第12話 たり前ですよぉ

 今より十六年と少し前。町田家に、とある赤子が生まれた。性別は、女である。そして、何より彼女の属性は。


 地獄だった。


 その瞳は、窮まっている。腐りを過ぎて終わっていて、更には死んだ後の何かだった。そして、残酷にも、幸せな未来などそこには映っていない。

 例えるならそれは、死んだ魚の眼。死んで終わり切って、生きているはずのない光のない黒。つまるところ、それは明らかに死を経験した瞳を持っていたのだ。


「これは――」


 既に終ってしまっている。

 或いは、見開いた際にそんな彼女を取り落とさなかったことこそが、彼彼女らの家族の証明だったのかもしれなかった。

 血が繋がっているという確信すらなければ、この穢れに触れ続けることなんてあり得ないのだから。

 それくらいに、彼女の瞳は可愛さを損なう不気味だった。


「可愛そうな、子」


 しかし最早理解しがたい程の愛ゆえに、町田百合という生き物は彼女は蠕動を許されることになる。

 彼女は、喋るのも、立つのも、顔を上げるのも、何もかもが鈍かった。それこそ、死ぬ才能には恵まれていても、百合という子供には生きるための力が弱かったのだ。

 ただ、臓腑は無意味に健康で、だからこそ四肢末端に弱みを持ち長く地虫のように這いずり回る幼女に、しかし両親ばかりは愛を向け続ける。


「大丈夫だ。百合は何も悪くない」

「そうよ。あなたは幸せになっていいの」


 それは、ただの嘘ではない。複雑な思いから出力された本音。あまりに真摯に紡がれたその真っ直ぐは、小さな百合という生き物の胸元にざくざくと刺さっていく。

 ああ、これが罵詈雑言であったら、薪に出来たのに。しかし、これは大切にしなければ人でなしになってしまう無理が発した思いやりばかり。

 だが。


「ダメ、ですぅ」


 何が、悪くないだ。町田百合という存在はあなた方のステキな未来を時間を生にしがみつくことで著しく現在進行系で損ない続けている。

 幸せになっていいなんて、そんなことあり得ない。だって、百合の本心は底から全ての人間の足を引っ張ってこっちまで引き込みたがっている。


 言葉の締りを時に最後までまとめ切れない無力と同じく、こんな愛にくるまったステキな言葉すら受け止めきれない自分は果たしてゴミクズで。


「この世は、クソ、ですぅ」


 そんな自分を町田百合として産んでしまったあなた達は尊くとも、しかし町田百合なんていう役割を存在させているこの世界なんてどう考えたって。


「間違ってますよぉ」


 百合は地獄に落ちてしまえば良い、と思わずにはいられなかったのだった。




 百合は、地獄の蓋である。

 地獄の天板であり、皆がそこまで落ち込んでしまないように、踏み敷かれる役割。最低値を超えないようにある、底辺。そんなヒトガタが、百合だった。

 だが、ヒトガタであるからには、成長が許される。ならばと焦げ付いた心で発奮した少女はぐずぐずになるまで踏み潰されていく。


「つれぇ、ですよぉ」


 それは極まった求不得苦。全てが揃っていて、しかし何一つ足りていない。

 頑張って頑張って、それでやっと歩けたというのに、周囲は駆け足を競い合っている。

 努力して努力して、言葉を紡げるように成った時には、綺麗な斉唱があたりに響いていた。


「優しく、するなですぅ」


 勿論、そんな大勢から足りないものを掬おうとする者だって、まま存在する。

 けれども劣等感は、優しいつもりの助けの手という名の自慰すら鋭く見抜く。お前のための玩具ではないのだと、百合は声を大にして。


「あは」


 だから、少女は瞬く間に嫌われ虐められ、結果そこらに転がされるままとなった。


 しかしそれにのみ、町田百合は満足する。ああ、ここが位置だ。そして、ここからだ、と。


「絶対に、百合は咲いてやるですよぉ」


 そんな百合は頭だって勿論足りてはいない。しかし、けれどもそっちは詰め込みと地獄から湧き上がる瞋恚を参照することで補える。

 そう、内に秘めた地獄の炎は全てを恨み、貰った愛なんて直ぐに焦げ付いた。それは変わっている、どころではない病。

 世界中のありとあらゆるものが薪でしかない、怒りの生の中。頭でっかちにも心に無駄に襞を付けながら少女は遅々たる歩みを続けた。


「地獄力、満タンですぅ」


 元来頑張るというのに必要なものは熱量である。

 そして、最低値の少女は地獄からそれを汲んでまでして、心を燃やせた。


 夢などはない。それは、先を望めるものだけが手にすることが出来るものだ。

 明日など分からない。少女は自分がどうにかなってしまいそうなくらいの痛み恨みつらみが沸き起こり続ける胸中を懐きながら、刹那を生きた。

 だが、それを必死に続けて彼女は日常を努力とする。


 そして。


「アイドル、ですぅ?」

「そうだ。キミならきっと、輝ける」


 やっとまともに立てた。そんな実感を得た時百合は勧誘に、何時もの悪目立ちする両眼帯の奥にて地獄の瞳を見開く。

 輝ける。そんなそんな。輝石よりも低い位置にある、マグマの黒に、輝きなんてありえないというのに。

 何も知らない存在は、自分がそこで輝くべき存在だと誤認した。大いに、百合はその勘違いを嗤うべきだと思う。思いは、したのだが。


「よろしく、してやるですよぉ」


 ただ、どうしてだって彼女は瞋恚とは違い、憧れだけは焚べることが出来なかったのだ。


 ああ、自分は絶対に、心よりクズでゴミでそれ以下で、どうしようもなく死んだほうが良いのだけれど。

 でも。


「百合は、絶対に皆を幸せにしてぇですから」


 そればかりの夢にもならない妄想は、大切だったのだ。




 そして、もう一つ。町田百合という地獄の蓋には義務もあった。それを思えば尚更。


「トップアイドルに、なるです!」


 天上という位置は、この世の全てに地獄を教える最大の好機でもあると、思ったのだ。




 錯誤に誤謬。間違いだらけで、しかし町田百合という目隠し系アイドルは、次第に人気を得る。

 頑張り続けて、工夫と変化が日常である百合に、歌や踊りを頑張らないなんて理由はない。

 最初は攀じるよう。だがそれが走るほどに加速されていったのは、彼女が全てに真剣であったからか。

 次第に、ただの少女なんかにはどうしようもないアイドルに、地獄の蓋でしかなかったヒトガタは、役割を変えていった。


「ったく。ちょいと認められりゃ、これですぅ」


 それこそ、今日に至ってはミュージックスタジオにて、とある作曲家、というには多活動な有名音楽家に見初められて呼び出されたくらい。

 だが、勇んで向かったそれが無駄になったのは、隣のバカのせいである。


「ごめんねー」

「ごめんで人の心を壊して済むなら、警察はいらんですぅ。あんた、償いなんて機能にないでしょうに」

「うう、あたし、警察さんに自首したほうが良いのかなあ」

「それより、百合があんたの首に縄の綺麗なネックレスをかけてあげるですぅ。端はしっかり天上に結んであげるですよぉ」

「わあ、友達からのプレゼントって素敵だね! 縄とかとってもロックだよ」

「ケッ、勘違いで笑い事になると思ったら大間違いですぅ。この生きる間違いが」

「うぅ……辛辣だねー」

「正直。てめぇなんて、本来死にゃあいいですぅ」

「うーん。でも、生きないとダメって言われてて……」

「はっ、恨みに何時か潰されりゃいいですよぉ」


 そう。地獄の蓋である町田百合の隣には、奇縁にも天国の糸である片桐朝茶子が。

 もはや運命的ですらある、彼女らの対象ぶりは明らかだ。方や、信じていて絶望していて、絶望したくて信じたい。その認識すら決して交わらずに。


「あんたのとこの社長とか、どうなってんですぅ? 人が心を壊して、仕方ないで済ましてるとか、まるきり人でなしですよぉ。まあ、あいつ等が自分たちを羊に聴取とか買って出たのは助かったですけど」

「ゆうちゃん社長とまこさん? いい人だよー」

「いい人は、都合のいい言葉を指すわけじゃないんですぅ。お馬鹿さん。ホント、下らねぇ人間ですねぇ。それでいて見目ばかり整ってるから周囲は勘違いする」

「そうかな?」

「そうですぅ」


 百合は、天上の美を持った子供を下らないと断じる。零点から成長を頑張った自分と違い、付け足しこそ枷になっている、満点。

 そんなもの、つまんないとして、なにがおかしい。

 首を傾げる困ったちゃんに溜息を我慢しながら、百合は続けるのだった。


「だって、あんたは天国をこの世に見せてしまうもんですぅ。全てを終わらしかねないそれをひけらかしてしまっているから、面倒になる」


 花は、見せびらかすものではない。幾ら優れようとも、この世は広く、故に価値も霧散する。だから、未だに彼女は世界を殺せていないのだろう。

 そう、百合は思う。だからこそ。


「百合を、見習うですよぉ」

「わっ」


 ずるり、と目隠しを下げて、片目をちらり。そして、その終焉を望んだ朝茶子は。


「やっぱりキモいよぉ、百合ちゃん!」

「けっ、あんたに言われたかないですぅ」

「でも、やっぱり可愛いね!」

「はぁ。こりゃ、バカは中々直りそうじゃないですねぇ」


 胸のざわめきを心地いいとしかし変換し、いたずらに地獄にじゃれついて。


「いいよ。バカでも。あたしは、それでも愛されるために頑張るから!」

「んなの、良かないですが……まあ、百合は反対にこれからも愛を裏切るために、頑張るですよぉ」

「あは」


 それで、その熱量の意味不明さに、苦笑い。でも。

 それだって、隣り合いたい友達のぬくもりだから。


「頑張ってね」


 そう言って。


「たり前ですよぉ」


 照れる百合の紅顔を上から彼女は優しく眺めるのだった。


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