魔窟喫茶と華奢な彼女

 それから、放課後までの間の辛いことと言ったらなかった。


 だってそうだろ?あの瞬間、クラス中の注目は俺に集中していたんだから。

 現文の時間の注目度も、これに比べれば可愛いものだった。


 っていうか、シンプルに記憶がない。気がついたら放課後になっていた。気を失っていたのかもしれん。


「佐藤くん、大丈夫?午後の授業中、ずっと顔色悪かったよ?」


 どうやら、ぱっと見で分かるほど明確に気絶していた訳ではないらしい。

 って、この声は、もしかして……?


「しょ、青蓮院さん!?どうしたの?」

「どうって、一緒に帰ろうと思って誘いに来たの。どうせだから、途中にどこかに寄っていこうよ」


 彼女のその一言に、確かに教室中がザワついた。

 再び、俺に視線が集中するのが分かった。話しかけてくれるのは嬉しいけど、頼むから教室の中では止めてくれ……!


「一か月もある、なんて考えてたらあっという間に終わっちゃうじゃない。それに、せっかくだからいろんなお店を回って、一番のおすすめ記事を書きたいんだ!」 


 「さあ、行こう」と言って、俺の手を引いて教室を出て行く。

 

「手を……つないだ……!」


 誰かの悲壮な声が聞こえてきたが、生憎とフリーズした俺の思考では、せっかくの彼女の手の柔らかさも暖かさも感じ取ることができないでいた。


「せっかくだから、今日は佐藤くんのおすすめの店に連れてってもらおうかな」


 辛うじて聞き取れたその声と、一刻も早く人目を避けたいという俺の切迫した願いとが相まって、こんな状況でも辛うじて行き先を指し示すことができたのだった。







「……はっ!?」


 "フリーズモード"が解け、気がついたら俺は行きつけの喫茶店の隅の席に座っていた。

 商店街のメインストリートから一本外れた側道の、さらに脇道の突き当りにあるという、ある意味この世の果てのような立地。

 正直言って経営が成り立っているとは思えないほどの客足だが、人目を避けたい俺にとっては絶好の場所だった。


 座り慣れたソファに深く腰を沈める。

 ああ、やっぱり自分の部屋以外の場所だと、ここが一番落ち着く……。


 人目を気にすることなく、静かな時間を過ごせる俺の最後の楽園ラスト=フロンティア

 今だって、目の前に座る彼女以外誰もいない……。


「って!どうして青蓮院さんまでここにいるの!」

「どうしてって、キミが連れてきたんじゃないか。変なこと聞く人だね」


 くすくすと、口元に手を当てて笑う彼女。

 そうか、彼女が俺のパートナーになったのは、どうやら夢でも幻でもなかったらしい。


「佐藤くんって、こう言う場所が好きなんだ」

「……うん。なんていうか、落ち着くからかな」


 「ふうん」と、店内に流れるジャズに溶け込むような静かな相槌を打ち、運ばれてきた珈琲に口をつける。


 あれ……。


 青蓮院さんって、結構華奢なんだな……。

 スポーツをやってる人にしては腕も細いし、肩幅だってそんなにない。

 普段の奔放なイメージの彼女も、この店みたいにくすんで寂れた空気にも不思議と馴染んで見えた。


「そういえば、さ」

「な、なんだい?」


「午前中話しかけた時、随分驚かせちゃったみたいだけど、大丈夫だった?」

「そりゃあ驚くよ。だって、俺みたいな奴の名前を憶えてくれてたなんて、思わなかったから」


 「実は、こうやって話すのだって今日が初めてなんだよ?」と添え、本心を打ち明ける。


「あれ?でも、佐藤くんだって私の名前覚えてたじゃない?」

「そりゃあ、キミはその……色々と有名だから」


「ま、そっか。アハハ」


 一瞬心臓が飛び跳ねそうになったが、とっさに用意した言い訳で納得させられたらしい。

 目立つことが嫌いな俺は、自分の感情を完璧に抑え込むことができる。自己主張は他者との軋轢を生み、その摩擦は周囲の注目を引く。

 

 だから、きっと今だって好きな女の子を目の前にしてドキドキしているなんて、微塵も悟られていない……はずだ。


「……」

「……」


 それからしばらくの間、二人の間に沈黙の時間が続いた。

 暇を持て余したマスターが3本目のタバコに火をつける。店内に漂う珈琲の香ばしい匂いに、タバコの煙がしっとりと纏わりつく。


 静かな空間で、ゆっくりと珈琲を味わうだけの時間が続いた。




 ……って、ダメだろ、コレ!


 彼女みたいな快活な女性が、こんな物静かな場所を気に入るわけがないじゃないか!

 さっきから一向に会話も弾まないし。こんなんじゃ退屈で飽きられちゃうよ。


 せっかく二人きりになれたのに。

 何か、少しでも彼女を楽しませるようなことを……。


 って、ダメだあああ!

 何の引き出しもありゃしねえよ。よく考えれば、彼女がどんな趣味を持ってるかも知らないし、俺にいたっては目立つことが嫌いだから何の趣味もないし!

 やっぱり、俺みたいな奴が彼女に好意を抱くこと自体が無謀だったんだ……。

 

 俺が必死に会話の糸口を探っていると、彼女は軽く手を上げ、マスターに珈琲のお代わりを注文する。


「ここの珈琲。とっても美味しいです。私、濃いめで苦みが少ないのが好きだったの」


 普段見せないような、落ち着いた笑顔。マスターは何も言わずに口元を少し緩める程度の笑みでそれに応える。

 どうやら、そこまで退屈しているわけではないらしい。


 ほっと胸をなでおろす。そして、改めて彼女の様子に意識を向ける。



 あれ?



 気のせいか、教室にいる時の彼女と比べてリラックスしている、と言うか、安心しきっているような表情に見えた。

 彼女のことなんか何も知らない俺だから、きっと勘違いなんだろうけどさ……。


 



 それから、1時間近くが過ぎた。


 簡単に言えば、良い所は一つもなかった。

 特に当たり障りのない会話を少しだけはさんだ以外は、沈黙と珈琲をすする音が交互に店内に響くだけだった。


 せっかく、神様が一生分の運を凝縮して俺にプレゼントしてくれったってのに、これじゃあ運の無駄遣いだよ……。

 俺が肩を落として落ち込んでいると、彼女がおもむろに携帯を取り出してこう言った。


「ねえ、佐藤くん。明日って時間あるかな?」

「明日?土曜日だから特に大丈夫だけど……」


 俺がそう答えると、彼女の表情がパッと綻んだ。

 うわあ……。やっぱり可愛いなあ……。

 俺が訳もわからず、彼女の笑顔に見惚れていると、


「じゃあ、明日もこの商店街を散策しない?今度は、私のお勧めを紹介するから」

「……」


 彼女が何を言ってるのかが理解しきれず、俺はしばらくの間絶句していた。

 落ち着け、状況を整理するんだ。


 人目に晒されているわけでもないのに、勝手にパニックを起こしかけている頭を強引に静めようとする。

 だが、彼女はしばらくの沈黙の後、こう続けてきた。


「嫌……かな……?」

「い、い、行きます!」


 伏し目がちにそう言われては、理性よりも先に本能が口を動かしていた。

 嬉しそうに微笑むと、連絡先を交換し、明日の待ち合わせ場所と時間をざっと決め合った。


「それじゃ、また明日ね!」


 いつも通り、元気の塊のような別れの挨拶と共に、彼女は家路についたのだった。



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