あいを編む

Srock

0.奇跡の前に

0-開幕と閉幕

 ブーー!!


 酷くノイズがかったやけに耳に障る音だ。

 私は顔をしかめてこめかみ辺りを押さえる。

 暫くして反響が止み、周りを見渡す余裕が生まれた。


 …映画館?

 かなり古めだと思えるけど…、こんなのそれこそ映画とかの作品内でしか見た事がない。

 どうしてここに?

 というよりいつ座った?


 私はいつの間にか、使い古されておりスプリングがもう用をなさないシートに座っていた。

 I-19

 手すりをよく見れば掠れた文字で何とか読める。

 このアルファベットと数字には何故か感じ入るものがあった。

 だからといってこんな不気味な場所にとどまり続ける必要性はない。

 肘掛けに力を込める。


 とにかく、一度外に出るか館内の人を探そう。

 意味がわからないし、そもそもチケットを購入していない。

 …はずだけどね。

 ポケットにだって何も入って…。


 履き古したジーンズの前ポケットに手を突っ込むとクシャッと紙に触れた。

 その何ともしれなさに慄きながら、掴んだそれを眼前へと私は持ってく。


 タイトル:旅立ちの私に〜事実と虚構を〜


 私は食い入るようにそれを見つめた。

 それこそ穴が空いてしまうのではといえる程に。


 …ここにいてはいけない。

 確かに私は呼ばれた。

 けれどもこれを覗いてはいけない。

 今すぐに出なければならないんだ。


 私がそう思い立ち上がろうとしたその瞬間に、光がスクリーンに注がれた。

 映写機の回る音がする。

 少し調子の外れたそれでバッババッバッバと。


 開幕されたのだ。


 そっか…、最初から逃げられなんてしなかったんだ。

 呼ばれてなんていないよ。

 私をここに呼ぶ人なんていない。


 私は自分でここに来たんだ。



 ――――――――――


 あるところに愛し合った男と女がいました。

 男と女は永遠を誓い、その結晶、証拠ともいえる赤ん坊をこの世界に産み落としました。

 赤ん坊はそれはそれは大層可愛らしく、大事に大事に育てられました。

 そうはいってもこれは物語。

 めでたしめでたしでは終われません。

 そう、この幸せな家族に悲劇が襲うのです。


 赤ん坊が成長し5歳になった頃、男が女を捨てました。

 子供の世話に付ききっきりになる女に、かつての女の性としての魅力を感じなくなったのです。

 だからといって何か大騒動が起きた訳ではありません。

 男と女は書面を交わし契約を破棄、そして新たな契約を結んで互いの道を歩んだのでした。


 問題は子供の方でした。

 子供は男も女の事も愛していました。

 たとえ男と女が別れようとも、子供にとってはその血と肉を構成している決して切れぬ存在だからです。

 ですが、選べるのは片方のみ。

 子供は寂しい気持ちを抱きながらも女に着いていくのでした。


 だけれども女は違ったのです。

 女は女を捨てた男が狂しい程に憎かったのです。

 まず、子供の口調を正しました。

 僕を私にし、語尾をお淑やかな女性的なものへと変えたのです。

 子供が少しでもミスをすれば烈火の如く怒りました。


 女はおかしくなったのです。


 しかし、子供にとってはただ1人の母親。

 女が壊れた事を知りながらもその隣に寄り添い続けます。

 女を愛していたからです。

 どのような姿形となろうとも大切な人なのだからです。

 女も同じでした。

 自身がおかしな考えに侵されていながらも支えてくれる、そんな子供が愛しくて仕方ありませんでした。

 ただ、その方向性が愛しているからこその支配に舵を切ってしまったのです。


 子供はとても美しく育ちました。

 元々男と女が羨望の眼差しを受けるそれだったのです。

 子供に受け継がれるのは必然でした。

 子供は男と女のいいとこ取りをした造形を、その性を超越した美貌を得たのです。

 何よりも異質だったのはその纏う空気でした。

 その育った環境からかどこか退廃的な、その年の子が身につけてはならない淫ピな雰囲気を漂わせていたのでした。


 あなたはもうおわかりですね?

 これがこのお話の本質です。


 その当時の女は疲れ切っていました。

 生活自体は裕福とはいえなくともたまの贅沢を送れる余裕はありました。

 男にそれなりの稼ぎがあり養育費として受け取っているお金がかなりあったからです。

 悩みは女の本質。


 男が女から距離を取ったのと同じ性に関してでした。


 女の体は熟れてました。

「今こそが食べ頃なのよ」と香っていました。

 実際、女の周りにはその妖艶さに当てられたのが沢山おり選り好みが出来る程でした。

 けれども女はそんな者を選びません。

 過去の経験からもオスを毛嫌いし、何より命よりも重いといえる子供がいたからです。

 …言い訳はやめましょう。

 女は花に誘われた蝶のように自身に吸い寄せられたオスのように。


 子供に女としての喜びを求めたのです。


 子供に拒否権はありません。

 どこにも逃げ場はありません。

 大好きだったその人はもういません。


 愛し、愛されていた人は子供の肉だけを慈しむように成り果てたのですから。


 悲劇は長く続きました。

 そう、ましたなのです。

 子供の体は解放されたのです。

 自由になれたのです。


 心の歪さを犠牲にして。


 その後子供は叔母夫婦に引き取られました。

 優しい一家でした。

 子供の心の傷に寄り添い暖めてくれました。


 まあ、ここで終わるなら上映などされませんが。


 子供の運命は廻り続けます。

 喜劇は演じられ続けます。

 心のちぐはぐさは増え続けます。

 やがて隙間がなくなります。


 ならば別の事柄にすり替えようとしました。

 これは上手くいきました。

 だましだましそのロウソクを延命出来ました。


 だまし、だまし、ね。



 ――――――――――


 何とも陳腐な昔語りだ。

 こんなもの見せられてはたまったものではない。

 それで止まれる段階にはもういない。


 私の噺などされても私は鼻白むだけだ。


 ブーー!!


 再びサイレンが哭く。

 切り離した私の心の叫び。

 それに私は目を向ける事はない。

 だって捨てたのだから。


 どうやらこれにて終幕らしい。

 では、そろそろ行こうか。

 現実ももうそろ終わりらしいからな。

 しっかりと間に合わせないといけない。


 私は席を立つ。

 振り返りなどしない。

 そんな事をしなくとも体にベッタリと纏わり付いているから。

 忘れたくとも忘れられないから。

 だからその扉をくぐり抜けた。


 丁寧なご説明通り記憶の塗り絵は厚く済ませている。


 もう憂う事は何もない。

 私を終わらせるのだ。

 愛の生の幕を降ろすのだ。


 ご観覧頂き誠にありがとうございました。


 お帰りは 御 座 い ま せ ん。

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