第42話 『静寂の王座』
地下神殿は、それほど深くはなかった。
通常のダンジョンで言えば、三階層分くらいだろうか。
敵――かつてリグリア兵だった魔物を排除しつつ、俺たちはどんどんと進んでいく。
幸い襲ってくる魔物はゾンビ兵だけで、たまに上位個体とおぼしき強力な騎士ゾンビも混じっていたものの……俺とカミラの敵ではなかった。
広間や階段、そして狭い通路を進み……ついに地上へと出る。
そこは王族の墓所らしき場所だった。
まばらに生い茂った木々に、咲き乱れる草花。
その合間に立ち並ぶ、歴代の王のものらしき石像や石碑。
側には、家族のものとおぼしき小さな墓石も立ち並んでいる。
「あ……こっちです、ぱぱ」
モタが指さす方向には、小道が続いていた。
「俺が先行する」
墓所自体は一本道だった。
注意深く進むも、別段隠された場所ということでもない。
すぐに出口に到着。
生い茂った木々が途切れ、前方に大きな宮殿が姿を現した。
魔族の襲撃があったにも関わらず、その豪奢さは失われていない。
残念なことに空は厚い雲で覆われていたが、晴れた日には随所に施された黄金色の装飾や真っ白な壁面が美しく輝いていたことだろう。
俺たちが出た場所は宮殿の正面ではなかった。
目の前に見えるのは、そそり立つ壁面にぽつんと据え付けられた、勝手口のような小さな扉だ。
「なるほど。王宮の裏手というわけか。ありきたりだが間違いない脱出経路、と言えるだろうね」
「ああ。それにここからなら、直接ノスフェラトゥを狙い討つ位置に出ることができるな」
「あ……最初はこの扉からはいりました、ぱぱ」
モタが扉を指し示す。
「……施錠はされていないな。罠の類も仕掛けられていない」
「《霊導》で扉の向こうを探査してみたが、めぼしい反応はない。中に入っても大丈夫そうだ」
扉に向かって探査系の精霊魔術を行使していたカミラからも、クリアとの回答をもらった。
「よし、行くぞ」
俺は音を立てないよう静かに扉を開き、王宮内部へと侵入した。
扉の先は、どうやら倉庫のようだった。
年季の入った棚には、剪定用の鎌や鋏、それに水桶などが置かれている。
ここはさっきの墓所用の作業小屋のような場所なのだろう。
そこを抜けると、使用人部屋らしき場所に出た。
人はいない。
長年使われていないようで、仮眠用のベッドやテーブルなどにはうっすらと埃が積もっている。
さらにそのまま進むと、ようやく王宮内部へと出た。
ちょうど、一階のエントランスだろうか。
美しい装飾の施された石柱に支えられた天井。
高価そうな調度品が随所に置かれ、床面には絨毯が敷かれている。
ただ、よく見ればあちこちに傷があったり、破損しているのが分かった。
ここで戦闘があったのだろう。
だが、それを差し引いても宮殿内は比較的綺麗な状態が保たれていた。
「三年前に滅びた国の王宮とは思えないね」
周囲の様子を眺め、カミラがそんな感想を漏らしている。
「人はいなくなったが、ノスフェラトゥが管理しているんじゃないか? 配下のアンデッドどもに掃除でもさせてるんだろ。アイツ、意外ときれい好きだったんだな」
ちなみに廊下の窓の外には、リグリア王都の街並みが見下ろせた。
王宮は小高い丘に建てられているようだ。
街並みは、まるで何事もなかったかのように穏やかに佇んでいる。
ただ、誰かが生活しているように見えなかった。
王宮の中も外も、不気味なほど静まり返っている。
「……それにしても、ここはずいぶんと静かだな。カミラ、魔物の気配を感じるか?」
「いや、まったくだね」
カミラが肩を竦めてみせる。
「今行使している《霊導》は、こちらから発する魔力の波動に反応した精霊たちの
「となると、しばらく戦闘はなさそうだな」
地下神殿内部が騒がしかったから、王宮内部はもっと手厚い歓迎を受けると思っていたのだが。
そういえば、先日モタが言っていた。
王宮は無人だった、と。
「ただ……少々違和感を覚えるね」
カミラの表情は、あまり芳しくない。
「違和感?」
「ああ。確かに静かなものだ。けれども、静かすぎる。それに王宮に入ったあとはとくに……精霊たちが怯えているように思える」
「なんだそれ」
精霊が怯えている?
俺が怪訝な表情をしていたらしく、カミラが補足の説明をしてくれる。
「たとえ話だよ。人間の感情に当てはめると、一番それがしっくりくるというだけさ。ただ、なにか……強大で恐ろしい存在がこの王宮に潜んでいる、そういう様子が感じ取れるのさ」
「ノスフェラトゥがいるはずなんだ、当然なんじゃないか?」
ヤツは上級魔族だ。
精霊に影響を及ぼす存在だとしてもおかしくはない。
「もちろん、私もそう思っている。けれども……昔魔族と対峙したときに、精霊たちがこんな様子になったことはなかったと思うんだけれどね……」
『あーしたちは別に大丈夫かなー』
『そうですね。何も感じません』
「お前たちは、いわゆる自然の精霊でもないからなぁ……」
二人はすでに『還流する龍脈』から切り離されているから、自然界に存在する精霊と感応することはできないはずだ。
しかし、カミラが気になるというならば、何か通常とは違うことが起きている可能性が高い。
注意して進むに越したことはないだろう。
「そういえばモタ、ファルがおかしくなった場所は覚えているか?」
「あ……ええと、たしか、二階の廊下だった……です。そこの窓から王宮の中庭に放り投げられて……うう、やっぱり私、役立たずだと思われたんだ……誰も取りに来なかったし……」
モタの目の光が消えた。
どうやらそのときの出来事はトラウマになっているらしい。
『だ、大丈夫だって! あーし、モタのこと……可愛いと思ってるし!』
『そうですよ、モタはちょっと陰……影がありますが、なんといっても私の妹分です。誇りに思いなさい』
どっちも全くフォローになっていない。
あえて触れないでおくが。
「分かってる……私は使い捨てで役立たずの聖剣……えへへ……私はダンゴムシの聖剣……」
ついにモタがエントランスの隅っこで膝を抱え、うずくまってしまった。
とはいえ、モタには悪いが彼女たちに構っている暇はない。
「とりあえず、謁見の間まで何もない可能性が高いな」
ここまで王宮内が綺麗だと、ゾンビ兵が徘徊している可能性はかなり低いだろう。
あいつら腐肉やら汁やらをまき散らすからな。臭いし。
実際、二階までは何事もなく到達できてしまった。
階段を昇り長い回廊を進むと、先に謁見の間に続くとおぼしき大扉が見えてきた。
「ここでファルが乱心したのか」
「……はい、ぱぱ」
大扉の前は、これまで以上に荒れていた。
かなり激しい戦闘が行われたようだ。
壁面には剣がかすった時にできと思われる直線状の傷が幾条も刻まれており、壊れた調度品が散乱している。
「……あっ、これ私が付けたやつ、です」
モタがそのうちのいくつかを、なぜか得意げに指さしている。
絨毯には、乾いた血と思しき赤茶色の染みがいくつも付いている。
これがベティのものかギースのものかは分からない。
おそらくファルのものでもないだろう。
彼女は凄まじい剣術の腕だったからな。
「おい」
「……ああ。ここまで来れば分かる。かなり強大な気配だ」
大扉の先を透視したのか、カミラが小さな声で答える。
彼女の顔が少し青ざめて見えた。
だが、ここで立ち止まるわけにはいかない。
「……いくぞ」
「ああ」
俺はカミラと頷き合う。
それから準備を整え、身の丈の三倍はありそうな大扉を押し開いた。
内部は、地下神殿と同じくらいの規模の大広間だった。
セレモニーがない謁見の広間は殺風景だ。
冷たく静かな空気。
国旗は取り外されている。
近衛騎士たちの整列もない。
最奥部には、誰も座らない王座が見えた。
そして、その傍らに。
ファルと思しき人物をかたどった石像が佇んでいた。
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