第4話 脅威となる存在
北条派閥が鮎川派閥を倒して一週間が経過した。
ようやく慣れ始めた通学路を使い北条が登校すると、ある噂話が耳に入ってくる。
耳に入ってくる内容を簡単にまとめるとこうなる。
『異次元の強さを持つ天才少女』
『金色の書庫』
この一週間北条が鮎川派閥を倒したことをきっかけに新入生たちが先輩たち相手にも魔術決闘(デュエル)を申し込む件数が増加傾向となっていた。
その中で新入生だけでなく、先輩相手にも勝ち星をあげる一人の少女――逢坂佳奈美の存在が早くも桜花学園の中で大きくなろうとしていた。
その噂話に釣られるようにして北条は朝の校庭に足を向けた。
「お前が俺たち先輩相手にランキング狩りをしていると聞いた。逢坂って言ったか? 悪いがここではここでのルールがあり上下関係もある。だからそれを認めるわけにはいかない」
「そうですか。では私が負けた時はそのルールとやらに従うとしましょう。私はあくまで桜花学園ルールに従い桜花学園が求める魔術師として頑張っていたつもりでしたが」
そこには黒髪短髪で体格が良い先輩と魔術決闘を始めようとしている逢坂佳奈美の姿があった。
耳を澄ませば、ひそひそ話が聞こえてくる。
逢坂がこの二日間で急激にランキングを上げているのを知って嫉妬に駆られたらしい。
多くの学園生が見守る中、見届け人が試合進行を務める。
「では魔術決闘開始のカウントダウンを始めます」
ただ魔術決闘を見守るだけの北条に緊張が走る。
いつかは戦うことになる相手だと意識したからだ。
北条の第一目標を達成するには逢坂佳奈美を倒さなければならない。
だから――緊張した。
だから――目の前で起こる光景に集中した。
「五、四、三、二、一、零! 魔術決闘開始!」
開始の言葉と同時に二人の鋭い眼光が交差する。
とても静かな立ち上がり。
お互い魔術を使うわけでも動くわけでもなく、ただ相手の出方だけに集中しているように見える。
そこで臆病者だけはすぐに気づくことができた。
臆病だからこそ常日頃から周りの些細な変化にも敏感である。
「あれ……まさか?」
その言葉に織神も何かに気づいたように肯定する。
『せやな』
「ってことはやっぱり?」
『多分そうやで。お互い既に平行世界とリンクしとるんやろうな』
田中が使う第二種魔術の根源は『時間操作』つまり『過去と未来の時間に干渉』によるものだ。それを縦ではなく横軸を対象にしたものが第五種魔術で『平行線の干渉者』つまり『パラレルワールドに干渉』が根源となっている。
お互いに平行世界――もしもの数だけ存在しているとされる世界に自身の力で干渉できる範囲で干渉しそこで知識を得る。つまり、相手の魔術をそこで分析し解析し対処方法を見つけ素早く自分の居る世界に持ち帰るというわけだ。そこで記憶の改竄、事象の書き換えを行うことで自身に対する経験値として還元し魔術師としての能力を大幅にあげることが出来るのが第五種魔術。後は体が対応できるかできないかの問題。
干渉した世界の知識を自分の知識として還元。
それが如何に複雑で大変なのかを北条は知らない。
だけど還元するにはそれなりの知識が必要であり、知識なくしては理解すらできない。
「――となると、やっぱり実力差が諸に出る決闘になりそうだね」
『せやな。あの時より殺気だってるやんあの子』
「うん?」
『こっちの話や。それよりもうそろそろ動くと思うで』
時間にして五秒から十秒ぐらいだろうか。
たったそれだけの時間で平行世界から相手に関する知識を持ってきた二人。
瞬間、逢坂に向かって先輩が走り始める。
「見えたぞ! お前は肉弾戦にかなり弱いらしいな!」
大声で逢坂の秘密を暴露する先輩に逢坂は表情一つ変えない。
「そうね。あの子に比べたら弱いかもしれないけど、それがどうしたのかしら?」
自身の弱点を認めた逢坂は逃げるでもなく、近づいて来る先輩に対して冷たい視線と声を向ける。
その眼は鋭く、相手の些細な動きも見逃さないぐらいに研ぎ澄まされている。
武器は持っていない。
ただ手をぶらぶらさせて準備体操のような仕草を見せる。
誰が見ても体格差から考えると、組手になれば百の確率で逢坂の敗北になる。
既に一般的な魔術を使った遠距離攻撃は逢坂には意味がないとBランク魔術師一人とCランク魔術師の四人が過去に敗北も持って証明している。
ならば、と裏をかいた先輩が近づく。
「行くぞ! 女だからって手加減しない」
「どうぞ。お手柔らかに」
「――己が敵を打ち砕くのは正義の鉄拳!」
「…………」
「お前は七ある世界の内四の世界でこれを喰らい敗北していた。そしてBランク魔術師である俺はそこでお前と対峙した者の経験を自らの経験として肉体に還元することで一時的にその力を扱うことができる! さぁ、どうする!?」
空気を切り裂く拳が飛んでくる。
それは刃のように鋭い切れ味を持った一撃。
そこから始まる三十六連撃は逢坂の白く綺麗な肌を赤く染めてしまうかもしれない。
もしかしたら整った顔に傷が付くかもしれない。
そんな一撃に対して、周囲の反応を裏切る逢坂。
「遅いわよ? ちゃんと還元しました?」
タイミングを合わせ、左足を前に一歩出して細い腕から放たれる右ストレートの一閃。
電光石火の如く、ワン、ツー、スリー、と続くジョブからの全身の体重を乗せた回転蹴り。
「ぐっ……」
体格差を無視した攻撃は、先輩の体を吹き飛ばす。
地面を転がる体は砂を巻き上げ近くの大木に衝突して止まる。
思惑とは全く逆の結果に脂汗を垂らしながら立ち上がる先輩。
「そんな……す、すごい」
全然動きが見えなかった。
北条は驚きながら逢坂を見つめる。
逢坂は半身になって、拳を軽く握り格闘家のような構えを取っている。
すり足でゆっくりと近づく動きに油断も隙もない。
「お、お前ぇ――!!!」
予想外の結果に激情に駆られた先輩が殴りかかる。
それは愚行となる。
先輩が放った拳が逢坂の顔面をスレスレで通り抜け、変わりに逢坂の拳が先輩の顔面にクリーンヒットする。
その挙動はボクサーのように華麗で洗練されており、とても力強く、重い。
「ぐはっ!? んっ、だとぉ――!?」
拳が先輩の顔面を押し潰すと、逢坂は素早く体重移動をしてジャンプする。
柔軟な体から伸びる綺麗な片足が空へ向かって伸びる。
地面を離れたもう片方の足はそのままにしてお互いの身長差を感じさせない、振り下ろされる鉄球のように重く脳に響くかかと落としが先輩の意識を飛ばす。
「――そんな……ありえなぃ……」
薄れていく意識の中でそんなことを口にした先輩ではあったが、逢坂にはそんなことはどうでも良かったのか。
「私が憧れた同級生は可憐で儚い一輪の花。それに比べて貴方は自分の力に酔いしれた醜い花のようだったわ」
と、背中を見せて呟く。
そのまま近くに置いてあった鞄を手に取る逢坂は周囲に視線を飛ばし何かを探し始める。
「意識不明を確認。魔術決闘(デュエル)続行不能とし、逢坂佳奈美を勝者とします」
形式上の言葉が聞こえてきたが、何かを探し始めた逢坂にとってはそれすらどうでも良いことらしく、そのまま独り言を呟いた。
「ふふっ。お楽しみはもう少し先っぽいわね」
だけど、この時北条を含めた多くの者が勘違いしていた。
逢坂佳奈美の本当の力はこの程度じゃないことを――。
そして第五種魔術を深い意味で理解した彼女に対して織神は。
『結果から見るに干渉も逆干渉もできるとか凄いな~あの子』
と、称賛するのであった。
世界を相手に騙し意図的に望む未来を手に入れた逢坂佳奈美は北条真奈の方を見る。
二人の視線が重なったタイミングで逢坂が視線を外し校舎の方へと歩き始めた。
■■■
昼休み。
空は怪しく曇り模様。
午前中の授業は何事もなく終わった。
外とは対照的に授業の解放感から盛り上がる教室。
「お腹空いたー!」
大きな背伸びをして、心の声を口にする北条とそれを見てクスクス笑いながら手にお弁当を持ってやって来る水上。
同じくお腹ぺこぺこなのかお腹の虫が鳴いている。
女の子が九割以上を占める教室でそれを恥じらう二人ではない。
「やっほー! 一緒にご飯食べよ?」
「食べる! 食べる!」
昼休み開始のチャイムが鳴るとすぐに食堂に走って行き、今は無人の席となった場所に水上が座る。
ちょうど北条の前の席である。
そのまま水上を真似て北条も鞄から家から持ってきたお弁当を取り出して机に置く。
机に並べられたお弁当箱の中身を見て、北条は水上、水上は北条、とそれぞれお互いのおかずをチェックして声を漏らす。
「「美味しそう~」」
思わず、声が重なったことで笑いが出てしまう。
「なら、交換しながら食べない?」
北条の提案に首を縦に振る水上。
「いいよ」
二人はご飯を食べ始める。
いつの時代も誰かが食べている物が普段は気にしない物でも急に美味しそうに見えるのは何故だろうか?
仲の良い人が食べている物は余計にそう見える。
「はい、あーちゃん、あ~ん」
北条が自分の箸でおかずの玉子焼きを水上の口元に持っていく。
教室での箸移しはちょっと恥ずかしいのか照れた様子の水上。
「そっかぁ、あーちゃんは私のおかず嫌か~」
悪い笑みを浮かべて近づけた玉子焼きを自分の口元に持っていく北条。
「ち、違うよ!」
慌てて、否定する水上は珍しくおどおどしている。
「でも口開けてくれなかったよね?」
「……だって」
「だって?」
「皆ここにいるし……は、恥ずかしいだもん……」
「じゃあ、要らないってことだね」
北条の意地悪に遂には自分から口を近づけておねだりする水上。
「ほ、欲しいです! 真奈ちゃんのが」
火照った頬が妙に初々しく可愛い。
机に両手を付いて前のめりになってお願いしてくる水上はそう滅多に見られるものではない。
口を大きく開けて、北条からのご褒美を待つ水上。
そんな水上に北条が悪戯をする。
何も持たず自由な左手の人差し指が前のめりになって近づいた果実を刺激する。
「きゃあ!? ちょっと真奈ちゃん!」
「えへへ~」
「昼間からそう言うえっちぃのは禁止だよ?」
「は~い。お詫びにこれあげるから許して」
今度は素直に水上の口元に持っていては玉子焼きを食べさせてあげる。
人目を気にして恥じらう水上の姿は新鮮で見ていて眼福としか言いようがない。
もう少し悪戯したい気持ちはある。
だけどあまり悪戯ばかりしていると、怒られそうなので今回はこの辺で止めて楽しいご飯の時間を過ごすことにする。
「私あーちゃんのウインナー食べたい!」
大きなウインナーを指差して大きな口を開ける。
「どうしようかな~、すぐにえっちぃことする子にはあげないどこうかな~?」
片目を閉じて、焦らす水上。
さっきの仕返しと言ったところだろうか。
だけどそれでは困ると言わんばかりに北条が心を入れ替える。
「あーちゃん!」
「なに?」
「私健全な子になります!」
「本当に~?」
「はい! 今日の放課後までは神様に誓ってなります」
期間限定ではあるが神様に誓った北条。彼女はどうしても焦げ目が程よく付いて油が乗って冷めているはずなのに香ばしい匂いがしてくる茶色いウインナーが食べたいのだ。
「なら、一つだけだよ」
パクッ。
ニコッと微笑むと口元に欲しかった物が運ばれてきた。
鼻腔を刺激して想像通りの旨さが口の中に広がる。
両手で頬っぺたを支えないとつい落ちてしまいそうになるぐらいにウインナーが美味しかった。
きっと間接キスありの箸移し、と言ったシチュエーション込みだからこそ冷えたウインナーでもそう感じるだけの何かがそこにあるのではないだろうか。
幸せで心が満たされた北条は心の底から微笑む。
「ありがとう。とても美味しかったよ」
「ならよかった」
同じく微笑む水上。
その後も二人のおかずの交換は続き、気づけばあっという間にお昼ご飯の時間が終わるのであった。
――。
――――。
お昼ご飯を食べ終わった二人は今朝の魔術決闘のことについて話す。
「真奈ちゃんは今朝の魔術決闘見た?」
「逢坂さんと三年生の先輩のやつ?」
「そうそう。逢坂さん三年生の先輩相手に余裕って感じだったよね。私それを見て真奈ちゃんみたいだなって思っちゃったよ」
「私?」
小首を傾ける。
北条は第四種魔術で逢坂は第五種魔術を扱うことから魔術師という大枠以外では特別な共通点と言った物はない。
噂で聞く限りだが生まれた時からエリートコースを歩んできた逢坂と落ちこぼれの臆病者として地べたを這いずり回っていた北条では歩んできた魔術師としての道も違う。そのためか北条の力を素直に認めてくれない者がいるのも事実。
エリートだからこそ凡人を認められない。
そんな感じのプライド高い学園生も大勢いる。
特に魔術師として生まれながらにして優れた者ほどその傾向が強いのはどこに行っても同じだったりする。それは学園が変わっても変わることのない事実。
皆から認められるにはやはり誰が見てもわかる実績が必要になってくるというわけだ。
「うん」
どこか嬉しそうに言葉を続ける水上。
「どんな相手にも余裕を持って戦う姿だよ」
その言葉に心当たりがある北条は「あぁ~」とボソッと呟いた。
『おっ! 褒め言葉や! あーちゃんありがとうな』
心の中の声は水上には届かない。
それでも構わないのか織神は北条の心の中からお礼の言葉を言った。
その表情はどこか照れくさそうに見える。
「もしかして……とても嬉しいの?」
『当然や!』
「なら直接言う?」
『戦闘時以外は真奈の日常は真奈の日常や。だから大丈夫やで』
「わかった」
意識を現実に戻して。
「ありがとう。そう言ってもらえると嬉しい!」
北条が織神に代わってお礼を言う。
北条は織神で織神は北条でもある。
二つの魂が同じ器を共有しているのだから当然のことである。
だからこそ北条は嬉しい気持ちになれた。
織神の嬉しそうな姿を見られたから。
「そう言えば真奈ちゃんは聞いた? 逢坂さんの二つ名」
「それってなに?」
「偶然私も逢坂さんのクラスの前通った時に聞いたんだけど逢坂さん今ね『金色の書庫』っていう二つ名でも呼ばれているみたいだよ」
「金色の書庫? 初めて聞いた」
「そっかぁ。って言っても私も今日聞いたばかりだけどね」
その時だった。
北条の視界の隅に廊下を歩く金色の髪をした女子生徒の姿が見えた。
引き寄せられるように視線が動く。
すると偶然にも足を止めた女子生徒と目が合う。
「あっ……逢坂さん……」
無意識に出た言葉が逢坂に届いたのかはわからない。
だけど。
「……破壊の女王」
逢坂の声が聞こえたわけではない。
ただ口が動いた。
それを見た北条の脳が僅かな動きからそう聞き取っただけ。
逢坂が何を見て、何を感じ、何を思ったかなど、北条にはわからない。
あるのは存在しないはずの記憶が蘇るような形容しがたい感情。
自分でも理解し難いなにかが僅かに熱を帯びた。
「真奈ちゃん?」
意識が遠く離れたことに気付いた水上が声を掛ける。
だけど北条の意識は完全に逢坂に向いており、声に気づかない。
僅かな違和感に水上だけじゃなく、クラスに居た全員が気づく。
個人ランキング一位と二位が交わす視線。
ただそれだけなのに、空気が張り詰めたようにピリピリとしたものになっていく。
「私の憧れであり超えるべき存在」
そう呟くと逢坂は再び廊下を歩いてどこかへと行ってしまう。
一発触発もあるかもしれない。
周りで見ていた者たちが思わずそう感じてしまうぐらいに重たくなった空間にようやく平和が訪れる。
北条は最後に感じた違和感で確信する。
逢坂が自分に対して殺気を飛ばしてきた、と。
それは言葉にしなくても意味がわかる。
過去の経験からそう言った者たちが取る行動はいつだって決まっているから。
「私を狙っているんだね、逢坂さん」
「えっ?」
「逢坂さんの次の標的は私かもしれない」
息を呑み込む水上。
それがなにを意味するのか。
それを分かっているからこそ、鳥肌が立つ。
「つまり真奈ちゃんの次の相手は逢坂さんってこと?」
「……」
北条は答えない。
静かに首を縦に動かして頷く。
北条の意識を断ち切るように昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。
■■■
ある者に関するお話。
『金色の書庫』としての名を持つ逢坂佳奈美は大きな秘密を幾つか持つ天才である。
学園生にしてBランク魔術師。
それだけでも凄いことである。
だけど、ある者は言う。
彼女は本当の力をまだ隠している、と。
圧倒的過ぎる力を持った彼女は周りに対等な者がいないため退屈な日々を送っていた。
来る日も来る日も、近づいて来る者は皆が皆逢坂を褒める。
誰も𠮟ってはくれないし、誰も対等な立場に居ようとすらしない。
家の格式と才能が彼女のステータス。
目に見える物が全てと思っている者たちは皆同じようにしか接してこない。
そうすることで逢坂家と仲良くしていこうと考えているからだ。
だけど、本当の逢坂佳奈美は目に見えない所にいて誰も見たことがなかった。
家族やメイドと言った近しい者たちでさえも。
『ありえない……姉より優れた妹がいるなんて!』
中学生になった頃から逢坂の才能は世間から才女として知られた姉を大きく上回る。
当然のことながら、多くの者から注目を浴びた。
少し前から自分に厳しく他者と積極的に関わらないことで有名でどこか孤立していた。
それを気に食わない者たちによる嫉妬や恨みを買い何度も嫌がらせ行為を受けたこともある。
『なによ? 自分が強いからっていい気になって』
殆ど話したこともない同級生にそんなことを言われた。
彼女たちは逢坂家との縁が欲しかった。
だけど周りと仲良くする気がない逢坂佳奈美にイラっとしたのだ。
魔術師としての名声も魔術師としての才能も全て持った者に嫉妬せずにはいられなかった。
『そう思うなら貴女が私より強くなればいいだけの話しでしょ? それとも何かしら? 貴女たちは誰かの力を借りないと生きていけない程弱い子たちなのかしら?』
怒りが籠った言葉は威嚇。
人は褒め言葉か罵声しか言わない。
そんな退屈な日々に転機が訪れるのだった。
『聞いたか? 隣の中学で去年まで落ちこぼれだった奴が向こうの中学で第一位の奴に魔術決闘で勝ったらしいぜ。それも圧勝だったって』
瞬間――逢坂佳奈美に雷が落ちた。
自分でも苦労するであろう相手に余裕で勝った者がいると知ったからだ。
そして桜花学園の学園見学で見た彼女の魔術師としての才は逢坂を凌駕していた。
いや、違う。
身体の中にある魔力回路は人並み以下。
なのに、先輩との交流戦で使っている魔術は全て洗練され美しい。
それは絶え間ない努力によって身に付いた物だとすぐに気づいた。
才能があるからこそ、才能だけでは到達できない境地。
そこに彼女は才能失くして既に立っていたのだ。
多くの者からバカにされ見下されていたEランク魔術師の姿を見た時、逢坂佳奈美は嬉しくなった。
同世代にこんな凄い魔術師がいるなんて、と。
世間の評価など全部あてにはならないんだって初めてそう思えた。
そこからは誰もいない場所で一人魔術の修行を必死に行った。
嫉妬する姉や姉妹の仲が悪く心配する両親のことなど全部無視して。
そして天才が努力した結果――逢坂佳奈美は手に入れた。
第五種魔術の根源と呼ばれる『平行線の干渉者』としての力を。
その力を極めた逢坂は昂る思いと共に桜花学園に入学した。
去年入学してすぐに全校生徒の頂点に立った現在の生徒会長ではなく今年入学するであろう魔術師の背中を追って。
逢坂佳奈美を追って入学してきた学園生の女子生徒たちの間ではこの話しはとても有名だった。
■■■
放課後になり北条が机の中にある教科書を鞄に詰め込んでいると、一通の連絡がスマートフォンに入る。
「んっ? 誰だろう?」
スカートのポケットからスマートフォンを取り出して内容を確認する。
『時間ある? もしあったら二年三組に来て欲しい』
『わかりました』
返事を送り、二年三組に寄る。
教室の扉を開いて挨拶をする北条。
「お疲れ様です」
そこには田中と鮎川の二人だけが居た。
「お疲れ~」
声に反応した田中と鮎川の視線が北条に向けられる。
元気のよい田中の声は緊張する北条の張り詰めた糸を緩めてくれる。
「それでお話ってなんですか?」
「とりあえず空いている席に座りなよ。話しはそれから」
「はい」
北条は田中と鮎川が座っている席の近くに座ることにした。
荷物を机に置いて腰を下ろす二人を見て鮎川が口を開く。
「アンタランキングが持つ影響力ってちゃんと理解している?」
その言葉は誰よりも理解している北条。
ランキングで魔術師の優劣が決まり、周りの対応が変わる。
かつて中学時代最下位付近を行ったり来たりしていた北条。
周りはそんな北条に対して罵声を浴びせたり嫌がらせをしたり時には集団無視をしてきたりと今でも思い出したくないレベルで嫌な記憶が沢山ある。
そんな中でも水上だけはいつも北条の味方でいてくれた。
だからこそ心を許せる存在にまでなった。
特に最下位付近ともなれば。
ランキングが一つ上がれば、嫉妬の声が一つ増える。
ランキングが一つ下がれば、罵られる。
そんな心身ともに悪い環境しか待っていない。
ランキングとは所属する学園内での自分の地位とも呼べる。
少なくとも北条はそう思っている。
力がない者は力がある者の顔色を伺わなければいけない。
対個人ではなく、対複数派閥にまで発展した虐めは被害者が学園に助けを求め報告する前に大抵消される運命を迎える。
かつて北条自身も中学時代消されかけた。
もう学校に自分の居場所がないとまで泣き叫んだ。
もう水上とも会えないと思いとても辛い気持ちになった。
そんな時、偶然にも織神と出会ったことで北条の運命は大きく変わった。
あの時、織神と出会っていなければ間違いなく、今此処に北条はいない。
「学園内での自分の地位? ですかね」
その言葉に頷く田中と少し遠くを見て話す鮎川。
まるで遠く懐かしい日々を思い出すようにして。
「私もそう思っていたわ。今のランキングを手に入れるまでね。でもそれは半分正解であって半分不正解」
その言葉は北条にとって意外な物だった。
「えっ?」
驚く北条を無視して鮎川が続ける。
「ランキングってのは影響力なのよ」
「影響力?」
「そう。例えばアンタなら個人ランキング一位。つまり一年生の中では一番影響力を持っている。だけどその影響力の大きさ故に間違いを犯した時は下位の者がそれを正せるように魔術決闘を通して実力で反論できるようになっているわ」
鮎川の真剣な表情から冗談で言っているのではないと理解できる。
地位ではなく影響力。
確かにそれでも辻褄は合う。
「学園ランキングってのはその学園内での個人の影響力を表している。そして派閥ランキングはその名の通り派閥間での影響力。学園内で分割されるランキングを総称した総合ランキング。これが全てを加味した時の影響力。つまり桜花学園内におけるその者の影響力が何番目に大きいのかがわかるってわけ」
今まで自分の地位だとしか思っていなかった北条。
そこに間違いはない、とまで思っていた。
「レグナントがわざわざ見届け人を送る理由はそこにあるわ。中学時代はレグナントみたいな組織はなかったでしょ?」
「たしかに……ありませんでした」
何処か懐かしむように遠くに向けられていた視線が北条に向けられる。
「いい? ここから今日私がアンタを呼んだ本題になるからよく聞きなさい」
「は、はい!」
緊張で声が少し裏返ってしまった北条。
だけど田中と鮎川から向けられる真剣な眼差しに北条の緊張が解けることはない。
「そろそろ時期的にレグナントが一年生のデータを取り終えると思う。そうなった時、一年生を含めた新ランキングに全員のランキングが更新される。その時、何が起きるかアンタわかっているのかしら?」
「いえ」
「そう。なら此処で言うわ」
思わず息を呑み込む水上。
「通称後輩潰し。アンタは今個人ランキング一位ってだけでもかなりの有名人。だけど麗奈はともかく私を派閥戦で倒した実績を反映した場合、少なくとも二年生三年生からも狙われるようになるわ」
「先輩たちが私を狙う?」
「そう。派閥戦ってのは個人や学園ランキングに比べて母数が少ないから結構一戦の影響を受けやすいの。派閥戦も個人や学園ランキングと同じく下位の派閥からの挑戦は受けないといけない」
どこか疲れたような表情で鮎川が続ける。
まるで過去を思い出して疲れたかのような。
「例年一年生が二年生や三年生より良いランキングに居る場合、出る杭は打たれるようにして連戦勝負を挑んで一年生潰しが起こる。私を倒した以上、結構な人数を最悪相手にしないといけないと思う……けど、それでもアンタは潰れない自信があるのか、それを聞きたかったの。此処にいる麗奈がもし不安なら力になりたいって朝から煩くてね」
「そりゃそうだよ! 可愛い真奈ちゃんのためだよ!」
ここでさっきまで静観していた田中が椅子から立ち上がって鮎川に何かを訴えるようにして身を乗り出す。
「……アンタ私をなんだと思っているわけ?」
「なにって? 頼りになる親友だけど?」
「だったら少しは私の心配もしなさいよ! ったく! これで私まで面倒な奴らに狙われたらどうするのよ?」
「その時は真奈ちゃんのために頑張ってもらう!」
ドスッ!
思わず目を瞑りたくなるような音が聞こえた。
田中がお腹を抑えて椅子から床に落ちた。
鮎川の拳がクリーンヒットしたためだ。
「私をコキ使うな! ったく! んでアンタの答えは?」
苦しむ田中の元に駆け寄ろうと席を立とうとした瞬間、刺さるような視線が向けられて動けなくなった北条とそれに気づいた田中。
「私は大丈夫だから、真奈ちゃん」
親指を見せて、大丈夫のサインを見せてくれる田中はダンゴ虫のように丸まっている。
「えっと……」
悩む北条。
そんな北条に鮎川が投げかける。
「心配なら力を貸す。そうじゃないなら貸さない。ただそれだけ」
「鮎川先輩……」
「私も心配なの。だから聞きたい、アンタの本心を」
棘がありそうでない言葉は鮎川なりの精一杯の優しさなのだろうか。
それとも本当に不器用なだけなのかはわからない。
でも北条にはわかる。
二人は本気で自分のことを心配してくれているのだと。
だから北条は自分の本心に素直になった。
「大丈夫です。例え誰が相手でも私は負けません」
織神に対する絶対的な信頼からきた言葉は力強く二人の心の中へ響く。
北条は演じる――最強を。
織神は証明する――最強を。
二人で一人の魔術師に敗北の二文字が合ってはならない。
あるのは勝利の二文字。
それが北条真奈という魔術師の在り方。
「いい答えね。なら私はこの後用事があるから二人で上手くしなさい。派閥以外は麗奈の担当だし」
手を振り教室を出ていく鮎川の背中を見送る。
二人だけになった教室で田中が復活し椅子に座り直す。
「いてて、相変わらず容赦がないことで」
「大丈夫ですか?」
「うん。昔からツンデレで恥ずかしがってすぐに手が出るからもう慣れたよ」
本当にそう思っているのか、笑顔で答える田中。
その言葉に怒りと言った感情は感じられない。
むしろどこか嬉しそうにも見えなくもない……。
つまりアレは田中に対する鮎川なりのスキンシップと言うべきなのだろうか。
人それぞれ方法は異なるとは言えお互いに問題がないのなら、周りがとやかく言う必要はないと考える北条は余計な詮索はしないことにした。
「それで鮎川先輩が最後に言っていた派閥以外はってのはどういう意味ですか?」
「あ~、それね。真奈ちゃんのためを思って言うよ。今からでも逢坂さんと仲良くなって彼女との戦いは避けて欲しいの」
「どういう意味ですか?」
「実は……」
急に言葉が詰まる田中。
沈黙が訪れる教室に窓から夕陽が差し込む。
二人しかいない教室の中を照らすオレンジ色の夕日が戸惑う田中の顔を照らす。
北条から見た田中は何かを言うか、言わないか、を悩んでいるように見えた。
田中の中で答えが出るのを静かに待つ北条は嫌な予感がした。
きっと自分にとって良くないことなのだろう。
だから田中が躊躇っている。
だけど北条はどんな試練が待っていようと最強を演じなければいけない。
それが織神との約束だから。
「私たちと同じ規模の派閥の幾つかが真奈ちゃん相手に魔術決闘を考えているみたいなの……」
「それだとさっきのお話の続きってことで合っていますよね?」
「うん。問題はその前にあるの」
北条にはその言葉の意味がわからない。
田中も説明不足を感じているのか、北条の表情から感情を読みとりながら状況を説明していく。
「どうも一部の派閥は自分たちが持つランキングが下がるのが気に食わないみたいでね。もし順位に変動が起きた場合は下位ランキングの特権を利用した魔術決闘の申し込むつもりみたい」
田中は言った。
私たちと同じ規模の派閥だと。
ならば北条にとってはなにも問題がない。
すでに鮎川派閥に対して余裕の勝利を掴み取った北条派閥。
言い方を変えれば水上を護りながらでも北条は先輩派閥相手にも勝てることが証明されたわけだ。
何も慌てる事はない。
むしろ、田中がそこまで心配をする必要すらない。
「噂で今『金色の書庫』からも狙われているって聞いたの。問題はここで『金色の書庫』つまりは個人ランキング二位と戦い勝っても負けても疲弊した所で派閥戦を利用した集団戦で叩こうとするズルい派閥が幾つかあるってことなんだよね」
なるほど、と北条は田中の言いたいことを理解した。
魔術は魔力を媒体にして発動する。
その魔力は有限であり無限ではない。
そうなれば連戦になればなるほど北条にとって分が悪いと言える。
幾ら織神が戦闘を行ったとしても逢坂は簡単に勝てるような相手ではないだろうし、そこで魔力を沢山使えば後は考えなくても誰だってわかる。
疲弊による敗北しか待っていないと。
「その派閥の数ってわかります?」
「ごめん」
田中は首を横に振って謝る。
敵の戦力や数が未知数となれば少し考えなければいけない。
「わかるのは鮎川のように二年生の派閥リーダーが三人既に先輩(三年生)たちに誘われて承諾していること。昨日の夜鮎川もそこに誘われて気づいたの。鮎川は考える暇もなく断っていたけどね。多分本気だよ、主犯はね」
力を持ち目立ったために、早くも先輩たちに本気で狙われ始めた北条。
だが――。
心が妙に落ち着いていた。
不思議と不安はない。
だって魔術師の世界ではそれが当たり前。
だから名家に生まれただけで実力以上の評価を世間から貰えることだってある。
この世は不平等に満ちあふれているから。
そんな理不尽しかない魔術師の世界でこの程度のピンチ乗り越えられなくてどうしたものか。
臆病者は臆病だから知っている。
恐いのだと。
私たちを狙っている者が私たちを恐れているのだと。
だから今のうちに狙うのだと。
嫉妬や憎悪と言った感情の裏に隠れた感情こそが恐怖。
弱者であり強者の北条はため息を一つ。
やれやれ、と。
ただ勝ってもこの問題は解決しない。
その事実に頭が痛くなった。
「例年とさっき鮎川先輩は言われました。毎年新入生が率いるそう言った派閥はどうやって苦難を乗り越えたのかご存知ですか?」
北条の質問に対して思い出しながら田中が答える。
そのため、言葉の歯切れが少し悪く聞きにくい。
「えっと……去年は病院送りになったよ、無謀な挑戦者全員ね」
もしかしたら思い出したくなかったのかもしれない。
苦笑いの田中に北条も苦笑いしか出なかった。
「あはは……結構血の気が多い方なのですね」
「あれは戦闘狂だから。それで二年前は力を持った派閥の先輩たちに協力してもらってバックに付いて貰うことで未然に防いだって聞いたかな」
とても合理的だった。
敵が如何に巨大でもそれと同等かもしくはそれ以上の派閥と協力関係になるなどして護って貰えば血を流すことなく解決することができる。
後は時を見て嫌なら協力関係を解消すればいいのだから。
「数年前とかは恨みは勝っていたみたいだけど何事もなく乗り切ったこともあるって聞いたこともあるよ」
「具体的には?」
「一年生だけで結成された派閥だったみたい。でも構成メンバーがかなり特殊だったの」
「特殊ですか?」
「うん。個人ランキング一位から十五位で構成されたんだよ。間違いなく当時の一年生最強派閥。当時の先輩たちも手を出せば見返り以上に痛手を負うと判断して何もできなかったのだと、そんな感じでちらっと聞いたことがあるかな」
通常力がある者は地位と名誉のため独立し自分の派閥を持つことが多い。
有力な派閥のリーダーをしていた、と言う事実が内申点に大きくプラス作用をもたらすからだ。
だから田中の言うように個人ランキング一位から十五位が手を組むことは非常に珍しいケースだと言える。
でもわかったこともある。
このような局面は度々起こり、そのたびに当時の魔術師は各々のやり方で試練を乗り越えてきたのだと。
「私も詳しくは知らないけど家柄の関係者が偶然そのランキングに居たから出来たらしいけどね。普通ならそんなこと絶対にありえないと思うよ」
「ですよね~」
北条は「あはは~」と笑うしかできなかった。
結局のところ、生まれ持った環境があってこそできた手法だったと知ったから。
やはり生まれ持った物の差はかなり大きいと言える。
例えば北条が今から同じことをしようとしても北条程度のリーダーシップでは不可能と言えるだろう。
それは試す前から北条自身が一番わかっている。
「そんな感じだけど本当に私たちの力なくて大丈夫?」
まるで実の姉が妹を心配する仕草で顔を覗き込む田中。
きっと田中の中で北条は可愛くて放って置けない妹キャラなのだろう。
人が誰かを心配する時はその人のことを大事に思っていることが多い。
それを実体験で知っている北条は田中の目を見る。
するとニコッと微笑んでくれる田中の顔があった。
思わず条件反射でニコッと微笑む北条は言う。
「色々教えてくれて、それに心配までしてくれてありがとうございます。とりあえずちょっと考える時間を下さい。それで困った時はまた力を貸して貰えませんか?」
「勿論! その時は喜んで力になるよ!」
「ありがとうございます。ではすみません。あーちゃんを待たせているのでこれで失礼します」
席を立ち上がり、深々と頭を下げる。
そのまま鞄を手に取り教室を出て、水上の待つ場所へと駆け足で向かう北条。
そんな北条の小さな背中を教室の窓から見送る田中が一人呟く。
「歴史を振り返ると後輩潰しの七割は成功している。私が話したのは三割程度しかない成功者の例の一部だけ。どっちに転ぶかは真奈ちゃん次第だよ」
一人きりになったことで、とても静かな教室で田中は願った。
北条がこんな所で潰れないことを。
■■■
翌日。
遠くの空から太陽の陽が伸びて学園生を照らす。
照らされた桜花学園の正門前で一人の少女が立っていた。
遠目で見た少女は誰かを待っているようにその場から動かない。
金色の長い髪が風に揺れる度に微かに香るシャンプーの匂いが風に運ばれてやって来る。
「あれ? この匂いあーちゃんと同じ?」
いつも甘える時にクンクンと嗅いでいr……漂ってくる匂いにとても酷似していた。
偶然同じシャンプーを使っているのだろうか。
そんなわけで不意に鼻孔を刺激された北条は朝から北条に甘えたくなってしまった。
「今日はお泊り誘ってみようかな」
昨日は徹夜で今後どうするかを考えていてあまり寝ていない。
そんなわけで人肌もいつも以上に恋しかったりもする。
「はぁ~」
ため息を吐きながら正門を抜けて校舎へと向かおうとした時だった。
声を掛けられた。
「待って!」
「……はい?」
足を止めて声がした方向に振り向くと、そこには逢坂が居た。
昨日の今日ということもあってか通学してきた学園生たちが足を止めて北条と逢坂を見る。彼ら彼女らはきっと魔術決闘が起きるのではないか? と期待しているのであろう。
北条は挑まれたら断ることができない。
なので、なるようになるさの精神で逢坂の言葉を待つ。
「噂……聞いた」
「なんの噂?」
「先輩たちから狙われるかもって噂」
その言葉は敵意ではなく心配の言葉だった。
北条はそれに気付いていながら気付いていない振りをする。
「うん。でも私は誰が相手でも負けないよ」
満面の笑みでそう答える北条に逢坂が驚く。
「それ本気? 相手は先輩よ?」
予想外の言葉だったのだろうか逢坂が驚く。
「うん」
「連戦になっても勝てる自信あるの?」
「あるよ?」
「…………」
何かを考える逢坂。
腕を組んでもない胸は大きくならない。
結構小さそうだから甘えても硬そうだな~、と今も鼻孔を刺激する香りですぐにでも誰かに甘えたくたまらない北条はそんなことを考えてみた。
寂しい……そんな気持ちが心の奥底で大きくなる。
なので、早く教室に行って水上の元に行きたい北条。
だけど逢坂を無視して行くわけにいかないので、向こうが考え終わるのを静かに待つ。
「………」
「………」
「…………決めた」
「なにを決めたの?」
北条の口調は穏和。
彼女がどう思っているかは知らないが北条に特別な敵意はないからだ。
「北条さんの本気をこの目で見たい。そして確かめたい」
「なにを確かめたいの?」
「北条さんが本当に最強なのかを」
ピクッ。
身体に電流が流れる。
これは逢坂からの挑戦状だと身体が肌で感じたからだ。
北条の目付きが真剣な物になる。
話半分で聞き流せるような話ではないからだ。
「それはいいけど。どうやって見せたらいい?」
北条はわかっている質問を投げかける。
これは北条から逢坂に送る挑戦状。
即ち敵対意識があるのなら相手になる、と言う圧力(プレッシャー)である。
それを感じて臆する所か何処か安心したようにない胸をほっとなで下ろす逢坂が居る。
「明日の放課後に私と魔術決闘をして欲しい。いや違う、申し込む!」
力強い言葉はざわざわとしていた正門前の空間に木霊するように響く。
一年生最強が北条とするなら一年生最強の挑戦者が逢坂。
周りから見たらそんな二人が早くも一位の座を掛けて勝負すると言うのはあまりにも大きな話。
二人の間に流れる空気がピリピリと熱を帯びたように熱く重い物へと変わっていく。
「遠慮はしない。私は私の全力を持って北条さん貴女を倒す。そこで証明して欲しい」
突然の宣戦布告。
冗談などではない言葉。
北条はゆっくりと息を吸い込んで吐き出す。
心を落ち着かせて最強を演じる。
ボロを出すわけにはいかない。
自分自身にそう言い聞かせて、言葉を紡ぐ。
「わかった。その魔術決闘(デュエル)受けるよ」
愛想のある笑みとは別に鋭い刃のような言葉。
最強を装備した北条の言葉はとても重くとても鋭い。
傍から見れば自信に満ちあふれているように見えるだろう。
憂いや躊躇いなどと言った物は一切含まれず、ただ真っ直ぐに向けられた視線が北条を必要以上に強く見せる。
そして最強は警告する。
「どんな試練が待っていようと私に『敗北』の二文字はないよ」
ハッキリと逢坂の耳に聞こえる声で言った。
すると逢坂は嬉しそうに微笑むのであった。
普通なら自分より強いはずの魔術師からそう言われればイラっとするか、目に見えない圧力(プレッシャー)に押し負けて弱腰になる魔術師が多いのだが、逢坂の反応はどちらにも当てはまらない。
もしかしたら田中のように好奇心旺盛なタイプなのだろうか。
しかし、その場合疑問が残る。
「先日私に殺気を迎えた理由一応聞いておこうか逢坂さん?」
織神から昨日聞いた事実確認をしておく。
逢坂は「あぁ」と小さく頷く。
どうやら隠すつもりはないらしい。
殺気を見せた相手に堂々と勝負を挑む。
それは考えにくい。
もしかしたら逢坂も既に昨日田中や鮎川が言っていた後輩潰しに加担しているのかもしれない。
だから念のため警戒しておくことにする。
だけど逢坂は北条の考えとは違う言葉を口にする。
「魔術決闘を挑むつもりで殺気を飛ばし、可能性のある世界(if世界)を見るために飛ばしたって言えば理解できる?」
『つまり平行世界ちゅうのが可能性のある世界だとするなら、答えは単純で彼女が真奈にどの程度の殺気を見せた場合どうなるかを別世界で見るための手段やったってことやな。辻褄は合っとるし違和感はないな』
織神の声に耳を傾けて、納得する北条。
裏を返せば逢坂は既に平行世界で北条と何度も対戦しているとも取れる。
第五種魔術の長所とも呼べるソレを日頃から使っているのだとすると、北条に魔術決闘を挑んだのは単なる好奇心などではなく、勝てる自信ができたからこのタイミングで挑んできたのだとも取れる。
勝負の駆け引きは既に始まっていて、北条はそれに気づくのが遅れたのだとすると逢坂は油断ならない魔術師であると認識する必要がある。
「それで私に勝てた?」
ビビるのではなく、出遅れた駆け引きに乗る北条は強気。
相手が自分の予想の範疇を超えることはよくある話。
その時は落ち着いて今からできることをすれば良い。
そうすれば今よりかは状況が良くなると言うのが北条の持論である。
逢坂がやや押されながらも返答する。
「それは明日の楽しみにとっておくことにするわ」
「そっかぁ」
十六才の愛くるしい容姿とは対照的に中身は仏像のように堂々としている。
それが逢坂から見た北条の姿だった。
「――逢坂さん」
「なんですか?」
「明日雨が降るといいね。ならまた明日」
手を振って背中を見せ、待ち人に会いに行く北条に「えっ?」と声を漏らす逢坂。
急に天気の話を持ち出されたので反応に困ってしまったのだ。
明日は降水確率も高く午後の天気予報は雨となっている。
「ばれた?」
校舎の正面玄関を抜け、見えなくなっていく北条の背中を見送ることしかできなかった逢坂。
対して下駄箱で靴を履き替えた北条は一人呟く。
「やっぱり魔力感知バレてたね?」
『そうやな』
そのまま軽い足取りで教室へと向かうのであった。
教室に入ると水上と早速目が合う北条の顔から笑みが零れ落ちる。
朝から欲しくて欲しくてたまらない水上の愛情をようやく貰えると心が喜んだからだ。
ゴクリ。
息を飲み込んだのは別にえっちぃことを考えてなどではない。
「おはよう! あ~ちゃん」
「おはよう、真奈ちゃん」
手を振って挨拶をして自分の机の上に鞄を置き、横向きに座って北条を出迎えてくれる
水上の胸に頭からダイブ。
ボフンっ!!!
そんな擬音が似合いそうな光景が教室で起きた。
「うぅ~ん、柔らかくて最高。それに良い匂い~♪」
頭をぐりぐりと擦りつける北条に怒るわけでもなく甘えることを許す水上はよしよしと頭を撫でて好意を受け入れる。
「顔疲れているように見えるけどなにかあった?」
教室に北条が入ってきた瞬間にソレに気づいた水上は心配する。
僅かな変化にも気づくぐらいに普段から北条を見ている証拠だ。
だから弱っている時は人目を気にしろとはあまり言わないようにしている水上。
過去に自殺を考えるまで追い込まれた少女があまりにも可哀想で可愛いからだ。
どさくさに紛れて北条の手が水上の大きな果実をモミモミと堪能するのだが、これは北条にとって最高の癒しとなっているらしい。
なので、今日は何も言わない。
幸い男子生徒はいない。
いるのは女子生徒だけ。
同性だけなら、と水上の恥じらいラインがいつもより甘いのもあったりする。
「昨日遅くまで考えごとして、あまり寝てないの……」
「なにを考えていたの?」
「今後のこと」
何処か疲れ切った声。
これが今の北条。
パッと見はいつも通りだが、何処か声に元気を感じられない。
水上はますます北条のことが心配になった。
一人で抱え込んで解決しようとしている。
個人ランキング一位の重みは個人ランキング三百六十位の水上では想像も出来ない程の重みと圧(プレッシャー)を感じる物なのだろう。
昨日下校時に聞いた『後輩潰し』。
きっとそれについて真剣に一人悩んだのだと想像が付く。
本当は誰よりも弱くて甘えん坊な北条。
それが本当の姿。
そんな北条を見てしんみりと嬉しい気持ちになる水上。
こんな自分でも北条の力になれると思ったからだ。
なにより水上はどんな北条も好きだ。
強くて恰好いい魔術師としての北条もなにかに頑張る北条も甘えん坊の北条も……どんな北条も愛おしく感じてしまう。
水上はどんな北条も呼吸と一緒に受け入れる。
「それで答えは出た?」
ゆっくりと優しい口調で聞いてみる。
まるでお母さんが小さい子に何かを訪ねるように。
親しい相手に対する無償の母性愛、それが水上の長所。
「うん、ある程度はね」
一方甘える北条は珍しく弱気な声で答える。
どうしても確証がないのでそれで合っているのか間違っているのかそれがわからない。
そんなわけで北条はまだ心の中で一人悩んでいた。
織神とも相談はした。
だけど北条の中での答えはまだ出ないまま。
北条はまだ探している。
自分が動く原動力となる物を。
一言で言えば北条は甘いのだ。
それは特定の誰かに対してではなく基本的に全ての人に対して。
自分が先輩の挑戦者を倒した場合、その先輩たちの未来がどうなるかを心配していた。
すると答えは必然で、最強を演じる為に勝たなければいけない自分と先輩たちの未来のために負けた方がいい自分がコインの表と裏のように表裏一体で生まれた。結果答えは出ないまま朝日が昇り、今に至るのであった。
幾ら心を許しているとは言え、水上に相談できて織神にできないこと、織神に相談できて水上にはできないことだってある。
「一人で答えは出せそう?」
相談に乗るのではなく、北条自身にどうして欲しいのかを問う水上の配慮が今の北条に取ってはとても嬉しかったりする。
心を締め付けない温もりと言えばいいのだろうか。
とにかく居心地がとても良いのだ。
窮屈さを感じさせない質問に北条は水上の胸に埋めた顔を動かして頷く。
これは北条自身の問題であって第三者の問題ではない。
納得のいく答えを自分で見つける以外に活路は有り得ない。
その思い込みが無意識に北条を苦しめていることを北条自身が気づかない。
だが黙って見届ける織神と寄り添う水上だけはそのことにすぐに気付くのだった。
北条の心情から自分だけでなく他者のことも考えて苦しんでいる、それは二人から見れば筒抜けのようにわかる問題でもあった。
そして二人は言わない。
それが修羅の道であり、茨の道でもあることを。
なぜなら――信じているから。
彼女ならできるかもしれないと。
「…………」
心が疲弊し脳も疲弊した状態では良い答えは出ないだろうと考えた水上はぽんぽんと北条の背中を優しく叩いて、自分の心臓の音を聞かせてあげる。
朝のHRの時間まで後十分と少し。
長いようで短い時間。
周囲の目はあまり気にしない。
どうやら周囲から聞こえてくる声から判断するにイチャイチャしていると思われているらしい。
それならそれで好都合と考える水上。
落ち着いた心臓の鼓動が疲弊し乱れた北条のリズムを正常な状態に戻していく。
歯車が狂い秒針がズレた時計の時刻が修正されていくかのようにゆっくりと。
「…………」
ここで水上が異変に気づく。
途中からやけに大人しいと思っていた北条の様子が可笑しい。
「…………」
急に動かなくなったと思いきやなにか聞こえる。
一瞬独り言かなにかと思った水上だったが耳をすませば聞こえてくる声。
「……むにゃむにゃ、zzz」
つい良い意味で呆れてしまう水上。
人の制服に涎を垂らして気持ち良さそうな顔で目を閉じた北条は寝ていた。
どうやら落ち着いたらしい。
それなら良かったと一安心した水上は大きな子供を抱え上げてはそのまま抱っこして時間の許す限り寝かせてあげた。
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