変な劣情を抱いたさっきの自分をぶん殴ってやりたい。
俺は自分の欲求を抑え込み、彼氏としての俺を維持した。
お祈りを済ませたらおみくじを引く。
お互いに大吉と絶好調だが、共に今以上の幸運はないと思ってるからこのおみくじは今更だな。
絵馬に今後の目標を書いて掲示板に結んでいった。
あとは家に帰るだけとなって、少しだけお時間を頂けますかと凛華から申し出があった。俺は勿論と答えて人気の少ない方へ。
一体なんの申し出があるのかと身構えていると、振り返った彼女からは憂に満ちた瞳が向けられた。
「実は海斗さんには悲しいお知らせがあります」
「悲しいお知らせ?」
「はい。父様の統括している実験の事です」
「勝也さんから大まかなことは聞いてるよ。凛華はその道具として育てられたと」
「そこまで聞いていたのならお分かりいただけると思いますが、私の学園の滞在時間が一年減らされました」
「一年、つまり今年いっぱいで?」
聞いた話では在学中までは自由意志を奪わないと聞いていた。
しかしいまここに至ってそれが打ち切られた。
原因はなんだ?
「はい。せっかく告白してくれたのに申し訳ない気持ちでいっぱいですが、私は父様の人形として過ごさねばならなくなりました。本当はこんな事、海斗さんには知らせたくなかった。ずっと秘密にして、恋人ごっこを演じたかった。でも……私がTPを稼ぎすぎたお陰で予定が早まってしまったんです」
悲しみに暮れる凛華。
そうだ、彼女は父親の研究道具として命を受けた人形。
人形と言ったってそう扱ってるだけで彼女は感情もある人間だ。
嬉しかったら笑い、悲しかったら泣く。感情のある人間だ。
それが感情を消されて過ごすだって?
それが親のやる事かよ!
胸の奥がカッと熱くなる。
凛華の親父さんに対する敵愾心が強く昂った。
「なにか、違う解決策はないのか?」
「父様は仰いました。不測の事態が起きたと。それに備えるために私を実戦配備すると。それだけTPを稼げるのなら学園でのお遊戯は早めに切り上げても構わないだろうと」
「不測の事態? それは……」
「Aランクダンジョンの踏破。序列の変換。新規の王が誕生した為、私の身柄を確保する必要ができたと」
「王……序列?」
つい最近聞いた言葉だ。
つまり、俺がAランクダンジョンを踏破してしまった事で親父さんを刺激してしまったと?
そもそもの原因が俺の手助け。それがきっかけで凛華を窮地に陥らせてしまっている。
良かれと思って手を貸したことが全て裏目に出るとはこのことか。
「ここから先は海斗さんが首を突っ込んでいい件ではありません。世界を賭けた戦いになります。父様は平和だった日本だけでなく、異世界から侵略して来たダンジョンルーラーを退けるために私達ダンジョンチルドレンを作り出しました。人外の力に抗うためにその寿命を消費して。だから私の寿命は持ってあと二年なんです。父が計画を急ぐのはその為で……だから……」
言葉を発せなかった。
喉の奥が渇き、息が詰まる。
あの非道と言われたダンジョンチルドレン計画にそんな背景があったなんて。
俺は勝也さんの一方的な思い込みを聞いて親父さんは打ち倒すべき悪だと思い込んでいたが、どうやら事情は少し変わるようだ。
彼女はそれなりに事情に通じているようだ。
どうにかして親父さんの計画を知りたい。
このときの俺は少し気を逸らせすぎていた。
「だったら尚更引けないな。その話、凛華だけでなく久遠やうちの妹にまで関わりがあるだろ? はいそうですかと引き下がれる俺じゃない」
「序列戦に参加するのは父様と向き合うのとは訳が違うのですよ? それこそ命がいくつあったって!」
「命なら既にベットしている。病気の妹の治療費を稼ぐために周王学園に参加した時に。ダンジョンに入った時から既に、俺は幾つもの修羅場をくぐり抜けて来た。今更一個ぐらい難題が追加されたくらいで俺が凛華を諦めると思うなよ?」
「海斗さん……そうですか。そのお覚悟があるなら父様の計画の一端をお話ししましょう」
凛華は覚悟を決めた瞳で、俺にダンジョンチルドレン計画の想像を絶する環境と、その結果。その目的を耳にした。
ダンジョンとダンジョンブレイク。
異界からの侵略者。その全てが起こったのは今から30年前。
俺たちがまだ生まれてない父さん達の世代に起こったこと。
戦いが終息したのは10年後、今から20年前とつい最近だったことを知った。
世界は混迷を極めた。
ダンジョンルーラーとの戦いで多くの才能覚醒者が命を落とした。
しかし避難民達はモンスター問題を解決したと思って手のひらを返す。俺の父さん達は人殺しとして矢面に立たされた。
そこで凛華の親父さんがとった手段が、手に入れた権能の力による支配。
俺が継承したように、凛華の親父さんもまた継承してしまったそうだ。その力で、この歪んだ世界は形成されている。
非常にデリケートな世界。すぐに壊れてしまいそうな歪な支配で、成り立っていると心情を語ってくれた。
「私はずっと父様の人形として育ってきました。学園に来たのも父様の意志。私の意志なんて必要ないと、学園を卒業したら人形として使うために思い出もなにもなく……だからそれに甘んじて生きてきました。でも私はあなたと出会って、人間らしい感情を手に入れて。父様はそれが余計な成長と、私……まだ生きたいです。生きていっぱいやりたいことがあるんです。海斗さんと出会って、楽しいことを知って、いっぱいデートして、初夜を迎えて、そして生まれてきた子供を抱き抱えて、名前を考えたりしたかった! でも、私は人形だから! それができない! 普通の女子ができて当たり前のことを禁止されている。それを望んじゃダメなんです! 私はどうすればよかったんでしょうか?」
ボロボロと泣き崩れる凛華。
爆発した感情が俺の心を揺さぶった。
彼女の境遇について、俺が唯一できることがあるとすれば……あの権能ぐらいしか思い当たるものがない。
本当はこんな事、俺らしくないんだが……
俺は彼女の唇を奪いながら、脈を図る様に首筋に手を当てた。
最初は振り解こうとしていた彼女も、今度は求める様に俺に身を預けてきた。
「凛華、聞いてくれるか?」
「はぁ、はぁ」
キスをしたあと、呼吸を荒くしながら俺を見上げるばかりの凛華。
言葉通り、耳を傾けている。
「俺には凛華を助ける手段がある。けどそれはある意味で君を一生縛る者になるんだ。もし君が自由恋愛を望むなら、この話は聞かなかったことにしてほしい」
「海斗さんは私がいつの日か飽きて振るとお思いですか?」
「いや、俺はずっと凛華を愛するつもりだよ。でも、凛華の方はわからないだろ?」
少し恥ずかしげに目を逸らす俺に、彼女は行動で示した。
無防備な俺の唇を貪る様に食んでくる。
「これが、私の答えです。私は、貴方にだからこんな悩みを打ち明けたんですよ? だから、海斗さんのしたいようにしてください」
振袖の胸元が緩む。
彼女の首筋に視線が集中した。
汗の匂い。緊張から発汗している?
ほてった彼女の横顔に見惚れながら、俺は意を決して噛みついた。
喉から流れる凛華の命。
くたりと身を預ける彼女はどこか辛そうで。
でも俺は吸血行動を止めることはできなかった。
それから何時間経過したことか。
ミイラの様に干からびた彼女は、俺の力に触れてその肉体を再生させた。
「あれ、私は……」
「おはよう、凛華。気分はどう?」
首筋には二本の牙跡。
くっきりと吸血痕を残しながら、俺に何をされたのかを思い出していた。
「私、海斗さんのものにされちゃったんですね」
「ごめん……」
「どうして謝るんですか? 命を救ってくださった事に対する感謝の言葉を述べたんですよ?」
「いまだに俺の覚悟が足りてなかった様だ。流れ込んできた凛華の血を吸ったことで過去の記憶が流れてきたんだ。辛い思いをしたんだな」
「見て、しまわれたのですね」
「ああ……でも、だからこそ一緒に背負いたい。片付ける問題は多いが一緒に頑張っていこうな?」
「はい、不束者ですがお願いします」
俺たちは再び肌を重ねた。
ただくっついてるだけで、お互いの心音に耳を傾ける。
契約者にした時、彼女がこのまま目を覚まさなかったらどうしようと何度も最悪な想像が過った。
でもそれは杞憂だと痛感した。
「海斗さん、苦しいです」
「ごめん、つい力を入れてしまった。凛華が無事で本当によかった」
「ふふ、もうどこに行きませんよ?」
「わかってる。でも、もう少しこのままでいさせてくれるか?」
「ええ、いつまでも堪能してくださいな」
なんだか随分と向こうのほうが大人な対応をしてきて気恥ずかしいが、彼女との契約は俺の心臓にとても悪いものだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます