けっきょくなんもしらん

 例えば殺人のメカニズムを追う。すると結論はどこに落ち着くだろうか。

 その人が理知的な方面から追えば結論はそちらに傾くだろう。一方で、動物による食物連鎖を引き合いに出せば話はそちらに引き摺られる。では野性的とは何か、と考えて、「生きるために必要か否か」という結論に至るかもしれない。ただ野性的という言葉もまた抽象的だ。長年信じられてきた「自殺は社会動物であるヒト特有のもの」という神話も、(記憶と論文に間違いがなければ)破られている。


 結局、学問とは主観というバイアスありきのものを通して世間にお出しされるものである。例えば世を騒がせたとある細胞のあれやそれや、学会に毎月送付される無数の"Eureka!大発見!"やら。厄介なことに、それを人が信じれば真実になるというのが定説だ。それが例えファクトチェックや追試の魔の手に化けの皮を剥がされる束の間の茶番であろうと、である。人を操る魔法みたいな手法なんて、それこそ魔法を使えなければ不可能なのだが、それを面白がる(或いは真に心酔している)人間は関連書籍を買い漁る。そうして今日もビジネス書と怪しげなカガクの本は、数字のマジックを使い関連論文の拡大解釈という禁忌に触れ、いつまで経っても本屋の端を占拠したままである。悪いとは思わないが、滑稽であるとは思う。どうでも良いが。幸いこの国というのは腐っても検閲の許されない開かれた先進的民主主義国家なのであるのだから、彼等彼女等にあたっては今日も元気に私利私欲の為科学をカガクに貶めて頂きたいものである。


 何を言いたかったのか忘れてしまった。まあ、走り書きの端書きなのだからこんなもんだろうか。まあ、結局私達が肝心な事を何も知らんというのは確かである。知りたい事は何も知ることが出来ないまま、例えば大切にしていたはずの人間の心の中の本音とか生きる意味とか人間の起源は一体どこにあるのかとか、そういうのを一切知らんまま死ぬのである。たかが21世紀の若者風情には、せいぜい何も分からんことしか分からんのだろう。もう少し知的好奇心にステータスを振っていたら気付いた時点でアイデアロールだったろうか。ああもう知らん知らん。寝る。

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