第19話 襲撃の気配がしたものの



【ひとまず、ゆっくり休むがいい。この世界に身体が馴染むまで】

 里長であるシュナの申し出に、杏葉は戸惑うばかりだ。

「私は、どうしたら」

【本当はその魔力を魔法にして使った方が良いのだが、習得には時間がかかるだろう。とりあえずはベッドで落ち着いて寝ると良い。寝不足だろう?】

「寝不足……はい……すみません……」


 ランヴァイリーから差し出されたはちみつ湯を少しずつ飲みながら、杏葉は申し訳ない気持ちになった。実際、全然気が休まっていないのは自覚しているからだ。


【どうしたら、眠れるのだ? アズハ……心配だ】


 ガウルが、眉間にしわを寄せて唸る。


「ガウルさん、ごめんなさい。私……私……新しい世界が、まだ怖いのかもしれないです」

【!】

「自分のことも分からないし、知らないこともたくさん。どうしたら良いのか」


 ぎゅ、と木のカップを握りしめる杏葉に言葉をかけるのは、ダンだ。

 

「アズハは、頑張りすぎだな。ご両親を亡くして一人で頑張ってきたんだろう?」

「はい」

「ずっと気を張ってきたのじゃないか?」

「そうかもしれないです。元の世界では、父も母もいなくなって、誰にも心を許せていなくて。最後の目標も奪われて、絶望していた」

【アズハ……】


 ガウルの手に力が入る。


「だから、この世界に来たのかもって思っています……強く生きるためにはどうしたら」

【強くなんて、生きられないぞ】


 杏葉は驚いて銀狼を見上げる。

 

「ガウルさんは、こんなに強いのに?」

【そう見えるだけだ。実際はリリに頼り、エルフに頼り、見てみろ、言葉はアズハに頼りきりだ】


 ふ、と笑うガウルの目が、輝いている。


【だから俺は、もう少しアズハの心を預かりたい。遠慮なく頼れというのも難しいだろうが、対価ならどうだろうか?】

「対価?」

【すぐに信じろ、というのが一番信用ならん】

「あはは!」

【俺は、通訳してもらっている。その分、アズハへ報酬を払いたい。そのために、して欲しいことを何でも言って欲しい。それならどうだ?】

「ガウルさん……! はい……それなら、できそうです!」


 杏葉は、頷きながらガウルの身体に横から抱き着く。優しい銀狼が頭を撫でてくれることが、嬉しい。いつの間にか、リリもその上からギュッとしてくれている。頬にあたる髭がくすぐったく、笑みがこぼれた。


「俺は、この世界でのアズハの父親を名乗った身だぞ。だから言うが……ガウル、娘はまだやらんからな!」

「ダンさん!?」


 杏葉は、真っ赤になりながらそれを通訳し、いたたまれない気持ちになる。

 

【ふは! そうか、認めてもらえるように頑張ろう】

「んもー、ガウルさんまで!」

【待ってよー! オイラも候補に入れテヨー!】

「ランさん? 候補って?」


 二の句を継ごうとしたランヴァイリーを、シュナが目で制した。

 

【こら。負担をかけてどうするのだ】

【うっ……だってサ】

「え?」

【ランのことは、気にしなくて良い……さてアズハ。さきほどの光を見ただろう? そなたは精霊に愛されし子だ。すなわちそれは、この世界に愛されているということでもある。自信を持つが良い】

「!」

【エルフの里長として、貴女を歓迎する。この世界にようこそ】


 シュナが、大きく両腕を広げると、その腕の上には楽しそうに飛び回る小さな精霊たちがいて……また七色の光を振りまいてくれた。


「おぉ」

「すげえ!」

【綺麗だ】

【すごいにゃねー!】

 

 皆がそれぞれ感嘆の声を上げながら、杏葉に笑顔を向け、杏葉の両眼からは、とめどなく涙が溢れる。

 


 ――そうか、私は、この世界に受け入れて欲しかった……

 


「ありがとうございます、シュナさん」

「ううう〜そうだよなあ、辛いよなあ。気づかなくてごめんなあ、あじゅ〜」

 ジャスパーがもらい泣きし始めたので、リリが慌てて杏葉から離れて、ジャスパーの後ろからハグをしつつ、頬をぺろぺろ舐めて慰める。


【ジャス、泣き虫にゃねー】

「ぐしっ、えぇ……俺やっぱ食われる……?」

「ふふ、ずび、リリ、ジャスのこと、食べちゃうの?」

【まだ食べないにゃよ】

「まだ食べないって」

「まだ……まだ!?」


 青くなるジャスパーを見て、皆が声を出して笑う。

 

【ははは。人間と獣人が共に里を訪れるなど、何百年ぶりのことだよ。とても嬉しいことだ。歓迎する】


 シュナが、初めて口角を上げた。

 ようやくホッとした一行だったが、ダンが恐る恐る自身の娘のエリンのことを申し出ると――


【なるほど、そなたの生き別れの娘だったのか。残念ながら精霊が怒っている間は、誰にも会わせられない決まりなのだ。丁重に扱っているから、安心して欲しい】

「ご迷惑をおかけして、大変申し訳ない」

【エルフや精霊は、人間にとっては未知の存在。言葉が通じなければ、ままならないこともあろう】

「そう言って頂けるとは。無鉄砲な娘だが、お願いする」

【はは。確かに無鉄砲だ。赤子を背負ったまま魔法を唱えるなど、驚いたぞ】

「うぐぐぐ、お恥ずかしいことこの上ない!」


 真っ赤になるダンを、また全員で笑った。

 


 

 ◇ ◇ ◇




『長! また不法侵入者です!』


 客室へ案内しよう、と里長の家から降りて別のツリーハウスへと案内されている途中。

 そう叫びながら、息せき切って走ってきた二人のエルフが、杏葉たちの足を止めた。

 どちらも背中には矢筒と矢、腰には大きなナイフを差して武装している。

 

『誰だ』

『バッファローと、キツネの獣人の二名です!』

『精霊の木に危害を加え、里に無理やり入ろうとしています!』

『……愚かな』

『ありゃあ』

 

 杏葉は、ガウルに身体を支えられながら、懸命にそれを通訳する。

 

「バッファローとキツネの獣人さんが、不法侵入?」

【グルル! 恐らく副団長のブーイ、側近のウネグだ】

【団長、やっぱりにゃね】

【ああ。セル・ノアの差し金だろう】

「ガウル、覚えがあるのか」

「まさか、俺らを追っかけて?」


 宰相の手配だろうと言うと、ダンもジャスパーも納得の顔をした。


【困った奴らだ。精霊を怒らせてまで里に入ろうとするとは】

【獣人にきちんと教育してあったつもりなのニナ? 忘れちゃッタ?】


 シュナとランヴァイリーの言葉を訳しながら、杏葉が全員思っているであろう疑問を口にする。

 

「え。精霊さんを怒らせて里に入るとどうなるのですか?」



 ドゴオンッ!

 ――ぎゃああああっ。



 シュナが口を開く前に、大きな物音と悲鳴が響き渡り、バサバサとたくさんの鳥たちが飛んで行く。

 

 

【……やりよった】

【あっち、見てミテ】

 

 杏葉たち一行は顔を見合わせ、ランヴァイリーの指さす方向を見ると――


「え!」

「うひゃあ~」

「あれは一体、どうなっているんだ?」

【やはりブーイとウネグだな】

【うぷぷ、まぬけにゃー】


 

 ――つるでぐるぐる巻きになったバッファローとキツネの獣人が、巨木の上からぶら下がって激しく揺れていた。

 

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