第63話 『元不死魔族、蠢動する』
「ねえねえキミ、可愛いね! どこ行くの?」
人混みをよけながら夕暮れの街を歩いていたら、人族の男に声を掛けられた。
年は、二十代後半くらいだろうか。
軽薄そうな顔立ち、嫌らしい媚びた笑顔。
よく分からないデザインの服を派手に着崩しており、よく分からないアクセサリーを首や腰にぶら下げている。
それらがチャラチャラとぶつかり、甲高い不快な音を立てていた。
(フン……懐かしいのう。『なんぱ』なんぞ、何百年ぶりじゃろうか。……変化後の容姿であるのが、ちと癪じゃが)
「…………」
「あれ、ちょっと怒った? そんな顔も可愛いな~! キミ、この国の人じゃないっしょ? 冒険者? なんかどこかで会ったことある? それはともかくトレスデン共和国にようこそ! 俺、生まれも育ちもこのケルツでさ。やっぱ首都だし、都会っしょ? 特にこの辺は結構栄えてるけど、俺にとっちゃ庭みたいなものなんだよね。……よかったら、案内してあげるよ!」
「…………」
ノスフェラトゥはまくしたてる男を一瞥して、そのまま歩き続けた。
その横に並んで男がぴったりとついてくる。
それどころか、なれなれしく肩に手を回してくる始末である。
確かにノスフェラトゥが派遣されていたリグリア神聖国とは違い、隣国のトレスデン共和国は都会である。
特にこの首都ケルツは……特に。
だから、このように軽薄な輩も珍しいわけではない。
「ねえキミ、もしかして今悩みとかある? 話とか全然聞くよ? だからさ、ちょっとだけ! ちょっとだけお茶しようよ! いやマジで! このちょっと先に、いい感じの雰囲気の飲み屋があるからさ」
お茶する予定が、最後にはなぜか飲み屋で一杯に変わっていた。
もっとも、ノスフェラトゥはすでに街の商業区を通り過ぎ、繁華街の一角へと足を踏み入れていた。それに日も落ちかけている。
お茶するよりは、一杯引っかける場所と時間帯ではあった。
……で、その「ちょっと先」には、怪しげな佇まいの飲み屋が見える。
さらに近くの路地の奥に目をやれば、連れ込み宿の看板がちらりと見えた。
意図があからさますぎて、いっそ清々しい。
「……………………」
ノスフェラトゥは今、自身の固有能力『状態異常』のうち『変化』で人族の女に化けている。
参考にしたのは、街の一角に貼られていた
もちろん広告の対象と思しき露出多めの軽鎧まで再現。
効果はてきめんだった。
変化した直後から、街ゆく男たちの視線が、ねっとりと絡みつくようなものに変わった。……彼女の意図どおり。
だからこのような輩が付きまとってくるのも、意図どおりである。
「ねえってば、キミ! 大丈夫、何もしないって! 俺、こう見えて純情派だからさ!」
どこの世界の純情派が引っかけた女と飲み屋に直行するのじゃ、と心の中でツッコミを入れるノスフェラトゥ。
だが、まさにあつらえ向きの人材だった。
彼女は足を止めた。
それからニコリと男好きのする微笑を浮かべた。
「ふむ。そこまで言うのなら、一杯くらい付き合ってやってもよいかもしれんのう」
「……っしゃ! じゃあ行こう今すぐ行こう!」
男がグッと両の拳を握る。
そして今度はなれなれしくも腰を抱こうとしてきた。
「む。そういうのは、もうちょっと仲良くなってからじゃ。お主、純情派なんじゃろう?」
恥じらうような仕草と表情で、スッと身を躱す。
男は一瞬「あれ?」といった表情を浮かべたが、すぐにさっきのニヤけ顔に戻った。
「はは……そうだった。悪い悪い」
「ほらほら、あの飲み屋に行くのじゃろう? さっさと向かうのじゃ」
「了解了解! それにしても、キミ……面白い訛りだね! もしかしてリグリアとかそっちから来た人? 名前はなんていうの?」
「ふむ。
もちろん偽名である。
「俺はランディ! よろしくな!」
もちろん覚える気は毛頭ない。
彼女にとって大事なのは、この男が『美味いかどうか』『使えるのかどうか』だけだ。
「………別に、ちょっとぐらい『味見』しても、別に
「…………ん? なんか言った?」
「いや、妾も早く
「そっかそっか! じゃあガンガン飲もうよ。ここは俺の奢りでいいから」
「うむ……
「…………ああ。俺も楽しみだよ」
ノスフェラトゥの浮かべる蠱惑的な笑みに、男が魅入られたようにゴクリと喉を鳴らした。
◇
「ふむ……不味い」
「あ……あが…………」
連れ込み宿の一室で、ノスフェラトゥはベッドの端に座りため息をついた。
横にはガリガリにやせ細り、痙攣しながら横たわる男の姿があった。
「やはりただのチンピラでは駄目じゃな。酒にすら劣る精気の風味に、スカスカの生命力。お主……普段から不摂生しておるな? いかんのう。きちんと喰って、きちんと寝て、きちんと働く。それこそが、質の良い精気を蓄える秘訣じゃぞ」
男は答えない。答えられない。そんな気力は、すでに絞り尽くされている。
ノスフェラトゥが男の顔に手を触れる。
「が……がが……ッ!」
パチパチと青い火花が散り、男の痙攣が激しくなる。
男に身体には、もう骨と皮しか残っていない。
「喰い足りぬ。じゃが、これ以上精気を吸い取ると生きたまま『眷属化』できなくなるからの。ここいらで勘弁してやるとしよう」
「…………」
すでに白目を剥いてしまった男に、ノスフェラトゥは語りかける。
「じゃが、お主のその『腕』は悪くないのじゃ。まさか妾の気づかぬうちに、酒に『媚薬』『眠り薬』『麻痺毒』を仕込んでおったとはのう。まあ、効かぬが」
ノスフェラトゥは心底感心したように呟いた。
「妾が妾でなくただの人族の女子じゃったら、お主に散々喰い散らかされたうえ、
そこで彼女は笑みを消した。
「お主には、妾の手足となって動いてもらうとしよう」
言いながら、懐から小さなナイフを取り出し、自分の指を傷つける。
ぷつり、と血がにじみ出てきた。
それを男の開いたままの口の上に差し出した。
「なに、心配するでない。ちょいと
ぽたり。
男の口に、ノスフェラトゥの血が一滴、落ちた。
すると――
みるみるうちに男の顔に生気が満ち、やせ細った身体がボコボコと膨らみ、元通りになった。
「……うが…………あれ、俺……」
ベッドの上で身を起こし、キョトンとした顔をする男。
「ようやく目覚めよったか、この寝坊助め」
「ああ……ノスフェラトゥ様、申し訳ありません。どうやら俺、吞み過ぎちまったみたいで……あれ?」
男が怪訝な表情で、首をかしげる。
「どうしたのじゃ?」
男はしばらく考え込んだあげく……ただ、肩を竦めただけだった。
「いや……なんでもない、です。ノスフェラトゥ様、今日もご機嫌麗しゅう。それで、そのお姿はなんですか? めっちゃ可愛いっス」
「お主……『眷属化』しても相変わらずの性根じゃのう。まあ、別に構わぬが」
「お褒めにあずかり光栄、です……あれ? さっきもだけど、俺……こんな難しい言葉、知ってたっけ?」
「妾の『眷属』となるならば、多少の教養は必要じゃからな。お主の脳みそがアホなのは分かっておったから、血の中に妾の知識を少々混ぜ込んでおいたのじゃ」
「なるほど、さすがノスフェラトゥ様!」
「妾のことはノンナと呼ぶがよい。それで、今後のことじゃが……妾は今、とある人族を探しておる。その者の情報を集めるのじゃ」
「了解ッス。……で、そいつの名前はなんて言うんですか?」
「その者の名は……ブラッド・オスローじゃ」
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