第60話 父と息子の決着-side灯屋-5

 


 少しだけ唇を離して俺は言った。



「今だけ、呪いを解いてくれませんか。今だけでいいんです」



 今ならわかる。

 あいつは俺の血を通じて俺の恐怖を喰らっている。

 ずっとあいつが来るんじゃないかという焦燥感は、俺が自分で生み出していたに過ぎない。

 いないはずの存在に縛られて勝手に傷付いて怯えていた。

 それが今のあいつを生み出してしまった。

 悪鬼は人の感情の凝縮なのだから。


 でも、もう大丈夫だ。

 実際にあいつを目の前にしてわかった。

 子供の頃に見ていた世界と、今の世界は全然違う。


 俺を守ってくれる人は沢山いる。この場にいない社員の皆だって、母さんだって、妹だって、会長だっていつも俺を気に掛けてくれていた。


 ヤマはずっと誰よりも近くで俺を守って、導いてくれていた。まるで俺が望んだのように。


 幽雅さんは、弱いはずの子供の俺を強いと言ってくれた。

 足りない部分は当たり前のように補ってくれて、どんな俺も認めてくれる。


 誰が欠けても今の俺は存在しなかった。

 たった一人の支配でその全てを見失っていた俺はもういない。

 俺と目が合った幽雅さんは目を瞠ったが、すぐに柔らかい笑みを浮かべた。



「昼はすまなかった。自分の感情もよくわからぬままに怒りをぶつけてしまった。でももう理解したんだ。私は君を人として、恋愛感情も含めて全てを愛しているよ。灯屋善助君」

「え」



 今度は俺が大きく目を見開く事になった。

 言葉の内容にも驚いたが、幽雅さんの言葉だけで呪いが完全に解けたのがわかったから。

 いつものキスで一旦ほどけるだけの感覚ではない。

 幽雅さんとの霊力の繋がり自体が無くなった。



「ふふ、完全な解呪はな。心からの愛の告白にしようと思っていたんだ」



 ニッと白い歯を見せて笑った幽雅さんの耳は真っ赤だ。

 本当に心からの愛の告白なんだとジワジワと俺に沁み込んでくる。

 ヤバイ。可愛すぎる。

 早く落ち着ける場所に行きたい。

 全力で幽雅さんを抱き締めそうになる衝動を抑えて、俺は幽雅さんから離れた。



「二分だけ待っててください。すぐにこの雑魚を片付けて返事するんで」

「ああ、待ってる」



 名残惜しいが、繋いでいた俺達の手が離れる。

 もう呪いの繋がりはないけどなんの不安も感じなかった。

 陳腐な言葉になってしまうが、心が繋がっていると思えたから。

 俺は正義を見て笑った。



「お前の言う通りにするのは癪だけど、二分だけ離れてやる」

「てめぇええ……!!!」



 正義は息子の反抗が気に入らないのか、青筋を立てている。

 すぐに大きな声を出すのは威嚇の一種らしい。今の俺には負け犬の遠吠えにしか聞こえなかった。あんなのに怯えていたのかと思うと笑えてくる。



「ハハッ、だっさ」

「あ゛!?」



 俺は自分を笑ったつもりだが、正義は勝手に自分が笑われたと勘違いしたらしい。

 なるほど。気が弱いからこそ自分を大きく見せるために他者を害するのか。



「ガキが……さっさと死ねやぁ!!」



 正義は登坂の鞭を掴もうとしたが、慣れない体だからなのか動きが遅い。

 俺は床を蹴って距離を詰め、正義が触れる前に鞭を蹴り飛ばした。



「おとーさん、運動不足なんじゃないの?」

「ッ!!!」



 俺がわざと子供っぽく言ってやれば正義は面白いくらいに反応した。

 さっきよりは機敏な動作で正義が立ち上がって俺に殴り掛かってくる。

 避ける事は容易だったが、俺はあえてそのまま動かずに拳を顔に受けた。

 数回の衝撃と共に口の中が切れて鼻血も出たけど、記憶よりも全然痛くない。

 散々受けていた悪鬼の攻撃の方が百倍痛かった。そりゃそうだ。悪鬼の攻撃は殺意の塊だ。

 たかだか喧嘩あがりの人間の殴打一発の威力なんてこんなもの。

 子供に対しては絶対的な威力であっても、同じような体格同士では脅威にならなかった。


 ビビって俺が謝ってくるとでも思っていたのだろうか。

 正義は俺がびくともしていない事に驚愕の表情を浮かべた。

 こいつの中ではずっと俺が子供のままで成長が止まっているのだ。



「クソッ、死ね!! しねぇ!!!」



 何度も殴られ、蹴られたけど俺は倒れない。現場で鍛えられた肉体は天然の鎧だ。

 登坂の体も鍛えてはいるが、正義がそれを上手く使えていない。

 体力だけが削られて正義の息が上がって攻撃が弱くなる。

 俺はその瞬間を狙って正義の頭を掴んだ。



「消えろ」



 登坂の中にある悪い物全て取り除け。そう願いながら体内を逃げ回る悪鬼を消滅させるために力を籠める。



「があああああああああッ!!!???」



 能力を体内にも作用できるようになっておいて良かった。

 絶叫が止まると、登坂の体が俺の方に倒れてくる。支えてから静かに床に寝かせた。


 正面には幼少の誕生日の時に見た、穴あきのオバケがユラユラと立っている。

 存在を認識すると俺の視界がグラついて危うく意識が奪われそうになる。

 嫌な笑いが空間に響いた。俺を嘲る笑い。何度も何度も毎日のように聞いていた声が鼓膜を破らんばかりに暴れまわる。


 過去の記憶が駆け巡り、子供の俺が感じていた恐怖が襲う。

 正義の悪あがきだ。

 しかし、それも一瞬だった。

 次に俺が見たのは、髪の長い着物の人。男か女かもよくわからないのに恋をした年上の人。


 俺は視線を上げて振り返る。

 幽雅さんは腕を胸の前で組んで俺を見ていた。

 怪我の心配もしていない。ただ俺を信じているのが伝わってくる。


 それからもう一つ。

 俺に戦うすべをくれた、大切な存在。

 幽雅さんが盾ならば、俺の矛はヤマだ。

 俺の力が強いんじゃない。この力はヤマそのもの。

 行使するんじゃなくて、ただ求めれば良い。



「ヤマ。俺の事……助けてくれ」

「任せて、俺の可愛いアカリ子供



 いつの間にか俺の隣にいた人間の姿のヤマが、あの禍々しい巨体に変化した。

 小さな手が凄い速さで穴あきオバケに触れると、綺麗な円を描いてその部分を削り取る。

 みるみる正義だった悪鬼の姿は減っていく。



「ァ゛、ガァ……っ……あの……バケモノ……!!」



 どうやら正義も生前の死にざまを思い出したらしい。

 恐怖なのか、圧倒的な格の差なのか、正義は動く事ができずにされるがままだ。



「ヒィイイイッ……やめ、やめろ……っ」



 情けなく懇願の言葉を吐く正義を、俺はただ眺めていた。

 この光景、俺も朦朧とした意識の中で見た記憶がある。ずっと忘れていたけど、大事な記憶。


 いらないなら自分にくれと父を殺した悪鬼。

 死にかけている俺をずっと抱き締めてくれた悪鬼。

 初めての男の子供に扱いがわからなくなった悪鬼。

 明確にあかりじゃないとわかっても、愛するしか方法がわからない悪鬼。

 いつだって俺の事を優先してくれる、優しくて頼れるヤマ。


 消えゆく正義は、まだ俺に呪詛を吐く。



「善助ェ!! からだ……カラダをよこせ!! お前みたいなノロマでクズなヤツにそんなもんいらねぇんだよ!! 俺が、俺様が、しっかり使ってやるからよぉ!! イヒヒヒ! ヒヒャハハハ!!」



 最後に一発くらい殴ってやろうかと思ったけど、やめた。

 殴る価値も無いってこういうことを言うんだ。

 俺が正義をどうでも良いと思えば思うほど、正義の声は小さくなった。



「ぁ……ア゛ァ゛ッ!! 俺を、恐れろ……俺をぉおお!!!」

「……だせぇ」



 そう呟いた俺の声が聞こえたのかはわからない。

 正義だった悪鬼の存在は完全に消滅した。

 もう俺の心に、あいつ恐怖はどこにもいないんだ。


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