第3話 訓練

 十秒ほど待ってからやっと降りてきた階層エレベーターに乗って、トレーニングルームのある七階層に行くための「七」のボタンを押して、わずかな浮遊感から解放されるとハルヒトがいると予想される場所にまたも駆け足気味にキサラギは向かう。


 いた。


 B班の弛まぬ努力の結晶たるコンピューター群、天幕にも利用されている特殊ガラスの壁、戦闘を補助する役割の随行式支援型機甲探査型「ゲンブ」と共に、ハルヒトは投影される仮想敵との立ち回りを演じている。仮想敵の種類は見た限りで最もマイナーな「スパイダー」と呼ばれる八脚型のNoahである。基本の立ち回りとしては、自身の相棒機を囮として外側から回り込んだ瞬間にすばやく銃型デバイスでの有線接続を試みる。あとは元々備えられているNoahの自爆機能を、脳処理でのハッキングにより起動させるだけ。


 しかしハルヒトの立ち回りは少し違う。


 ハルヒトの相棒機であるゲンブはあくまでも周囲の見回りに徹している。ハルヒトはといえば突進してくるスパイダーを正面に見据え、引くでもなければ横に回避するでもなく、スパイダーが襲いかかってくるその瞬間まで特に身じろぎ一つもしない不動の構えだ。


 しかしついにハルヒトは動いた。


 初動に鉄のタイルを蹴るとそのまま滑り込むように姿勢を低くする。ハルヒトの右と左に四本ずつタイルを踏んだスパイダーの脚があり、しかしハルヒトは焦ることなく銃型デバイスの銃口をスパイダーの下腹部に向けると、そのまま有線を射出し短時間の機能停止ウイルスをばらまき、動きは止めたものの慣性に従って滑るスパイダーに高速の脳処理ハッキングを仕掛ける。ハッキングの終了までに約五秒、スパイダーの股ぐらをその時にはすでにハルヒトは通り抜けていて、自爆機能を無理やりに起動させられたスパイダーは派手に爆風に乗せた残骸を周囲にまき散らす。


 流れるような立ち回りにキサラギは思わず拍手の一つでも送ろうかと思う。


 けれど同じ状況であればキサラギも同じ立ち回りを演じたとも思う。


 この立ち回りにおける大きな利点が一つあって、それはハッキング中の無防備をスパイダー自身がその足で守ってしまうという皮肉である。これにより相棒機は身軽に動けるし、基本行動である二人組(ツーマンセル)の行動リソースをいくらか空けることも可能である。しかし立ち回りの前提条件はハッキング時間が五秒以内、戦闘を担当するC班の中でもこの条件をクリアしている者はハルヒトとキサラギをおいて他にいない。


「——これはこれはキサラギ嬢。このようなところでいったいなにを?」


 物陰に潜んでいたキサラギの後ろから、面長の男が不意に話しかけてくる。


 クビキである。


 バカ丁寧な言葉遣いとキサラギよりも長い髪が特徴の男で、別段足を痛めているわけでもないのにその手にはいつも黒塗りのステッキが握られている。だからこそ、キサラギは足音に混じるステッキの音で当然クビキの接近には気づいていた。そしてキサラギはすぐさま振り向いてから立てた人差し指を唇に寄せる。


「おっとこれは失礼いたしました」


 大仰な仕草でのけぞるクビキは、どうやらキサラギの静かにしてのサインに気づいてくれたようだった。


「それでいったいなにを?」


 キサラギと同じようにそろりと物陰に身を潜めたクビキは、ハルヒトのほうへと視線を戻したキサラギにその声も潜めて問いかける。


「タイミングを計っています」


「タイミング、でございますか?」


 そう、タイミングだ。


 Noahに対しての防衛線だってまずは相手の動向を探り、そこから作戦移行への行動のタイミングを計るのだ。キサラギのおかれている現在の状況もいくつかそれに共通する部分が見られると思うし、なによりも真剣に頑張っているハルヒトの邪魔をすることはしたくはない。別にそんなこと気にしなくてもいいのにと、そうハルヒトは普段の調子で言ってくれるのだろうが、まだ内容も決まっていない約束のために貴重な研鑽の時間を邪魔されることは誰でも嫌に決まっている。


 だからタイミングが大事なのだ。


 二体目のスパイダーを相手取っている今は絶対にダメだし、ハルヒトの訓練が終わったその瞬間を狙ってもあからさますぎてダメだ。むしろハルヒトの訓練が終わってからがタイミングを計る本番で、クビキがタイミングの意味を考えて後ろで首をひねっているが、キサラギはそんなことはお構いなしにハルヒトの様子を窺い続ける——そんな時にけたたましい音量のサイレンが、ターミナル内の下層全体に鳴り響く。


 それと同時に、クビキの持っている端末型デバイスに真っ赤な画面が表示され、


「おっと、これはどうやらNoahが現れたようですね。場所は外部の東南エリアだそうです。キサラギ嬢はたしか今日はお休みだったと記憶しておりますので、のんびりとくつろいでお待ちしていただいて、そのタイミングとやらを逃さないように努めてくださいませ」


「は、はい」


 急なサイレンにはやっぱり慣れない。


 キサラギは微笑んで立ち上がるクビキを心配するが、自分よりも戦闘歴の長い人間を心配することはなんだか失礼なことであるような気がして、逸れてしまった視線を再びハルヒトのほうに向ける。


 しかし訓練をしているはずのハルヒトの姿は、すでにそこから消えていた。

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