第37話 幸せの選択-Side灯屋-3

 


 九月も終わりに差し掛かる頃、現場仕事が落ち着いてきた。


 今日は民家で立て続けに怪奇現象が起き、二人入院したというので来た。

 家に入るまでもなく幽雅さんが車から中鬼が一体だけだと言うので、すぐに中鬼専門の佐久良さんへまわす事になった。

 車から降りることなく俺達は手持無沙汰となる。



「幽雅さんの探知範囲ってかなり広いですよね」

「ああ。しかも最近は仕事でよく使っているせいか更に範囲も精度も増している」



 幽雅さんは涼しい顔で恰好良く言っているが、膝の上にある手がプルプルと震えているので締まらない。

 悪鬼によって危険な目に遭った事があるから怯えているのかと思ったが、会長から怖い話というか体験談を聞き過ぎて苦手になったという理由を聞いた時は笑ってしまった。


 しかしそれは合理的だ。

 恐怖とは身を守るための防御システムであり、何か起きてからでは遅い。

 危険な目に遭った後から怯えるよりも、一度も危険な目に遭わないように怯えるのは正しいと思う。

 危うきに近寄らずが最適解ならば『能力が無いのが最も良いのでは』という気持ちが俺の中で大きくなった。



「灯屋君、このまま幽特に戻るが問題ないか」

「はい。予定より早く終わりましたから休憩がてら会議室で一緒に昼食でもどうです?」

「そうだな。今から弁当の発注をすれば間に合うだろう」



 そう言って幽雅さんは幽特が契約しているランチデリバリーアプリで注文を始めた。

 防衛設備がしっかりしている幽特の中が一番安全なので、夕飯よりも昼食の方が安全に一緒にいられる。

 俺も幽雅さんもそれに気付いてから、ランチは可能な限り一緒にとるようになった。

 仮の関係だとしても少しでも恋人らしい事ができて嬉しい。



「おお、今日のオススメは灯屋君が好きそうな『ふわとろオムライスにハンバーグ付き』だぞ」

「じゃあそれで」



 完全に俺は幽雅さんの中で子供舌だと思われているみたいだ。まあ事実なんだけど。

 幽雅さんも好き嫌いが無いらしく、基本いつも俺と同じ物を注文する。同じ物を食べて感想を言い合うのが好きなのだと言っていた。


 俺達の関係は静かに順調に進んでいると思う。


 四十分くらいで幽特へ到着すると、すぐに社内に入らずに俺達は建物の裏にまわった。

 屋外用の物置が並んでいる陰に入り、俺達は向かい合って距離を詰める。


 今日は現場に立つ事もなかったので呪いの発動すらしていない。

 それでも俺達は唇を重ねた。



「…………ん……ッ…………はぁ……」

「……っ……ぅ…………ゆうが、さ……っ」



 恋人なのだから口付けに理由はいらないはずだけど、仮なのだからつい理由が欲しくなる。

 プライベートで会う事はないから、これくらいしか俺達が触れ合える機会がない。

 言葉にして決めた訳でもないのに、これは解呪だと言い張れるタイミングで俺達は自然と唇を貪り合うようになった。

 社内でしてはいけないと言った手前、こうしてコソコソと外でする事になってしまった。本格的な冬になったらどうするか考えなければ。



「車、買おうかな……」



 唇を離した時に俺はそう呟いていた。

 幽雅さんは目を瞬かせて驚いた顔をした。



「む。今の君のマンションに駐車場の空きは無いだろう。引っ越すのか?」



 何で俺のマンション事情に幽雅さんの方が詳しいのかは置いておこう。



「いや、外にもプライベートな空間が欲しくなったというか……」

「ほほう。そこに私の車があるが」

「あるんですか!?」



 指差された方を見れば、社員駐車場の中にあるシルバーのワンボックスカーだった。



「えっ、意外なんですけど。こう、なんか……赤のスポーツカーとかじゃないんですね」

「そういうのはお爺様が持っているから必要なら借りれば良い。私自身が使うのは仕事でもプライベートでも便利なものが良いからな」



 そう言われてしまえば効率的な幽雅さんらしいと思えた。

 しかし、いつも幽雅さんには送迎があるし運転している所を一度も見た事がない。

 俺の考えている事が表情に出ていたのか、幽雅さんは車の方向へ歩き出しながら言った。



「何かあれば社員を送ったり荷物運びでもしようと思って置いてあるが、まだ活用した事が無いな。使っているのは仮眠くらいだ」

「たまに姿を見ないと思ってたら車で休憩してたんですね」

「幽特敷地内は簡易的な結界もあるし安全だからな。灯屋君も使って良いぞ」



 幽雅さんが車に近付くとキーが開き、そのまま運転席をゴソゴソと探って俺にスペアキーを差し出した。


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