夢現を彷徨う

 たぶん死ぬ時は独りだ。最近、予感が確信に近付きつつある。

 近年、人前で泣いた覚えがあんまりない。泣くならせめて独り、シャワーを浴びている間ぐらい。ずっと不貞を働ける人間の精神性に興味を持っていたが、そもそもずっと添い遂げるだけの普通の忍耐すら持ち合わせていないことに先日気が付いた。土俵に立っていないというか、そもそも愛の真似事は出来ても本質までは理解し得ないらしい。で、相も変わらずlikeとloveの差異に頭を抱えている。辞書で見た事があっても、使いこなせないことには覚えたと到底言えはしない。

 秘密は色々な人間の脳裏にぱらぱらと散らしていて、しかし全て集めたとてそれは不完全である。長いこと自分をロールプレイしてきて、尚も自分のことを切れっ端程度も理解していない。もしくは、しようとしていない。故に、誰も私を知らない。或いは、全て知られていて、それでいて優しさから知らんふりをしてくれているのかもしれない。正直どちらでもいい。人間、所詮、見えているものが全てである。

 ……思考の羅列を終える。で、二度目の振り出しに立ったことなので、人生設計を雑把に書き出していた模造紙を部屋の真ん中に広げてみる。叶わなさそうな夢を僅かに五秒で三つ見つけて笑った。一時間かけて一頻り眺め終わったあと、丁寧に巻き取って元の場所へ返した。その後、B5のルーズリーフを取り出して、また思索に耽る。幸せとは何か? 何をすれば、何へと至れば私は幸せか? 当然、手狭な机上にて書き出した空論では本質を捉えるべくもなく。認知するよりも前に視界は夢想から現実へと一気に引き戻されるのである。

 ……ただまあ、漠然と、愛されて生きていたい。根底はたぶんそこである。拒絶のトラウマから来る恐れではなく、純真にそうされていた人生である故の願望だろう。しかしながらそれでは説明の付かぬ行動もある。人間は矛盾を孕んでいる生き物だからそうだと言えば、まあそこまでの話で終わってしまうのだが、敢えて強引に結論を出すのなら、私は他人との係わりあいを浅く広く持つのが理想なのかもしれない。例えば、他人に問わない代わりに多くは語らない。他人を責めない代わりに寛容を求める。誰かが己の重石になるのを嫌い、己が誰かの重石になるのを厭う。そう考えると、列挙した行動から少しばかり己の輪郭も見えてくるのかもしれない。結局、未だ思案の域を超えぬ戯言であるが。ヒトの灰色の脳細胞というのが持ち合わせているヒトにすらも理解に届かない領域であるのと同様に、私の思考は私にすらも理解の及ばぬ部分を多々残している。時にそれを本能と呼ぶ。本能を理屈に押し込めても、それはあくまで後出しの屁理屈にしかならないので、その結論に至った時点で思考をやめにした。つまり諦めた。

 ……悪辣に生きれば楽なものを、周囲の目を棄てられぬから苦しんでいる。一口に自分をそう断じれば愚者だが、所感ではあるものの大抵の人間はそうであろう。とにかく今は何も考えたくない。今はというか、今後も一切深く考えず生きたいものである。が、そう問屋の卸してくれないのが人生というやつである。しかし案外なんとでもしてくれるのが人生だとも思い知らされた私は、向こう三ヶ月程何も考えず惰性で進む所存である。以後の反論は音の鳴る耳栓のせいで聴こえないことにしておこう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る