恋心が咲く頃に

迷迭香

大きくなるまで

この世界には恐ろしい死神がいる。その名は樹灰病じゅかいびょう

感染者の肉体を蝕み、少しずつ樹へと変質させる不治の病。

この世界は、もうずっと、それこそ何百年も前からこの死神の脅威に曝され続けている。

かつてこの世界には文明が存在し、街は人や物で大いに栄えていたが、今や見る影もなく、残骸が各地に残っているのみだ。

かといって人が滅びたのかと言われればそうではない。こんな世界を生きようと足掻いている人間は多くいる。

俺もその中の1人だ。荒れ果てた世界を歩き回り、そこに生きる人々と出会い別れを繰り返す。そんな当てもない旅を続けて百年ほど経っただろうか。

そんなある日、俺は旅の途中で倒れている1人の女の子を見つけた。

駆け寄り、抱き上げるとまだ息はあるようだった。ひとまず足を止めて彼女の治療を優先しよう。

幸い、近くに廃屋があった。そこを借りて彼女の目覚めを待とう。


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それから数日、ようやく少女が目を覚ました。


「・・・・・・あなたは?」


目を覚ました彼女の第一声はそれだった。まぁいつのまにか知らない場所で見知らぬ男に介抱されていたとあれば当然の疑問か。


「やぁ、おはよう。俺は・・・・・・フィガース。呼び方は好きにしてくれ」


そして俺は彼女に事の経緯を伝える。驚いていたが、理解はしてもらえた。

彼女はイノセンテと言うらしい、見たところ年齢はおおよそ10歳ほどだろうか、綺麗だったであろう金色の長い髪は土か何かで汚れていた。

そしてこれは介抱している最中に気づいた事だが、彼女は感染者だった。その症状は初期のものではなく、既に発症からそれなりの時間が経っているであろうことが窺える。


「さて、一先ず伝えるべきことはこれくらいだ。君は少し休んでいるといい。今水浴びの準備をするから」


イノセンテは言われた通り大人しく待っていてくれた。俺は近くの川から水を汲み上げお湯を沸かし、彼女が入浴している間に彼女の食事を用意する。

しかし食事といっても、病み上がりだろうことを考え、軽く果物を小さく切っておくにとどめる。

そして一通り準備ができた頃、彼女が戻ってきた。綺麗に洗われた髪は鮮やかな金色を取り戻しており、彼女の可愛らしさを引き立たせている。 


「今戻りました・・・・・・フィガースさん、これは?」

「おかえり。お腹が空いているかと思って簡単なものを用意したんだ。いるかい?」


そこで空腹を思い出したようで、彼女の胃が「ぐぅ〜」と代わりに返事をしてきた。


「よかった、大丈夫そうだったら次はもっとお腹に溜まるものを用意するよ」


彼女は少し恥ずかしそうにしながら小さく礼を言って切っておいた果物を口に運ぶ。

さて、話をするならそろそろだろうか。


「さて、それじゃあ君のことを聞かせてくれ、なんであんな所に1人で倒れていたんだい? ああ、もちろん言いたくないことであれば無理には聞かないよ」

「その・・・・・・私も何があったかわからないんですけど、ある日薬草を取りに森に行っていたんです。そしたら村の方角からすごい音がして、戻ったら村やみんなが・・・・・・」


そこで彼女は俯いて言葉を濁してしまう。察するに彼女の村は何かしらの理由で壊滅、そして行く当てもなく彷徨っていた。といったところか。そして俺はその原因に心当たりがあった。伝えることはできないが。


「なるほど、辛いことを聞いてしまったね。すまなかった。ここは安全だから、怖がらなくて大丈夫だよ」


そのまましばらく彼女を宥め、落ち着きを取り戻した頃に話を進める。


「さて、事情はわかった。でも君はこれからどうするんだい?」

「・・・・・・正直どうしたらいいのかわからないです。帰る家も無くしてこれからどうすればいいんでしょうね」


帰る家を無くした、か。彼女の年でこの事実は相当堪えているのはまず間違いない。それに俺にも似たような経験はある、その心の痛みは十分に理解できるものだった。

だからだろうか、言うつもりもなかったことを言ってしまったのは。


「なら、俺と一緒に来るかい? 君さえ良ければだけど」

「・・・・・・! はい!」


俺はこの時の彼女の表情を、先ほどまで燻んで見えたその瞳が、鮮やかな緋色の輝きを取り戻した瞬間を今でも覚えている。

思わず口走っていた言葉に当時は内心自分でも驚いたが、改めて振り返って今では「よく言った!」と自分自身を称賛してやりたいくらいだ。

それもそうだろう、彼女の存在が俺に与えてくれた影響は計り知れないものだったのだ。


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そんな出会いから始まった俺たちの旅は、順調なこともあればそうでないことも多くあった。

ある国では貴族の対立に巻き込まれたり、またある国では独裁者が断罪される革命の瞬間を目の当たりにしたり、歩き続けた先で廃れ切った無人の街に辿り着いたこともあった。

そうして1年以上が過ぎただろうか、俺は彼女と共に世界の様々な在り方を見てきた。

正直に言えば彼女との旅は俺の本来の目的には無関係なものになってしまっているが、それもまたいいのではないかと思える。時間なんていくらでもあるのだ。イノセンテが生きている間だけ、この楽しい旅を堪能しても誰にも文句は言われないだろう。

彼女は日々いろんな表情を見せてくれた、喜び、悲しみ、怒り、どんどん表情豊かになっていくイノセンテを見守るのが細やかな楽しみになっていたのかもしれない。

それに彼女が作ってくれる食事はとても美味しい、ただ目的のために彷徨い続けるだけだった前までと違い、この旅はとても色鮮やかなものだと思える。彼女と話している間は辛い過去も、果たすべき目的も忘れてただ束の間の安らぎを感受できた。

思えば、俺が彼女を意識するには十分すぎる理由だったのかもしれない。しかし相手はまだ幼い少女だ、それに本来の目的を果たす時のことを考え俺はこの感情から目を背けた。


これを恋心と認めてしまえば、もう後戻りできなくなる気がした。


————————————————————


「ねぇ、フィーガス。ずっと聞きたかったんだけどいい?」

「うん? なんだい?」


そしてある晩、森で野営をしている時に不意に声をかけられる。

この一年ちょっとの旅で、彼女もかなり心を開いてくれていた。よそよそしかった言葉遣いが砕けて、親しいものへのそれになる程度には。


「フィーガスってなんで旅してるの?」


ついに来た、ずっと返答をどうするべきか決めあぐねていた質問。正直に伝えるのは躊躇われるが、かといって「目的はない」だなどと言う下手な誤魔化しは彼女には通用しない。ここは腹を括るしかないか。


「・・・・・・少し突拍子もない話になるが、聞いてくれるかい?」


突然雰囲気を変えたことで少しびっくりしていたが、すぐに真剣な顔をしてうなづいてくれる。本当に良い子だ。


「俺は人を探してるんだ、もう百年以上ね」

「え? 百年・・・・・・?」

「あぁ、信じられないかもしれないけど本当だよ。俺は君のように真っ当に生まれた人間じゃあないからね」


突然の暴露に理解が追いついていなさそうだったので補足する。


「俺はずっと昔、今は滅びた国の馬鹿な科学者たちが作った戦術生命体なんだ。そのせいで俺は寿命が通常の人間よりずっと長いんだ」

「え? せんじゅつせいめい? え?」


余計混乱させてしまったらしい、この辺は相変わらず説明下手を自覚する。こんな言い方では10歳ちょっとの子を相手に伝わるはずもなかった。


「まぁ俺は君たちよりずっと長く生きられるってことを覚えてくれていれば良いよ」


そう言うとようやくイメージができたようだ。子供だからこそ素直に受け入れられてるところもあるだろう。

できる限り彼女が理解しやすいように噛み砕いて伝えなければ。


「それで俺は百年前に離れ離れになった友達をずっと探してるんだ。これが俺の旅の目的だよ」

「百年間ずっと友達を・・・・・・すごく大変なんだね」

「まぁそうだね、でも今は君がいてくれるおかげで辛くはないよ。むしろ楽しいくらいだ」

「・・・・・・そっか、うん。そっかぁえへへ」


最後の方は何を言ってるか聞こえなかったが、イノセンテは少し嬉しそうに表情を緩ませていた。

こういう表情を見ると胸を締め付けられる感覚があるが気づかないふりをする。

そして、気づかないふりをしていたのはそれだけではなかった。

彼女を蝕む樹灰病、その侵食がこの一年で明らかに進んでいること。それもまた俺が密かに目を背けていることだった。


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それから約半年後、ついにそれに目を向ける日が来てしまった。


「ねぇ、フィーガス。もう、いいよ?」

「・・・・・・なんのことかな」

「知ってるよ、あなたが私に気を遣って病気のこと言わないでくれてたこと」


そんな上等な理由じゃない、俺はただ嫌なことから逃げていただけだ。


「・・・・・・もう服じゃ隠しきれないほど進んでしまったね」


彼女の左腕、手首の辺りまで侵食が進み、彼女の綺麗な肌を痛々しく樹皮化させてしまっていた。

それを見て苦しくなる。きっと彼女は後数年しか生きられない。いや、この先侵食が進み続ければ数年も生きていられるかどうかと言うところだろう。


「ごめんね、無駄に年だけ取ってるのに何もしてあげられなくて」

「ううん、いいんだよ。あの日倒れて死んでいたはずの私を助けてずっと一緒にいてくれてる。それだけでも私にとっては嬉しいんだ!」


そう言って彼女は怖いはずだろうに気丈に振る舞い、明るく笑いかけてくれる。11歳ほどの女の子にそんな顔をさせてしまう自分が情けない。

俺が彼女のためにしてやれることは、ずっと一緒にいることと——


「え? ・・・・・・えっ!?!?」


無理して笑う彼女を優しく抱きしめてやることくらいだった。


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さらに1年後——

それからも俺たちの旅は続いた。それは何よりも彼女の希望だった。

俺たちはこの世界で強く生きる人々の姿を見てきた、かつてそこに生きた人々の足跡を見てきた、争い、差別、貧困の差、他にも人間の有り様をいくつも見てきた。


決して綺麗なものばかりではなかったがイノセンテとの2人旅はやはりとても楽しいものだった、例え緩やかに迫る死神が彼女の首に鎌をかけているとしても。

しかし残された時間も奪われることになる。

それは森の中で起こった。


「こんなところにいたか」


聞こえるはずのない懐かしい声が聞こえた瞬間、俺はイノセンテを抱き寄せてその場から全力で飛び退く。

次の瞬間、先ほどまでいた場所に光が落ちる。

その下手人は——


「お前か、アグニム」

「おうよ、久しぶりだなぁ? 裏切り者さんよぉ」


奇しくも探していた旧友の1人だった。

本来だったら喜ぶべき再会も今に限っては手放しに喜べない。なにせ腕の中には未だ理解できず目を白黒させているイノセンテがいる。

彼女を巻き込みたくはない。

俺は戦闘を最小限に留め、全力で撤退することを即断。すぐに反撃の一手に出る。


『——我は過去を追う者。我は未来から逃れ出る者。あぁ友よ、我は汝を追い求めん。故に我は汝から逃れ出よう』

「あぁ? 詠唱だぁ?」


口早に詠唱を済ませ、宣言する。“解放”を使うのは何十年ぶりだろうか。


解放エレフェロ——指し示す彼方への道ディスノペラドロモス!!』

「ちぃっ! めんどくせぇ!『招来プロスキ——相反する海炎盾アニファティマファラガフロゥアスティーガ!!』」


そしてアーツを解き放つ。それは白い極光となり、辺り一帯を包む。アグニムもアーツを使ったようだが、詠唱を省いただけでなく、“解放”よりもランクの低い”招来“ではこの一撃を防ぎ切ることはできない。


「くそっがぁ!! 小賢しい真似をっ!」


そしてアグニムは白い光の本流に呑まれて消えていった。しかしそれは殺せたことと同義ではない。ただ遠くに吹き飛ばしただけに過ぎない。だがこれで少なくともしばらくは安全だろう。

俺は慌てて腕の中のイノセンテを見やる。

彼女は何が起こったのかわからない様子で、少し息苦しそうにしていた。

無理もないだろう、先ほど俺たちが使ったアーツは元は樹灰病のウイルスを利用して放たれるものだ。

そのエネルギーの衝突を至近距離で受けたのだ、彼女に影響が出るのも当然と言えた。


「すまない、緊急事態とはいえ配慮が足りなかった。大丈夫か、辛いところはないか?」

「・・・・・・ううん、大丈夫。助けてくれたことだけはわかったから。ちょっと息苦しいけど我慢できるよ」


すぐに俺は彼女を休ませるべくすぐに仮拠点を設営。初めて出会った頃のようにつきっきりで看病した。

ひとまず容体は安定してきたが、この一件で彼女の余命はより少なくなってしまっただろう。果たして後どのくらい生きていられるか。


「ねぇ、フィーガス。伝えたいことがあるの、聞いてくれる?」

「なんだい?」

「私ね、あなたが好き。大好き」


嬉しい、嬉しいはずなのにどうにも悲しい。今だけは照れ臭さすらどうでも良くなってしまう。


「・・・・・・どうしたんだい、いきなり」


聞くまでもない。彼女もわかっているのだ、自分に時間が残されていないことを。

ついに両腕だけでなく首から頬にかけても侵食が始まってしまった肌を見て心が痛む。


「言えるうちに言っておかないといけないから。ねぇ、あなたはどうなの? 私のこと好き?」

「そりゃ一緒に旅をしてきた大事な仲間だ、当然だ」


嘘だ。この期に及んで恋心を認められない故の拙い嘘だ。


「むぅ、そういう意味じゃないんだけど・・・・・・わかってるくせに。じゃあ言い方を変えようか」


そう言って起き上がったイノセンテは動かしにくいはずの腕を伸ばし、その手で俺の頬に優しく触れて言った。


「大きくなるまで生きていたら、お嫁さんにしてくれますか?」

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