第2話 『旅先で冒険者を助けた』

「つ、疲れた……」


 王都を経ってからひと月が過ぎていた。


 その間、山脈を二つ越え、川や森林は数えきれないほど通過していた。


 馬車の中から街を取り囲むオルディスの巨大な城壁が見えたとき、安堵のため息が盛大に漏れたほどだった。


 だがその物理的な距離が、王都が及ぼすあらゆる影響を薄めている。


 王都聖剣ギルドの影響力もまたしかり、だ。


 ようやくこの街で、俺の新生活が始まる。


 そんなことを考えながら馬車に揺られていた……そのときだった。


「……ん?」


 窓の外を流れる景色が徐々にゆっくりになり……完全に止まった。


 まだ城門の前だ。


 馬車駅は街の内部のはずだが……?


「お客様方、少々お待ちください。どうやら城門付近でトラブルが起きているようで……」


 御者が客車に顔を出し、申し訳なさそうな顔で謝ってくる。


 ……トラブル?


 俺は馬車の窓から城門を覗き見た。


「……なんだありゃ」


 城門の前では、通行人と衛兵が押し問答をしていた。


 なにやら通行人の方が大声で叫んでいるのは分かるが、遠すぎてここからではよく聞こえない。


 通行人は女性の二人組だった。


 ともに軽鎧を着こんでおり、剣を帯びている。


 長い黒髪の女はぐったりとしており、もう一方の茶髪の女が肩を貸していた。


 それで合点がいった。


 あいつら、冒険者だ。


 彼女らは、ダンジョン帰りなのだろう。


 ぐったりとしているヤツは負傷者だ。


 ここまで治療せず戻ってくるということは、治癒魔術師のいないパーティーなのか?


 だが、それならば衛兵が連中をここで止める意味が分からない。


 通行手形をくしたのだろうか?


 と、そのときだった。


「うっ……!? なんだこの臭いは!?」


 窓を開けて身を乗り出していた乗客が、慌てて身体を客車に引っ込めた。


 しかめっ面で、口と鼻を手で押さえている。


 なんとなく嫌な予感がした。


 俺も窓を開き、軽く身を乗り出す。


 乾いた風に乗り、死臭が鼻をついた。


 風上は、ちょうど揉めている衛兵と冒険者たちの方だ。


 黒髪の女冒険者の腕はだらりと垂れさがっており、ひどくただれていた。


「……『腐れの呪詛』か」


 このままだと面倒なことになる。


 そう確信し、俺は席を立つ。


「あっ、お客さん!? 駅はまだ……」


「すまん、俺はここまででいい!」


 慌てて御者が止めるが、すでに俺は馬車から飛び降りている。


 王都の駅で、すでに運賃は支払い済みだ。


 無賃乗車はしょっ引かれるが、途中下車で文句は言われんだろう。


 俺は走りながら、腰のベルトに取り付けた魔導鞄マジック・バッグに手を突っ込み、目当てのものを探る。


(クソ、どこにしまったっけかな……)


 こいつは古い馴染みが造ってくれた特別製だ。


 魔術処理によって容量が数百倍に拡張された鞄の中には、移住用の家財道具のほか、貴重な素材などがぎっしり詰め込まれている。


(……あった、ここだ!)


 鞄内部、『家財道具』の区画をまさぐり、どうにか目当てのものを探り当てた。


 取り出したのは、俺の前腕ほどの長さの、封印魔術を施した包みだ。


 所有者以外が触れれば即座に昏倒する強烈な電撃を発生させるその封印も、俺にとってはただの薄い紙にすぎない。


 走りながら、一気に破り捨てる。


 今、俺の手には薄青に発光するダガー、『セパ』が握られている。


 そいつが明滅し、頭の中に甲高い声が鳴り響く。


『――ご主人、ごきげんよう。30日と3時間14分56秒ぶりです。……58、59……あ、今15分ぶりになりました。まったく、何も言わず封印するなんて……一応聖剣ですよ、私』


「うるさい。文句はあとで聞いてやる。……『腐れの呪詛』だ。かなり死臭が酷いからアンデッド化寸前だと思う。断ち斬れるか?」


『……はあ、当然でしょう。一か月にも及ぶ放置プレイに比べれば簡単なお仕事ですよ、ご主人』


「よし」


 コイツが『簡単』というのなら、簡単なお仕事だ。


『まったく、いきなり封印布で包まれるわ、急にお仕事を振られるわ……ご主人は聖剣使いが荒――』


 頭の中で響く『セパ』の甲高い声を聞き流しつつ、俺は衛兵たちに近づいた。


「――だから、ここは通せないと言っているだろう! そいつ……半ばゾンビ化しているじゃないか! おい、近づくな! 噛まれたらどうするんだ!」


「お願いです、ここを通してください! 呪詛を祓う神官様は寺院にいるんですよ! 早く連れて行かないと、取り返しがつかないことに……ッ!」


 無事な方の茶髪が必死で訴えているが、あれはもうダメだ。


 ぐったりしている黒髪は、すでに頬あたりまで『腐れの呪詛』が侵食していた。


 ここまで連れてこれたのが不思議なくらいだ。


 おそらく街に入ったとたん、完全にゾンビ化して暴れ出すだろう。


「ぐぬ……し、しかし……ダメだ! そっちの女を通すわけにはいかん。お前だけで神官を呼んでこい!」 


 衛兵の目にも、それは明らかだったようだ。


 役目を全うすべく、苦渋に満ちた表情で槍を構える。


「ググ……もういい。ベティ……様。ギギ、早ク……コロ……私を、殺セ……」


「ファル、それは許可できません。貴方が私より先に死ぬことなど、あってはなりません! それではここまで落ち延びた意味が……ああっ!?」


 ゾンビ化しかけた黒髪――ファルが、必死に食い下がる茶髪を突き飛ばした。


「私のこト、気に……する……ナ」


「……そんな」


 茶髪――ベティと呼ばれた女冒険者がフラフラと後ずさり、力なくへたり込む。


 彼女のそばかす顔には、絶望が浮かんでいた。


「衛兵……ヤレ。オ前……タダ、一体ノ魔物ヲ倒シタ……ソレダケ……ダ」


「ぐっ……化けて出るなよ……ッ!」


 衛兵は一瞬戸惑ったが、やがて覚悟を決めたようだ。


「苦しまないよう、一息で殺してやる。……うおおおおっっ!!!」


 悲鳴じみた雄たけびとともに、勢いよく槍を突き出す。


 その穂先が、ファルの崩れかけた顔に迫り――


「ちょっと待った」


 キンッ!


 火花が散り、槍の穂先が虚空を突く。


「ぬうっ!? 誰だお前……!?」


「……え」


 衛兵とへたり込んだベティが、呆けたような顔で俺を見つめている。


 ……しまった。


 さすがにいきなりの登場すぎたか?


 ここ数年は工房にこもりっきりだったから、対人能力が退化していたかもしれない。


「あー、失礼。そこの人、ゾンビ化してるだろ? 通行の邪魔だから、今治してやろうと思ってな」


 俺は口早にそう言って、ゾンビ化しかけたファルの前に立った。


「ヴ、アァ……ナ、何ヲ……!?」


 ファルが不思議そうに顔を上げる。


 うっ……呪詛で顔が崩れかけている。


 長い黒髪も半分ほど抜け落ちて、酷い有様だ。


 無事な側を見るに元は美人だったようだが、これ、元に戻るんだろうか……


 ともかく、さっさとやってしまおう。


「少し痛むぞ」

 

 俺は一言断ってから、『セパ』を彼女の胸に突き刺した。


「ガッ……!?」


 ビクン、と痙攣し顔をのけぞらすファル。


「おいお前! 何をしているッ!」


「ちょっ!? 貴方、一体何を……!?」


「あー、すぐ済むからちょっと待っててくれ。……よっと」


 慌てふためく衛兵とベティをもう片方の手で制し、俺はさらに『セパ』をさらに深く突き刺す。


「ガアッ……!?」


 ビクン、と痙攣が激しくなり……ファルが動きを停めた。


 刃が心臓まで達したらしい。これでよし。


 このダガー……『セパ』は殺傷能力は皆無だが、魔力や呪詛だけを断ち切る力を持つ特殊な聖剣だ。


 別名、『おしゃべりクソ聖剣』。


 先代がまだ現役だったころ、修行の一環として個人的に錬成した試作品だったのだが……まさか話し相手以外で役立つときが来るとは。


『……オーケーご主人。呪詛は完全に断ち切られました』


 しばらくの後、『セパ』から応答があった。


「よし」


 刃を抜き取る。血は一滴も付いていない。


 だが体力を使い果たしたのか、ファルが崩れ落ちた。


 効果はすぐに表れた。


「う……」


 彼女は呻き声をあげているものの、崩れた顔がみるみるうちに修復されてゆく。


 腕から腫れと爛れが引き、滑らかな白い肌が姿をあらわした。


 もうすっかり元通りだ。


「よくやった、『セパ』。今日は寝るまで再封印しないでおいてやる」


『なんと……! さすがご主人、太っ腹です。どうやら私はいい働きをしたようですね』


「調子に乗るな。そこそこ、だ」


『まあ、いいでしょう。ですがこれでご主人に話しかけ放題ですね。私が今までどれだけ我慢してきたのか――』


 なおもしゃべり続ける『セパ』を鞘に納め、腰のベルトに差す。


 今日はうるさい一日になるだろうが、まあそのくらいは我慢してやろう。

 

「ファルっ……!」


 ベティが駆け寄り、ファルを抱きしめる。


「う……心配をかけて、すまない……ふふ、冥府で陛下にお会いできると思ったのだが……まだ先のことになりそうだな」


 激しい浸食を受けていたせいかぐったりしているが、口調はしっかりしている。


 もう大丈夫だろう。


「ああ、よかった……こんな、こんな奇跡があるなんて……! ……旅のお方。なんとお礼を言っていいものか……貴方は神の使いなのですか?」


 倒れたままのファルを抱きしめながら、ベティが陶然とした表情でそんなことを言ってくる。


「……いや、ただの職人だ」


 なんかこいつら「陛下」とか「神の使い」とか言っているし、どうも面倒くさそうな背景をお持ちのようだ。


 しばらくは移住のあれこれで忙しいし、これ以上絡まれる前にさっさと退散してしまおう。


「じゃ、そういうことで」


「あっ……」


 二人を一瞥したあと踵を返し、衛兵のもとに立ち寄る。


「それじゃ、通るぞ。これ、通行手形な」


「あ、ああ。問題ない。……あんた何者だ。流しの神官か何かか?」


「言ったろ。ただの職人だ」


「……そ、そうか」


 衛兵が何とも言えない表情になった。


「まあ、あんたが誰でも構わん。俺はしなくていい殺しをしないで済んだ。深く感謝している」


「ああ、アンタも仕事がんばれよ」


 深く頭を下げた衛兵の肩をポンと叩いてから、俺は城門をくぐりぬけた。

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