忘れた世界、忘れられた人

わらびもち

第1話 崩れゆく世界

 目を覚ますとそこはどこか知らない公園のベンチの上だった。


 背中の痛みに顔をしかめながら辺りを見回す。


 そもそも寝た覚えなどないのだが…


 空は青く澄んでいて、冬の太陽はギラギラと照りつける。


「あの…」


 後ろから声が聞こえて振り向くと、そこには20代くらいの女性が困惑したような表情でこちらを見ている。


「どう…どうかしましたか?」


 久しぶりに声を出したのか言葉が喉につっかえてしまう。


「どうして…ここにいるんですか?……人間、、、ですか?」


 さっぱり意味がわからない。

 自分もなぜここにいるのか分からないのに。


「それはどういう意味で…」

「この世界は崩れ始めています。人は皆居なくなってしまった…」

「居なくなった?」

「この世界には私しか居ないと思っていました」

「他の人はどこへ?」

「人々は元からいなかったのかも知れません…」


 彼女の暗い表情を見て、この先の質問は出来なかった。

 どうやらここがもういつもの星ではないことが分かった。


「早く行きましょう!」

「え?」


 女性の視線の先を見ると自分たちから100メートルほど離れた場所が轟音を立てて崩れ落ちている。


「はやく!」


 女性に手を引かれ走り出す。


 彼女の名はキャメルというらしい。


「あなた、名前は?」

「俺………」

「名前よ、ずっとあなたって呼ぶのもおかしいでしょ?」

「俺の……名前はなんだ?」


 思い出せない、名前も、親も、自分の家も。


「もしかして……あなたも崩れかけているんだわ!」


 どうやら"俺"という存在が崩れかけているという。


「どうすれば崩壊を止められる!」

「根源を断つしかない!急ぎましょう!」


 誰かの家に停められていた自転車に乗って先を急ぐ。

 窃盗などにはならないだろう。

 その家にももう人は居ないのだから。


「どうしてキャメルはそんなにこの世界について詳しいんだ?」


 キャメルは一瞬顔を曇らせ俯くと、俺をみて笑って答える。


「そういう運命なのかもしれませんね」


 俺は何も返せなかった。


 ただその笑顔に妙に心が痛んだ。


「ずっと自転車もキツいわね。鍵がついてる自動車とかがあればいいんだけど…」

「危ないっ!!」


 甲高いブレーキ音、タイヤの焼ける匂いが香る。


 車…!?


 中には60代くらいの白髪のおじさんが乗っていた。


「あんた、どうしてここにいるんだ?」


 咄嗟にそう聞いてしまってから自分でもその言葉を疑問に思う。


 おじさんは真剣な顔で答える。

「世界の崩壊から逃げているんだよ。そして今から止めに行く」

「私達も崩壊を止めに行こうとしてました!車に乗せてもらっても?」

「ああ、もちろんだ。さっさと乗りな」


 俺はおじさんの車の後部座席にキャメルは助手席に乗り込む。


 おじさんは名をモヘアというらしい。


 アクセル全開で車を走らせる。


 他に走る車などなく信号機は不気味に点滅している。


「ところでその、崩壊の根源っていうのはどこのことなんだ?」

「……分からないわ」

「分からない?分からないって……じゃあ今どこに向かって…」


 ぐるるるる


 俺のお腹の音が車内に響き、同時にとてつもない空腹が襲う。

 今まではパニックで空腹を忘れていたのだろう。


「この車の後ろに食料を積んであるから食べるといい。あとお前さんの格好……着替えもあるから好きなものを着な。その服はもう捨ててしまえ」


 自分の身なりを見て納得すると、着替える前に食べ物にありつく。


「ところでモヘアさん、あんた何者だ?崩壊について何か知ってるのか?」

「わしはただの物理学者さ。崩壊についてはある文献を読んだから多少の知識はあるが、まったく現実になるとは思わなかった。

 著者は確か………、といったかな」


 キャメル…………!!


 俺は助手席の方に身を乗り出す。


 彼女はまたあの顔をしていた。憂いに満ちた顔を…。


「崩壊の根源の場所は分からない。ただひとつ分かることは、この崩壊から逃げた先に根源があるということ」


 逃げた先…?


 辺りを見回すと崩壊は後ろからだけではないことに気づく。

 ここから遥か前方にも、砂埃が舞って家やらビルやらが崩れ落ちた地面に飲み込まれていくのが見える。


 右からも左からも、四方八方から崩壊は起きているのだ。


「とうとう四方向から崩壊が見えた……根源が近いぞ」


 不気味に点滅していた信号機は全て赤色を示し、電車など走っているはずもないのに遮断機が降りる。


 カンカンカンカン


 鈍い電子音を立てる遮断機を車で突破する。


 町のチャイムからは国民保護サイレンが鳴り響き、電源が繋がっていない粗大ゴミ置き場のブラウン管テレビには砂嵐が映る。

 町に異質な空気が漂う。全てのものがまるで根源に近づくことを拒むように。


「しかし最後まで崩壊しないとこが根源だとして、その根源にたどり着いた時にはもう遅いんじゃないか?」

「あったわ!あそこが根源よ!」


 キャメルが指を指す先には赤い屋根の古びた工場が建っている。


「あれ…誰かいないか?……女の子?」


 工場の横に車を停め3人が外に出ると、まだ小学生くらいの女の子が工場に入っていくのが見えた。


「あの子を追おう!あんた走れるか?えーっと………あんた名前なんて言うんだっけ」

「わしか?わしは……モヘ…」

「モヘア、彼はモヘアよ」


 キャメルが横から答える。


「そうそう、モヘアだ。わしの名はモヘア…」

「2人とも急ぎましょう」


 3人は先に入った女の子を追って工場の中へと入る。



 工場の中はもう今は使われていないのか機械はサビつき、薄暗く雑然としていた。


「君!何してるんだ?」


 呼びかけると、女の子が振り返る。


「…家に帰ってきた。お兄さんたちは何しに来たの?」

「家…?」

「この工場はあの子の家族が経営していたんだと思うわ」

「そうなのか?」


 女の子は黙って頷いたあと言葉を続ける。


「でも家族はいない……初めから私は独り」


 キャメルは俺に向かって小さく言う。


「あの子にも家族はいたわ。もう崩壊してしまったの…」


 女の子は名前をリネンというらしい。


「リネンちゃんっていうんだ!いい名前だね、手に持ってるそのお菓子はお気に入りなの?」


 まだ小学生なのに親も覚えていないなんて


 少しでもこの子の緊張をほぐして……


「もういいでしょ、先を急ぎましょ」


 キャメルが話を遮る。


「おいお前、いくら崩壊を止めるのが大事だからって、この子の気持ちも…」

「人との繋がりなんて、もう要らないんじゃない?」


 キャメルの顔には憂愁の色が浮かぶ。


「あなた達と来たことも間違えだったわ」

「お前それってどういう意味だよ」

「私の両親は遥か昔に亡くなった。それから友達は1人たりとも作ってない。いくら作っても、失う悲しみの方が強いから……。もつらいのよ」



 工場の奥へ進む。



 そこには崩壊と再生を繰り返し、グツグツと煮えた鍋のような空間があった。


「リネンちゃんの両親はこの崩壊に飲み込まれたんだわ。赤い屋根の工場は根源になる、そしてそこの家の人が崩壊に入ることで……。リネンちゃん、この崩壊のなかに入って」

「おい何言って…」

「キャメルさんよ、それってのはあの文献の…」

「崩壊が始まっても人がいるのは初めてだったからなぁ。ちょっと浮かれちゃってたのかもしれない。もしかしたらと違うかもって……。あなた達も一緒に入った方がいいわよ」


 キャメルの目には涙が浮かぶ。


「意味がわからねぇよ!ちゃんと説明してくれなきゃ!」

「もう全て終わるんだから説明なんていらないでしょ?でも最後に教えてあげる、"崩壊を止める"の


 本当の意味……?


「崩壊を止めるのは不可能よ。だから崩壊の後に再生させる。そうすれば本当の崩壊は免れる。世界がまたできるのだから…」

「やはり…崩壊は止められないのかね?」


 キャメルは頷く。


「ごめんなさいね。すぐに終わるから…」

「リネン!!」


 リネンは持っていたお菓子を落としてしまう。そしてキャメルはリネンを崩壊のなかに入れる——。



「2人とも、私はリネンちゃんを崩壊の中に入れた。私を恨む?」

「リネン……?」


 なんの話しをしているんだ?


 キャメルは床に落ちているお菓子を拾うと俺らに見せる。


「もう何も覚えてないでしょ。このお菓子のことも」

「キャメルさん、いきなりどうしたんだ?わしらで早く崩壊を…」

「ほらやっぱり!リネンはあなた達も会ったことがある人よ。でも崩壊するとこうなの」


 何も分からない、でもなんだか胸にぽっかりと穴が空いたような、そんな虚無感がある。


 リネン…リネン…会ったことがある?


 何も思い出せなかった。


「だから私は友達を作ってこなかった、今回も……」

「俺は、キャメルも、おっさんももう仲間だと思ってる!」

「え……?」

「なんだかわかんねぇけど崩壊したら全部忘れられるからお前は友達を作ってこなかったんだろ?じゃあ俺は絶対お前を忘れない!おっさんも!」


 おっさんも黙って頷く。


「そんなこと言ってあなた達はもうリネンのこと…」

「思い出す!会えばわかる!……頭で覚えてなくても、心で覚えてると思う」

「ありえない…そんなこと!たぶんこのままあなた達も崩壊して…」

「リネンってやつが崩壊に入ったならこの世界は崩壊したあとまた再生するんだろ?」

「でもそのときにはもうあなた達はお互いのことを」

「おっさん、行こう!」

「ああ、物理学者としても興味深い…。

 キャメルさん、学者の記憶力を舐めてもらったら困るよ」

「キャメル、また会おう!崩壊後の世界で」


 俺らは崩壊のなかに飛び込む。

 体が揺れて、意識が遠く……遠く……



 ◇ ◇ ◇



 ある晴れたの冬——


「いらっしゃいませ!なにかお探しですか?」

「妻にカーディガンをプレゼントしたくて」

「それでしたらこちらになります」


 妻は会社のもと上司で今日が誕生日だ。


「生地の好みなどございますか?」

「すみません、俺そういうの詳しくなくて」

「今人気なのはモヘアなどですよ。モコモコしてて暖かいので冬にピッタリです」


 モヘアのカーディガン……


「こ、これは?」

「それはリネンですね。涼しい素材なので夏ものです。冬は少し寒いかと……」


 モヘア…リネン…


「大丈夫ですか?どうかされました?」


 店員が慌てている。


「いえ、なんでも…。すみませんね、じゃあこれください」


 自分でも分からないが頬から涙が伝っていた。



 ◇ ◇ ◇



「誕生日おめでとう!!」

「ありがとう!これカーディガン?暖かそう」

「喜んでくれてよかった。暖かそうでしょ、生地はモヘアって言うらしいよ。あとこっちはリネンっていう生地、夏物らしいんだけどなんか親近感あって……」

「モヘアにリネンって……あなたもしかして……」

「ん?ああ、何となく思っただけだけどね」

「そ、そうよね……」


 妻は少し困惑した表情で貰ったカーディガンを羽織ろうとする。


「それにしてもキャメルとは出会った時からなんか"運命!"みたいのを感じたんだよなぁ」

「なによそれ、それにしても会社で初めて会った時からキャメルって呼び捨てだったのにはびっくりしたわよ」

「あれは失礼すぎたね…。でもなんかあの時…キャメルさんじゃなくて、キャメルって呼びたかったんだ。前世の記憶ってやつ?」


 俺は冗談を言う。


「ふふ、そうかもね……」



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