月のない日に

 蓮が全てなくなって、寂しくなったその近くにある東屋に志遠は一人座り、考えに耽っていた。

今宵は月がない、それに昼は気付かなかった。新月だ。辺りは暗く、星も明かりもない。だから圭璋のような、いつもとは違う春鈴が居たのかもしれぬ……と思いつつ、用意してやった大皿の茶碗蒸しを見やる。

 普段この東屋にはないそれだけを置く為の台の上で茶碗蒸しは冷めて行くのだろう。

 やはり、茶碗蒸しではダメだったか……。

 茶碗蒸しに匂いがあるか確かめる気もないまま、志遠は収穫はあったとして、雨露に雲雕を見張らせて、自分は早急に後宮へと戻り、旭を探し、永華としてその話を聞いた。

 最初は何故春鈴が?! と驚き、まさか、そこになっている果物でも狙って来たのでしょうか? と考え出し、その話をしない勢いだったが、そうかもな……と永華が同意するのを見て、今どんな気持ちでいるのか察したのだろう、それは真実です――と話し出した。

 そして最後には、皇太后からそれを提案されました……と白状した。

 皇太后が!? と呆然となる永華に旭は言う。

 でも、これはまだ私と皇太后様だけの話であって、あなた方は何も知らないを通して下さい! 知って良い話ではないのです!

 事が事なだけに、春鈴がそう言ったというのも分かったが、兄上の子供の問題を俺にまで――となるといよいよだということだろう。

 だが、それと今回の雲雕の話を合わせるとなるとどうなる事になるのだろう? 何も想像が付かない。

 時がただ流れて行くだけだ。

 何か息抜きをしようと再度茶碗蒸しを見た時だった。

 いつからそこに居たのか、春鈴がその茶碗蒸しを狙っていた。

「お前は今、圭璋か? 春鈴か?」

 そう問われて春鈴は一拍置いて答えた。

「そう言われましたら、志遠様だって、今はどちらなのです? 前世のそれをお使いでしょう? 同じ事です。新月なのできっとそちらの方が強く出るのでしょう」

 何とも春鈴らしいとは言い切れない答えだ。

 同じだと思っても春鈴はより濃く綺霞が関わっている。

 だからそういう違いが出て来るのか。

 今、自分が求めているのはどちらか永華は考える。

「それでこの茶碗蒸しは食べても良いのでしょうか?」

「ああ……、その為に用意した」

 わーい! いただきまーす! となって喜んでいる様を見れば、今は絶対的に春鈴だ。

 あの過去の人生の出来事を言って来た者じゃない。

 それはあの時もそうだった。

 花街に向けた視線に気付いてか、春鈴は反応した。

 こいつの反応が強く出る時、大抵こちらが良くないとされることが多いが、それは偶然だろうか。

「春鈴はどう思う?」

 はい? という風にその大量にある茶碗蒸しを一気に食べようかとしていたらしい春鈴の大きな口が閉じた。

 何とも無謀だ……という志遠の目に、春鈴の目はそっぽを向いた。

「何も言ってないだろ?」

「でも、そういう目をしていました。お聞きになったのでしょう? だからそんなに深刻に考えてらっしゃる。私も思いました。その身分に見合うことができれば良いのにと思いましたが」

「何だと?!」

 ガッと永華は春鈴の肩をその手でつかんでいた。

 びっくりしたような痛い! とでも言いそうな顔をされては冷静になるしかなかった。

「すまない」

 そう言って、その手を永華は離した。

「何をそんなに?」

「お前が躊躇うのはその身分だけか?」

「ええ、まあ、だって皆が夢見ることではないですか?」

「そんなに、大事な事か?」

「あなたは今までの人生で私以外の人と結婚はしていても、一度も子がいらっしゃらないから分からないのですよ。子の幸せを考えるのは親として当然です」

「じゃあ、自分の元を離れると分かっていてもお前はその子を産むのか?」

「産みます! 産んで生きて行ってくれたらそれだけで良い。触れ合う時間が短くとも、同じ時間を生きれることこそ嬉しい。あなたはいつまでも子が自分の側にいると思っているのですか? 子はいつか成長し、離れて行ってしまうものですよ。それでもその子は思い出すのです。ああ、あの時……と。それが何とも産んだ甲斐があるというものなのです」

 聞いていて悪趣味だと思ってしまった。

 そういえば圭璋様もある時、腹黒のような考えをお持ちだと思ったことがあるが、それを言ってしまえば今のご自分だってそうではありませんか? と言われそうだ。

「母としての喜びか?」

「ええ、そうですね。まあ、私はあなたに会えることが一番嬉しいですが、いつの世も」

 呪われているな……と言ったら、少し彼女は微笑んだ。

 それは月がない夜なのに、そのような光が差し込んだような笑みだった。

 とても悪い感じはしないが、微かに危うさを含んだものだ。

「お前は今、圭璋のようだ。勝手に決めて勝手に動く。私がいなくとも大丈夫だと言って、一人行ってしまう。そして私が後悔するのだ」

「そうですか、それは大変ですけど、私はこの茶碗蒸しを先に食べてしまいたいのですが、熱いものは熱いうちに食べろというのをご存知でしょうか?」

「よくもまあ……」

 呆れた。

 食い意地はそうなった理由だと言っていたが、ここまでとは。

 それに比例しているのは何か知りたい。

 もぐもぐとしている春鈴はとても幸せそうで、休む間もなく食べる感じには少々勢いがあり、それでいて太っていないのは新たな食べ物を求めてこそこそと日夜動き回っているからか。

「知っていますか?」

 突然春鈴は口を開いた。

「何だ、いきなり」

「人は前世で好きになったものを、この世に生まれてもまた同じく好きになるそうです。だから、呪われてはいないのでご安心を」

「では、何故微笑んだ?」

「それはまあ、面白い事を言うと思いまして」

「面白い事?」

「呪いとはそういう強い思いから来るもの。あの元宦官は言っていたではありませんか、それを見せびらかして」

「何を言っている?」

「ご自分で解答したではありませんか? それが答えです」

 本当に何を言っているんだ? こいつは……と春鈴を見れば、春鈴はまたもや残りの茶碗蒸しを食べ始めてしまった。

 よく分からない。

 もしかしたらちゃんと聞いていなかった間にそのような話があったのか。

「私は何と……」

 愚かなのだろう。

 自分の仕事よりも自分の事を思ってしまっていた。

 自分が可愛いのだろうか、今になって。

「春鈴、他に言いたいことは?」

「美味しいですよ! この茶碗蒸しも。これは余暉さんが作ったのでしょうか?」

「ああ、もう余暉の味を覚えたか?」

「だって、余暉さんの料理はとても美味しいですからね。それはすんなり覚えます」

 そうなのか……、春鈴が言うならきっとそうなのだろう。

「さてと、お腹いっぱいになりましたし、ごちそうさまでした。志遠様はいつまでここに居るつもりですか? あの話、してないということでしょうか?」

「したさ、もちろん、旭にはな。だが、陛下にはしていない。お前の事もある。まあ、お前との事は俺しか知らない。その証拠にあれから数日経っているが変な噂はお前の所には行かなかっただろう?」

「そうですね、誰もあなたが私を見て泣いただとかは言っていません」

「あの時はそうでなくとも綺霞が絡んでいたからな……。特別だったんだろう」

「そうですね……」

 そう言うと春鈴は黙った。

 こう新月だとその綺霞に見張られていたりするのだろうか。

「……この残りの茶碗蒸し、持って帰って良いですか?」

「良いが、何の為に持って帰るんだ?」

「冷めてもきっと美味しいと思うのでお腹が空いたらまた食べようと思って!」

「だったら、違うのを作らせる」

「え?! 良いんですか?」

「別に良い。余暉は俺の所の者だし、お前にはその嫌な思いをさせられたが、少し考えていた事から離してくれたからな、その礼だ」

「まあ! ありがたく頂戴いたしましょう!」

 それは何とも華やかな雰囲気で、あの頃の圭璋様のようで、いつもの子供っぽさがそこになかったせいか、やはりいつもの春鈴とはいかず、志遠は何ともモヤっとした感じになって言った。

「明日の朝一番で雲雕を捕える。それで許してくれないか?」

 一瞬、春鈴は何の事か? となったようだが、すぐに解ったらしく。

「良いですよ、許しましょう。私が許すというより、私の前世である私が、ですね」

 不敵な笑みとはこういう事を言うのだろう。

 そんなに嘘を言われたことを怒っているのか彼女は。

「良い話が聞けると良いですね」

 その強めの微笑みは絶対的に春鈴のものではなかった。

 あれは圭璋様のもの――、つまり春鈴は完全に今、圭璋なのかもしれない。

 今後は月のある時に話すか。

「ふふ、やはりあなたは私が苦手なようですね、前から思ってましたけど」

「それはあなたが意地悪だからです!」

 急に立場が逆になったことに気付き、志遠は慌てた。

「春鈴!」

「ぅはい!」

 まるで寝ぼけているかのような声だ。

 それで良いのか? 春鈴は……。

「変に前の者を出すな!」

「ご自分だってそうではないですか! きっとちゃんとしてない事を見抜かれたんです! 私は食べ物に夢中なだけです!」

「それが良くないんだろう?」

 諦めにも似たこの感じ、正しく春鈴と話している気がして来る。

「何がそんなに楽しいのですか?」

「いや、笑ってないぞ? 俺は!」

「そうでしょうか? 少しニヤついて」

「違う! お前はすぐそうやって!」

「こんなに大騒ぎをしていると変に思われますよ?」

「お前が言うな、大体誰が見てもその大皿があれば春鈴が何か――ってなるだろ?」

「そうですかね?」

「そうだ」

 ようやく調子を取り戻して来た! と思った頃には明け方で、新月の終わりを迎えようとしていた。

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