3 旅立ち

旅立ち

 パンを食べてしまうと、俺たちはろくに休憩もせずに出発した。

 もう少し身を隠していた方がいい。そう思わないでもなかったが、俺にはもっと切迫した理由があった。

 トイレだ。

 他人の目の前で用を足すのは、いくら何でも耐えられない。異世界の常識を振りかざすつもりはないが、最低限は守りたいエチケットってものがある。洗面器なんて論外だ。

 幸いにもスラムを出て、すぐの場所には公衆トイレがあった。


「ふう……」

 俺は個室に座って息をついた。

 なんとなく、俺はポケットからスマホを取り出した。

 トイレでスマホをいじるな。よく母親に言われていたのを思い出す。


「ろくな設備もない街なのに、トイレだけはあるんだな」


「ハイ、公衆トイレは国の役人が管理しています。排泄物は定期的に回収して、肥料にして農家に売っています」


「これも経済の一部ってことか。勉強になるな」


 ソラの買ってきた服は、薄茶色のシャツとズボンだった。

 下着が少しゴワゴワしているが、我慢できないほどでもない。


「ミリア、そう言えばおまえってGPS機能はついてないのか。つまり……その。逆探知みたいなことはされないのかってこと」


「イイエ、その心配はありません。『人工精霊』の通信可能範囲は、所有者のレベルと連動しています。ショウヘイ様はレベル2なので、約2メートル。現時点で最大の通信範囲を持つ所有者はジェロンド様で99メートルになります」


「ジェロンドって、確か王宮であった魔法大臣とかいう奴だよな」


「ハイ、ジェロンド様は既に最大レベルに達しているので、これ以上ステータスが向上することはありません」


「ちょっと待てよ。俺の最大レベルは9999だったよな。……だとすると、レベルマックスになったらどうなるんだ」


「レベル100を超えると通信範囲の比率がアップします。最大レベルでは、この国のある大陸のほぼ全域が通信範囲に入ります。通話もメールもし放題です」


 そうなったら委員長とも好きなだけ連絡が取れる。

 でもまあ、とりあえずレベル2の人間が考えることじゃない。まずは地道にレベル上げだ。


「ミリア、レベルはどうやったら上がるんだ」


「通常の生活でも少しずつは上がりますが、モンスターを倒すのが最も効率的です。ショウヘイ様の世界のゲームと同じで、強いモンスターを倒せば倒すほど多くの経験値を得ることができます」


「よし、わかった」

 そう考えると、レベル上げには冒険者になるのが手っ取り早い。

 この選択は間違っていなかったってことだ。



 トイレを出ると、ソラが不思議そうな顔をして立っていた。

「お兄ちゃん、どうしていつもボソボソとひとりで話しているの?」


「ひとりって……そう聞こえたか」


「うん。まるで誰かと話しているみたいだった」


 どうやらミリアの声は所有者にしか聞こえないらしい。


「実は考える時のクセなんだ。気味悪いと思われると嫌だから他の奴には言うなよ。それよりもう、お兄ちゃんはよそうぜ。俺には翔平って名前があるんだ。仲間は名前で言い合うもんだろう」


 すり替えようとした話題に、ソラはまんまと食いついてくれた。


「う、うん! そうだね。冒険者はみんなそうするってお姉ちゃんが言ってた。ソラとお兄ちゃんは仲間だもんね。シャウヘリ……えっと、そうじゃない。ショ、ショウフェイ……」


「言いにくかったらショウでいいぞ」


「ううん、大丈夫。それじゃあショウヘイ、買い出しに行こう。水筒とか食べる物とか。それにソラの使う武器も。

 冒険者になったら何を買おうか。ずっと考えてたんだ。冒険者は外で寝ることもあるんだよ。毛布とかもあった方がいいけど。お金……足りるかな」


「俺は金持ちなんだ。ドンと任せとけ」

 まだ、王宮でもらった金貨がそっくり残っている。

 服にちょうどいいポケットがなかったから、袋に紐をつけて首から下げておくことにした。上着を着ているから、もちろん外からは見えない。



 買い物は楽しかった。

 何よりも目を輝かせているソラを見るのが楽しい。


「ショウヘイお兄ちゃん! これどうかな」

 革製のスカートをはいて俺に見せてくれる。


「かなり古いものですが、品物はいいですよ。子ども服は数が少ないのでこれだけの品は滅多にありません」

 最初はうさん臭い目で見ていた古着屋の店主も、金貨を見せると態度が変わった。もみ手をして俺の機嫌を取ってくる。


「子どもの服だけ、どうして数が少ないんだ?」


「貴族様ならともかく、庶民はみんな大人の服を直して自分で作るんですよ。兄弟や近所の子どもたちで交換して、使い終わった頃にはボロ雑巾です。とてもこちらには回ってきません」


「なるほどね。じゃあ、これを買うよ。料金は……」

 俺はこっそりミリアに適正価格を聞いた。


「8ディランでどうだ。その代わり即金だ」


「若いのに抜け目のない方ですな。それなら商売人になれますよ。いいでしょう、8ディランで。他にまだり用の物はありませんか」


 俺は自分にも革製のチョッキを買った。

 ミリアの情報だと、革製の衣服は冒険者がよく着るらしい。

 重装備の前衛は別にして、後衛にはそこまでの防御力は必要ない。金属鎧よりは動きやすく、布よりは丈夫だ。それに毒のある虫の針くらいは防げる。


 武器屋で剣と腰に吊るためのベルトを買うと、俺もようやく冒険者らしく見えるようになった。ソラは鞘つきのナイフを入れたポーチをずっと触っている。

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