第22話 『ザルツ聖剣工房④』

 王宮法廷での最初の答弁をどうにか乗り切り帰ってきてみれば、聖剣工房の中はがらんどうだった。


 それに照明もいていない。


「おい、誰かいないのか?」


 ザルツは魔導灯を点けたあと、工房で呼びかけてみた。


 シン、と静まり返った工房に、ザルツの声だけがむなしく反響する。


 たしかに、すでに深夜と呼べる時間である。


 だが照明まで完全に落とされているというのは変である。


 いつもならば、日が回るまで灯りが付いていたはずだ。


 これはザルツが色街で飲んだ帰りなどに、たまにではあるが職人どもがサボってないか確認していたので間違いない。


「どういうことだ、これは……」


 よくよく見れば、職人たちの持ち場はずいぶんとすっきりしている。


 錬成用の台座には魔法陣の一つすら敷かれていない。


 素材を保管する棚も空っぽだった。


「おい、トマス! 誰でもいい! 返事をしろ! 俺が戻ったんだぞ!」


 返事なし。


「クソ、なんだってんだ!」


 仕方がないので通路の魔導灯を点けながら執務室にたどりつく。


 扉の先はもちろん無人だ。


 寒々しい魔導灯の光の下、執務机に何通かの便箋が置いてあるのが見えた。


「……なんだ、これは」


 よくよく見れば、便箋の表は白紙だ。


 裏っ返してみても封蝋もない。


 それが、きっちり職人を含めた従業員の人数分、無造作に置かれている。


「ま、まさか……」


 嫌な予感に急き立てられるまま、ザルツは乱暴に便箋の封を切り、中身を取り出した。


 内容は――はたして、ザルツが危惧していたとおりの文面だった。


 曰く、


 『ほかの工房に行きます。別の街なので探さないでください』


 『田舎に帰って一から出直します』


 『子供が小さいのでお暇をもらいます』


 『死ねクソ貴族』


「最後のは誰だコノヤロウ!」


 ザルツは怒りに任せて、便箋を床に叩きつけた。


 最後のはともかく、全員が全員、『退職届』というやつである。


 工房がもぬけの殻だったことにも理解がいった。


 ザルツが工房を空けているすきにこれ幸いと退職届を出し、素材や工具類を引き上げたのだろう。


 なぜこんなことを……と口まで出かかって、原因に思い当たる。


 そういえば最近は以前よりかなり業績が落ち込んでいたため、工房の備品類や工具、素材まで職人の持ち込みを励行していたのだった。


 だからといって、退職するからとすべてを引き上げるとはとんでもない暴挙である。


「クソ、こんなことになるなんて誰が想像できるんだ……」


 さすがのザルツも頭を抱えざるをえなかった。


 とはいえ、ザルツは聖剣ギルドの長でもある。


 職人たちの転職先なんぞ、ギルドで調べさせれば一発だ。


 こんなときのために、周りを自分に従順な部下で固めたのだから。


「あいつら……せっかくこの俺が目を掛けてやったのに、とんでもない不義理を働きやがって。絶対、身をもって分からせてやるからな」




 ◇




「貴方、ザルツさんですよね。貴方の席、もうないですよ」


「…………は?」


 聖剣ギルドの本部にあるギルドマスター執務室に向かおうとしたところ、年配の職員に止められた。


 たしかコイツは別の幹部の部下だった男だ。


 が、もちろんザルツを止める権利などない。


「ちょっとザルツさん!! その部屋は、今はアンガスさんが――」


「うるせえ!」


 制止する年配職員を振り切り、ギルマス執務室の扉を乱暴に開ける。


 そこには――


「…………なんだね、騒々しい。……君は誰かね?」


「アンガス、貴様!」


 執務机で書類仕事をしていたのは、アンガスという男だった。


 ザルツよりも一回り年下だったが切れ者で、ギルドの幹部連中の中では唯一、敵対派閥を率いていた男だ。


 そのアンガスが、忌々しそうな口調で誰かを呼んだ。


「おい、誰だコイツを入れたのは。ここはギルド職員しか来れない場所だぞ。……君、さっさとこの不審者をつまみ出してくれ」


「はい、アンガスさん!」


 威勢のいい声が執務室に響き渡る。


 執務室の向こう側は広く取られた窓だ。


 逆光になっているせいで、アンガスの隣に立った人物の顔は分からなかった。


 そいつは素早くザルツの横までやってくると、ガッ、腕を掴んだ。


 そこでようやくその人物が誰なのか分かった。


「……おいトマス。なんでお前がここにいる」


 呆然とするしかなかった。


 そこにいたのは、まぎれもなくトマスだったのだ。


 ザルツが工房で目を掛けてやっていた、あのトマスである。


 だが彼は侮蔑に満ちた目で、ザルツに言い放った。


「……あんた、もう終わってんだよ」


「何を言っている?」


 ザルツが知っているトマスは、まるで別人だった。


 今までの卑屈な態度はどこへやら。


 まるでザルツをゴミのような目で見ている。


 おまけに職人だからか、腕力も存外に強い。


 少なくとも、色街や繁華街で飲み食いするだけの毎日を送っていたザルツが振りほどける膂力ではなかった。


「ああ、トマス君は私がもらったよ。君、彼にずいぶん酷いことをしたみたいだね?」


 笑いをかみ殺したような声は、アンガスのものだった。


 そこですべてを察する。


「貴様ッ! アンガス! ……俺を嵌めやがったな!」


「まさかまさか。実は、匿名・・でタレコミがあってね。なんでも君、顧客……それも我が聖剣ギルドに多額の寄付をしてくれていたクロディス伯に不正を働いたそうだな。その咎で昨日まで王宮法廷の場に立っていたことも、私は知っているぞ」


「それは……何かの誤解だ!」


「フン、どうだか。どのみち、すでに幹部会で君のギルドマスター解任決議は通っている。ここに、君の席はないのだよ」


 勝ち誇ったように言ってのけるアンガス。


 その様子を見て……ザルツはすべてを理解した。


 この男は用意周到だ。


 きっかけは偶然かもしれないが、隙を見せればすぐに腹に食らいついてくる。


 これまで機を伺い、綿密に計画を練っていたのだろう。


 そしてザルツが不利となるや、一気に仕掛けてきたのだ。


「クソ、アンガス貴様ッ!! 絶対に殺してやる! トマスもだッ! 貴様らも、貴様らの一族も、全員だ!」


 もはやザルツに残されていたのは、狂ったようにアンガスを罵倒することだけだった。


「フン、私は君を好敵手だと思っていたのだがな……しかし、結果が出てしまえばこの体たらく。君には失望しかないよ。……トマス、さっさとコイツをつまみだせ」


「はい、アンガスさん!」


「待て! クソ、離せ! 貴様ああああああぁぁぁッッ!!」


 ザルツはギルド本部から路地裏に蹴りだされた。


 他でもない、腹心だったトマスによって。




 ◇




「なんでだ……どうしてこうなった……」


 すっかり暗くなった路地裏で力なく座りこみ、ザルツがブツブツと呟いている。


 服は乱れ、あちこち擦り切れている。


 目はうつろで、どこも見ていない。


 ただただ、彼の口からは呪詛に似た言葉だけが無意味に吐き出されている。


「……おやおや、そこにいらっしゃるのはザルツ男爵ではありませんか」


「…………あ?」


 気付けば、男が一人、ザルツの前に立っていた。


 見知らぬ男だった。


 年は二十代後半くらいの青年。


 寒くもないのに、黒いコートに身を包んでいる。


 顔立ちは非常に整っている。


 だがその表情はのっぺりとしていて、まるで精巧に造られた人形のような不気味さを感じさせる。


 なんにせよ、ザルツから見れば取るに足らない、ほんの若造だ。


 その若造が、目を細めながらザルツをじっと見下ろしている。


 物盗りだろうか。


「…………金ならないぞ」


 ほとんど全部、失ってしまった。


 財産は、王都随一の辣腕と有名な弁護人を雇うためとか、裏で法廷職員を抱き込んだりだとかに、ほとんど使ってしまった。


 さすがに妻子のいる領地まで金に換えなかったのはザルツに残った唯一の矜持プライドではあったが……それも、今の状況ではどうなるか分からない。


 いずれにせよ。


 目の前の若造が物盗りだろうが詐欺師だろうが……もっと恐ろしい者だったとしても、ザルツから奪えるものはそう多くない。


 だが……若造は笑みを深くして、こう言った。


「いえいえ、私にお金は必要ありません。それよりもザルツ殿。貴方にこそ、お金が必要なのではないでしょうか?」


「胡散臭い奴だな」


 ザルツから見れば、あからさまだ。


 だが、その「お金」という単語に、どうしようもなく惹かれてしまう自分がいたのも事実であった。


 工房運営には金が要る。


 法廷闘争での弁護人には、さらに追加で報酬が必要と言われている。


 とにかく、必要なのは大金だ。


「まあそうおっしゃらずに。ザルツ男爵、本当に、本当に奇遇なのですが、今まさに、我々・・は貴方様のような人材を必要としておりまして」


 若造が言った。


 そして、手を差し出してきた。


「どうか、私の手を取っては頂けませんでしょうか。その後のことは、我々がどうにかいたしましょう」


「…………なにが望みだ、魔族」


「おお、さすがはザルツ殿。やはり人を見る目をお持ちでいらっしゃる」


 正体を言い当てられた若造――魔族は、一瞬ピクッと肩眉を跳ね上げ……すぐにもとののっぺりした表情に戻った。


 王国も別に魔族国家と交流がないわけではない。


 特にリグリア戦役以降は、偶発的な衝突が大戦乱を巻きこさないよう武官同士の交流などは幾度となく行われているらしい……とザルツも聖剣ギルドの幹部会などで聞いたことがある。


 目の前の若造は、そうは見えなかったが。


 それに。


「お前、臭えんだよ」


「おっと、私、臭いですか? 毎日しっかり・・・・・・皮を干して・・・・・、香を炊きしめているのですが」


 おどけた様子で、クンクンと自分の服を嗅ぐ若造。


 いらつく動作だ。


 ザルツは舌打ちをした。


 コイツの提案に乗ってはダメだ。


 ザルツの直感がそう告げている。


 だが、ほかに方法があるかといえば……なかった。


「御託はいい。……それで、俺に何を望むんだ、魔族」


「おお、そうこなくては。やはり貴方様は、我が主が見込んだお方です」


「いいからさっさと言え」


「ザルツ殿。貴方は聖剣工房を運営されていた実績があります。そこで一つ、我々のもとで――」


 若造は芝居が掛かった動作で、再びザルツに手を差し出してきた。


 そして、言った。

 

「――『魔剣錬成』をお手伝いいただきたいのです」

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