悔愛

lampsprout

悔愛

 貴方を置いていったのは。

 貴方が居なくなったのは。



 ◇◇◇◇



 ――貴方がいなくなってから、私は抜殻のようになってしまった。一日中他のことが考えられず、ベッドで踞っていたくなる。あのとき引き止めていたら何かが変わったのだろうか。ずっと一緒にいると約束したのに。もっと好きだと伝えていたら、やめてほしいと言っていたら、今でも隣にいてくれただろうか。私が上手く立回れたなら、貴方ときちんと話せたなら、説得することが出来ただろうか。

 泣いて引き止めることが貴方のためになるのか分からなかった。引き止めても無駄だと思っていた。困らせるだけだと思っていた。本当は貴方が居ないとまともに生きていけないのに。もしも愛してると言っていたら。ごめんねなんて聞きたくなかった。謝るならずっといてほしかった。だけど、きっと泣きながら訴えたとしても、謝るばかりでやめてはくれなかっただろう。

 どうして会っているときに殆ど話してくれなかったのか。私が余りにも動揺していたからだろうか。私が代わりに話をつけると言っていたら。辛いことは全部代わると言っていたら。諦めをつけられないまま、どうすべきだったのかという迷いばかり浮かんでくる。

 困らせないように冷めたふりをして、覚悟が出来たなどと嘘を吐いて。全部投げ出しても尚駄目になることが怖かったのかもしれない。本当は嫌だと言いながら覚悟を決めようとする貴方に対して、失敗して戻ってきてほしいと思うのは酷いことだろうか。本当は大好きで大好きで気が狂っているのに。

 私は貴方との時間を買ったつもりだったのに、貴方の糧になったのかさえ怪しいものだ。少しだけ時間を延ばすことは出来たけれど。明らかに足りない時間で失ってしまった。

 貴方かもしれないと期待した数々の幻惑は総じて間違いだったようだ。何処かで目に触れていると信じた文章も、塵芥に変わってしまう。記念日が来るたび恋い焦がれながら夜を明かす日々も終わってしまった。真実を知れば、絶望や寂寥、後悔の理由が変わるだけで。辛いことに変わりはない。あのときの私の力量では何を言っても無駄だったと頭では分かっていても、心が追いつかない。一生後悔する、私の無力で救えなかった人。

 貴方が帰ってこないのなら、どうして生きていけようか。いつか無意識に身投げしてしまいそうな虚無感。何度も泣いて、膨大な量の文章を吐き出しては消去した。貴方を追う度胸なんてないくせに。いつか私が絶対に何とかするからここに居るべきだといえば良かったのか。言い方のせいで失望させた。背負いたくなかったのではなくて、背負えない無力が悲しかった。会えなくてもいい、居てくれるだけで良かったのに。初めて甘えたのに、そんなもの学びさえしなければ、今頃こんなに辛くはなかっただろう。代わりなんてどこにもいないのに埋め合わせを探している。心臓が痛み不自然な鼓動を刻んでいる。

 またね、と言い遺して消えてしまった貴方を毎日夢に見る。どこまでも忘れられず、声も感触も言葉も匂いも全てが身体の随所に刻み込まれている。瞼を閉じれば、貴方の仕草を眼の前にいるように思い出せる。

 誰より大事だった人。誰より愛しい人。

 いつまでも大好きで、愛してる。



 ◇◇◇◇



 ――貴方を置いていくことは、仕方のない決断だった。ごめんなさい。本当は置いていきたくなんてなかった。ずっと一緒にいたかった。約束を果たせなくてごめんなさい。貴方が謝ったり悔いたりする必要なんか微塵もない。こんなこと、本当はしたくないけれど。こうする以外私には方法が分からない。

 大好きだといったことに嘘は無くて、どこにも行かないでと貴方に言ったことも本心で。なのに私は堪えられない。どこか遠くへ行かないと、これ以上どうしようもない。貴方を気にかけていないわけじゃない。心配はしているけれど、どうにも出来なかった。もしも一緒に来てと言ったなら、頷いてくれただろうか。どこまでもいつまでも、永遠を共にしてくれただろうか。

 所詮私の人生を背負ってはくれないのかと失望で怒ってしまった。無理難題だと分かっていても。だけど、あのとき貴方に居るべきと言われたなら変わっていたかは分からない。嘗て何度か誘ったけれど、道連れになることを貴方は良しとしてくれたのだろうか。貴方ならきっとどうにかなるはずだから。私がいなくなっても、ちゃんと生きていけるはずだから。そう信じて私は貴方と離れていく。

 置き去りにする以外の方法があるなら私に教えて欲しかった。だけど貴方にもそれは分からなかったようで。何も出来ない、どうしようと泣く貴方に謝ることしか出来なかった。貴方にもっと強く引き止められたなら、私はこうすることを諦めたのだろうか。私は引き止められたいのだろうか。そうなったときの感情は、私にも予測できはしない。

 私に興味の無さそうな冷たい横顔で、貴方は私のことをどう思っていたのだろう。最後まで私の方を振り返らずに去っていった気丈な背中を忘れられない。いつも通りに抱き締めながら、いつもとは違う貴方に謝り続けていた。無言で私にしがみつく貴方にそれ以上のことは言えなかった。黙ったまま震える貴方が何を考えていたのかは分からなかった。何か聞けば決意が鈍りそうで、結局何も問えなかった。どうすればいいのか聞いた貴方の耳が赤く染まり、顔は見えなくても泣いている気がした。

 私がいなくなってからも、貴方の一番でいさせてほしい。誰と親しくなったとしても、一番は私であってほしい。離れていても私はずっと憶えているから、たまには思い出して。貴方もずっと想っていてほしい。置き去りにしながら願う身勝手な我儘を、いつまでも心に留めてほしい。他の人には渡したくないから。私を忘れて誰かを想う貴方を想像したくない。嘘でもいいから、今だけはそうして誓ってほしい。

 誰より頼りにした人。誰より大好きな人。

 どうか、貴方は幸せに。

 またね、と囁く私を赦して。

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