第29話 『竜狩りデートに行こう①』

 ファルの聖剣に必要不可欠な素材。


 それは『滅びの力』だ。


 これはレインの『魔力漏出ドレイン』や『腐敗の呪詛』に近いと思われがちだが、全く異なる。


 それに触れたものは、不死者だろうが、神だろうが滅ぼすことができる。


 そんな力だ。


 もちろん、こんな恐ろしい力が簡単に手に入るのならば苦労はしない。


 だが、『特定の存在』に目標を定めれば、それは可能だ。


 たとえば、不死者ノスフェラトゥという魔族の個体のみを滅ぼす……その一点だけに特化したものならば、だ。


「はあ……十年ぶりの冒険が、まさかこんな地獄みたいな場所だとはね」


 オルディスからずっと無口だったカミラの第一声が、それだった。


 彼女のまともな声を聞いて、俺はホッと胸をなでおろす。


 オルディスで合流したときからここに来るまでの間、まったく目も合わせてくれないし、何か話しかけても「ああ」とか「うむ」しか言わないから、昨日のちょっとした騒動のこともあって、もしかして嫌われてしまったのかも……と少しばかり凹んでいたのだ。


「……まあ、地獄みたいだという感想は否定しない」


 ダロン火山。


 オルディスの約300キロ北方に存在するこの火山地帯は、まさに地獄という言葉が相応しい場所である。


 赤茶けた大地にそびえたつ岩山。


 ごつごつとした岩肌の隙間からは、もうもうと火山ガスが吹き出ている。


 周囲には卵の腐ったような強い臭いが漂い、ところどころ硫黄の塊が岩肌にへばりついている。


 遠くには、ボコボコと熱い泥を吹き出す沼地まである。


 もちろん周囲を見渡しても、虫や小動物どころかコケすら見当たらない。


「……今回採取すべき素材は、ドラゴンゾンビの牙とブレス袋だ。あの火山を越えた先にある『屍竜の谷』で、五体ほど狩る必要がある」


「あらためて確認せずとも、準備万端だし頭にちゃんと入っているさ」


 ジロリと半目で睨まれた。


 まあ目的を口に出すのは俺が確認するためでもあるし、そう怒らないでほしい。


 今回は、どうしてもカミラの協力が必要だった。


 その理由の一つが、この場所に立ち入るための許可である。


 ダロン火山奥部『屍竜の谷』は、いわゆる『禁域』だ。


 『禁域』は様々な事情から立ち入りを禁じられた場所で、王国魔術師ギルドの管轄だ。


 俺みたいな何物でもないヤツが足を踏み入れるためには魔術師ギルドの許可を得ることが必要で、さらに一定ランク以上の魔術師が同伴が必要だった。

 

 そこで、カミラである。


 彼女は精霊魔術師であり、聞くところによれば魔術師ギルドではそこそこの地位があるらしい。


 実際、あっさり『禁域』立ち入りの許可が下りた。


 もちろん元工房時代に付き合いのあった魔術師でもよかったのだが、王都に戻るには時間が足りないし、そもそも気心が知れている、という意味ではカミラ以上の適任はいない。


 ちなみにアクセスには、魔術師ギルドにある転移魔法陣を使った。


 オルディスのギルドにある転移魔法陣からハブとなっている王都魔術師ギルドに飛び、さらにそこの転移魔法陣を経て、今この場所に立っている。


 ……この転移魔法陣が一般に広まれば、オルディスまでひと月もかけて旅しなくて済むのだが、使用にはいろいろと厳しい制限がかけられている。


 主に政治的だったり軍事的だったり……まあいろいろだ。


 俺とカミラも所持品の検査をしたりいろんな誓約書に署名したりと、面倒な手続きがあったからな。


 それはさておき。


「……それよりも、さっさと『防護』の術式を使いたいところだね。いつまでもこの空気を吸っていると、肺が腐ってしまいそうだ」


 カミラがうんざりした顔でぼやいている。


 俺も同感だ。


 火山ガスは臭気だけでなく、有毒だ。


 あまり吸うべきではない。


「ああ、頼む」


 そんなわけで、カミラが自前の魔導鞄マジック・バッグから筒状に丸めた羊皮紙を取り出した。


 広げたそれには、魔法陣が描かれている。精霊術式だ。


 彼女は地面に魔法陣を敷き、その上に立った。


「なあカミラ。俺の分は?」


「何を言っている。二人で乗るに決まっているだろう」


 カミラがじろりと俺を見やるが……彼女が敷いた魔法陣は、どう見ても一人乗るのが精いっぱいのサイズだった。


 見た感じ、一辺が40~50センチといったところだろうか。


 無理やり乗れないことはないが……それだと、かなり密着することになる。


 そんな俺の視線を感じ取ったのか、カミラがフンと鼻を鳴らす。


「何か問題でもあるのか?」


「さすがに狭すぎだろ」


「仕方ないだろう。この精霊術式は毒や悪臭を無効化できるが、効果時間が数時間程度しかない。となれば、数を揃えるしかないし、その数も節約できるのならすべきなのは自明の理だろう。そもそもこれ以上大きくすれば、ほかの道具や魔法陣が鞄に入らなくなってしまうんだぞ」


 なぜかめっちゃ早口で言われた。


 そして。


「……ん」


 彼女はそっぽを向きながらも、俺に向かって両手を広げている。


 まるで抱っこをせがんでいるような仕草だ。


 俺は躊躇した。


「…………」


 ダロン火山一帯は地熱により、岩盤から熱気を発している。


 一言で言えばクソ暑い。


 俺はすでに軽鎧を外してしまっている。


 カミラも暑いのか上半身までローブをはだけている。


 中に着込んでいるのは、身体のラインにぴったり張り付いたデザインの服だ。


 あれは確か、魔術師用の戦闘服だったっけか。


 肌に張り付いているのには理由がある。


 あの服には発動時間短縮とか魔力流路の効率化による効力増強や持続時間増加だとか、いろいろな処理を施している。


 それを、体表から直接魔力を流し込み稼働させるのだ。


 確かに魔術師が高効率で魔力を流すためには、理にかなった方法だとは思う。


 今回の依頼で討伐するのはドラゴンゾンビ。強敵だ。


 だから彼女がこの戦闘服を着こんでいるのは当然の選択だ。


 ただひとつ、大いに問題があった。


 カミラの年齢はともかく、見た目はとんでもない美少女なのだ。


 そして大事なことなので二度いうが、戦闘服は彼女のほっそりとした身体のラインをはっきりと浮かび上がらせている。


 端的に言って、とてもエロい。


 そして俺は、そんな彼女に、狭い魔法陣の上で密着しなければならない。


 やるべきことは魔法陣に乗ること。


 それだけだ。


 だというのに、たったそれだけのことが……


 とてつもなく勇気が要る行為に思えてしまった。


「何をしている。ほら、早く」


 焦れたように、カミラが両手をさらに大きく広げる。


「………………分かった」


 とはいえ、こちらが魔法陣に乗らなければ魔術を発動することができない。


 俺は覚悟を決め、魔法陣に乗った。


「なあ、やっぱりこれ狭すぎないか?」


 その端っこに立っただけで、カミラの吐息を感じる距離だ。


 自分の心拍数が上がっているのが分かる。


「仕方がないだろう。……ブラッド、もっと近寄ってくれ。君の踵が魔法陣からはみ出している」


「そう言われてもだな……」


 その指示に従うと、俺とカミラは本当に身体を密着することになる。


 それはもう、べったりと。


 今はセパもレインも魔導鞄の中でお休み中だから他人の目を気にする必要はないのだが……なんというか、そこはかとなくイケないことをしている気分になってしまう。


「ブラッド、何をしている! もう少しこちらに寄れと言っただろう!」


「いやちょっとこれ、もう限界だぞ」


「こんなときに、何を言っているんだ君は! 『防護』を司る精霊は性質に似合わずせっかちなんだ。もうすぐ発動してしまうぞ。……ああもう、仕方ないな!」


 カミラが苛立ったような声を上げる。


 それと同時に、彼女の両腕が俺の身体に手を回してきた。


 ぎゅっ、と腕の力が強まり……俺の胸や腹に、彼女の身体が押し付けられる。


 華奢だが、柔らかな身体の感触。


 彼女の髪や身体から立ち昇る、ふんわりとした甘い香り。


「…………っ!?!?」


 不意打ちというわけではなかったが、心の準備がまだできていなかった。


 心拍数が一気に跳ね上がる。


 喉から心臓が飛び出そうだ。


 いや、これ……マジでヤバい……


 が、そんな俺の動揺も長くは続かなった。


 魔法陣から、ぶわっ、強い風と光が巻き起こったからだ。


 それと同時に、じんわりとした温もりが身体に浸透してくるのが分かった。


 徐々に心が落ち着いてくる。


 この術式には、精神を平静に保つ効果もあるらしかった。


 ふう……危なかった。


「このままじっとしていてくれ。きちんと『防護』が掛かるまでは、動かないように。すぐに終わる」


 俺の胸に顔をうずめたまま。


 抱きしめてくる腕の力が、ギュッと強まった。


 見れば、彼女の赤髪から覗く尖った耳が、髪色に近いほど赤く染まっている。


 ……あ、やっぱコイツも恥ずかしかったんだな。


 それにしても、である。


 まだ何も始まっていないのに、どっと疲れた気がする。



 ちなみに魔術の効果は完璧で、行使が終わったとたん悪臭ものどの痛みもすっかり消え去ってしまった。


 しかしながらカミラの残り香はしっかりと感じ取れたので、ちゃんと有害な要素だけを無効化するらしい。


 なんだかんだ言っても、やはり彼女の精霊魔術はチートである。




 ◇




 ダロン火山を登り始めてから、三時間ほどが経った頃だろうか。


 眼前が突然ひらけ、深く切れ込んだ峡谷が姿をあらわした。


 谷底までは、およそ二百メートルほど。


 一番下には、白濁した川が流れている。


 おそらく火山から流れ出た温泉なのだろう。


 周囲には火山性ガスが立ち込めていて、これまでの道中よりも地獄みが増している。


 そして、その谷底付近には、大小の蠢く影がいくつも存在していた。


 ――今回の目的、ドラゴンゾンビである。

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