第2話 少女の報復
水曜の朝。
その日の朝は、とても良い天気だった。
雲一つない快晴。照りつける温かな太陽。
それは、これから起きる素晴らしいことの暗示かもしれない。そう思わせるような朝だった。
—————だが、その期待は、裏切られることとなる。
「ねえ式乃さん。俺昨日から思ってたことがあるんだ」
式乃と並列して学校への道を歩きながら、俺は式乃に言う。
「はい、なんでしょうか」
彼女は何一つ表情を変えない。それはまさしく裏表もない状態だ。
「……この俺達の今の行動について何だけど……大丈夫かな?」
「な、何がです?」
彼女は首を傾げながら、俺に疑問の目を向けてくる。同時に俺は「へ?」と言いながら固まった。
天然キャラだからある程度のボケは分かるけど、流石にそれでも気づくだろ、と内心思いながら俺は言う。
「いや、逆に何とも思わない方がおかしいんだけど。俺今すっごい意識してかなり遠慮してるし……あ、そもそもご存じない?」
「?」
彼女の母からハテナは消えない。
「あーそっかー。うーんとねぇ、男女2人が行き帰りを共にするっていうのは、側から見ればそれは—————」
言い掛けた時だった。
歩く道の先から、俺の声を遮る叫びが聞こえてきた。
「式乃ちゃーん!!!」
切羽詰まったような声に俺は話を中断し、その声のする方に目を向ける。
目を向けた道の先には、息を切らしながらもこちらへと走ってくる玉野 春香の姿があった。
「え? 春香ちゃん?」
「一体どうしたんでしょう?」
俺も式乃も不思議に思い、とりあえず合流する為にお互い走った。
そして春香と合流し、彼女はそれと同時に手を膝に付けて呼吸を整えだす。
「春香ちゃん、一体どうして……あ、息整えてからでいいよ」
俺は春香にそう言ったが、春香は息を切らしながらも喋りだした。
「春香ちゃん、ハア、今、貴方の靴箱とか、机が……大変なことに、ハア」
途切れ途切れだが、内容をどうにか伝える春香。
式乃はその言葉に「え?」と声を漏らす。
「私の靴箱とか机が……一体、なんで?」
「分からないけど、とにかく、大変なの……!」
何故そうなのか、どうなっているのかについては慌てていた為話そうとしなかったが、とにかく式乃の関連の物が大変なことになっていることだけは分かった。
瞳が揺らぎだしていた式乃は俺に言う。
「先輩、私ちょっと先行ってます」
そう俺に一言断ると、彼女は俺と春香を置いて走り出した。
「お、おいちょっと待って!」
手を伸ばして引き止めようとしたが既に遅く、学校へ向けて疾走していった。
……おいおい、1人で大丈夫なのか、あれ。
そう思った俺は彼女を追いかけることにした。っと、その前に。
「春香ちゃん。俺も先に行くから、ごめん!」
俺はそう春香に言うと、式乃と同様に学校に向けて走りだす。
背後から春香の「えぇぇぇぇ!」という叫びが聞こえたが……聞かなかったことにした。
↓
学校の正面玄関に辿り着いた俺は、高等部の下駄箱をスルーし、真っ直ぐ式乃の下駄箱前まで向かった。
彼女の下駄箱の位置は、当然俺には分からないので、一列一列確認しながら探していた。
そして何列目かの靴箱の列を見た時、その前で固まる彼女の姿が見えた。
「式乃さん!」
俺は彼女の名を呼び、急いで近づく。
彼女は開いた靴箱の前で瞳を髪の中に隠し、俯いていた。表情はそれでよく読み取ることはできないが、明らかにいいものではない。
「確か、靴箱って」
俺は春香が言っていたことを思い出し、視線をずらして横の彼女の靴箱に目を向けた。
ポッカリと口を開けた靴箱の中には、当然靴が……いや、靴は無かった。
だが、もぬけの殻かと言われれば、そういう訳ではない。何かあるにはあった。
では、その入っていたものとは一体何なのか……?
「……は? こ、これって……」
————中に入っていたのは、4匹のネズミの死骸だった。
死骸は腐り出しているのか強烈な異臭を放っており、嗅ぐだけで涙が出てしまう。
その4匹は大きさが大小混ざっており、まるで家族を彷彿とさせている。
「ネズミ、なのか?」
俺はその死骸に手を伸ばそうとしたが、途中で躊躇って触れるのをやめた。
そして伸ばし掛けた手を下に落とし、手の震えを抑える為にスラックスをクシャッと鷲掴みにする。
「なんで、こんな……」
分からない。何でこんなことになっている?
式乃さんの靴箱を開けると死骸が入ってるし、なんか内ばきも消えているし、一体何なんだ。これじゃまるで————いじめじゃないか。
「式乃さん、教室に行こう」
未だに顔を暗くしている式乃にそう言い、俺は一度自分の靴箱へと向かう。
そこで靴を履き替え、内ばきを紛失した式乃の為に来賓用のスリッパを持って彼女の元へと向かう。
「ほら、これ」
彼女にスリッパを渡す。
それを「ありがとうございます……」と覇気の無い声で礼を言う式乃。
無理もない。こんなことになったら、誰だってこんな風になる。
俺は言う。
「……無理はしないで。耐えきれないのなら、帰ってもいいし。まだ家に姉ちゃんいるから、あの人に————」
すると式乃は俺の言葉に首を横に振った。
「私は大丈夫です。気にしないで下さい」
真っ直ぐな目で訴えてきてはいたが、その中にはやはり怯えのようなものがあった。
やはり、視界から入り込んでくる恐怖と、人間関係、つまり不可視の恐怖とでは、恐ろしさのジャンルは全く違うようだ。
だが、視線が真っ直ぐなのに変わりはない。
俺は彼女の意思を尊重し、頷く。
「分かった。なら行こう。確か春香ちゃんの話からすると、君の机も」
「はい。何かされているらしいです。行きましょう」
俺と式乃は中等部の教室へと向かう。
階段を上り、廊下を進み、その中で噂話が風のように耳に入ってきた。
“ねえ聞いた? 2年女子の机が————”
“グチャグチャの————が”
“他クラスのいじめの飛び火かなぁ————”
様々な内容が耳に入り込んできたが、俺と式乃は敢えて耳に入るのを流す。
そして式乃の教室が見えてくると、動かしていた脚をさらに動かして、勢いよく閉じられた扉を開けた。
「ッ!」
「————マジかよ」
顔を険しくする俺と、驚きの声を漏らす式乃。
俺と彼女の視界に移っていたものは、その反応に値するものであった。
————教室の式乃の机には、グチャグチャに描かれた落書きと、ズタズタにされた内ばきがあった。
俺達は急いでその机に近づき、その有り様を間近で見る。
それはまた、靴箱とは違った酷さであった。
黒や赤で描かれた、いや、殴り書きしたようなその机は、見るに耐えないものであり、靴はというと、もう原型がなくなって履けないような状態にまでなっている。
これは……もう確定と言っていいだろう。俺も確信しているし、それは彼女もそうだろう。
なので俺は口を開き、言った。
「式乃さんこれ————完全にいじめだよね?」
静かに響く声。
それに式乃は答える。
「……はい」
彼女がポツリと言うと、俺は教室内を見渡した。
今この教室内にいる生徒の数が17人。全員がこの机を見て見て見ぬふりをしていた。どうやらこのいじめの有様を見て動き出したのは、春香だけだったらしい。
俺は声を上げた。
「誰か、これについて知ってることある人、いる? できれば、誰がやったとかも教えてくれるといいんだけど」
だが、そうは言っても教室内の生徒達は皆互いに顔を合わせるだけで、答えることはしない。
これは見た感じだが、多分彼らが学校に来る前からされていたことだと考えられる。
「……じゃあ、君らが学校に来る前からこれがあったんだ?」
そう聞くと、生徒達は皆んな「はい」や「そうです」と言い出す。
彼らが来るよりも前か。うーん、そうなると、いじめの犯人、首謀者を探すのは難しいな。
俺は振り返り、式乃を目を移す。そして言う。
「……式乃さん、先生に言おう。先生に言って、どうにかしてもらおう」
その選択は式乃にもあったのだろう。迷うことなく彼女は「はい」と答えた。
よし、ならば職員室に向かおう、そう思った時だった。
教室の扉が勢いよく開かれた。
そしてそこから、両手に銀色の何かを持った少女が入り込んでくる。
————その持っているものが水入りのバケツだと認識するのに、そう時間は要らなかった。
「危ないっ、式乃さん!」
俺は咄嗟に式乃を突き飛ばし、降りかかる水から避けさせて自身を身代わりにする。
「ッ!」
式乃は驚く顔を見せたが、次の瞬間、バシャッと水の弾ける音と共に視界が遮られた。つまり、展開された水が俺に掛かったのだ。
濡れる体。低下する体温。震え出す唇。
だが、濡れるのと同時に顔をすぐに拭き、視界を元に戻す。
「先、輩……?」
目の前には、驚きと心配が入りみだった式乃の顔があった。
見たところ、どうやら彼女は濡れていないようだ。俺はその事実に安心する。
クラス中の視線も皆んな俺に釘付けだ。
だが、それも束の間————
「あー惜しかったー。邪魔しないでよ、アンタ」
残念がる女子生徒の声が響く。
俺はその声のする教室の後ろ扉へと顔を向ける。
そこには、空のバケツを持ちニヤニヤと笑みを浮かべる女子生徒数名と男子生徒がいた。
俺は言う。
「水をかけようとする姿が見えたからね。動かずにはいられなかったよ」
すると、リーダー格と思われる女子は俺を嘲笑うように「ヒューかっこいいー」と言い再び笑い出す。
何が面白いんだよ、本当に。
「君らさ、こんな事して楽しいのかい? 俺にはその感性が1ミリたりとも理解できないんだけど」
言葉の中に静かな怒りを込める。
それを聞くと、リーダー格女子は答えた。
「楽しいかって? そんなの関係ないじゃん。こっちはやらなきゃだからやっただけ」
「何ふざけたことを……そうか。君らがやったんだね、これ全部」
「まあ、そんなところっすかね〜?」
はぁーなんだこの子達。ハッキリうぜー。
そんなことを内心思っていると、側にいた式乃が口を開く。
「何で、どうして私にこんなことをするんですか? 貴方達と私は、初対面な筈ですよね? それなのに、どうして……」
涙はない。しかし明らかに声は震えていた。
その問いに、彼女は顔にくっ付けていたふざけた笑みを外し、真剣な顔、声で返す。
「……命令だよ」
口にした言葉は、俺達に疑問を与えた。
首謀者がいるのか。となると、これは彼女達の意思じゃない? どういうことだ?
「命令? 誰から……?」
俺は彼女に聞き返し、その首謀者の名を探る。
それが分かれば、どうにかなるかもしれない。そう思ったが故だ。
すると、少女は一呼吸起き、その名を口にした。
「……薫子」
「え?」
「羽河 薫子———彼女から、神崎 式乃を対象に、攻撃しろと命令された」
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